見出し画像

フローライト第二話



「痛っ!」

高校三年のある日の体育の時間、体育館の隣のコートでやっていたバスケットボールが立っていた明希の後頭部に当たった。

振り返ると夏目翔太が「あっ、悪い」とボールを取りに走って来た。ボールを渡すと「大丈夫?」と聞かれた。「まあ・・・」と頭をさすりながら言うと「見せて」と言われる。

「え?」と夏目の顔を見ると、すでに夏目は明希の後頭部を見ていた。

「見た感じ大丈夫みたい」と夏目が言う。

「うん、大丈夫」と明希が答えると、夏目がホッとしたような表情をしてからまたコートに戻って行った。

明希は相変わらず体育が苦手だった。女子はバスケではなく何故か今日はドッジボールをしている。当てるのも当てられるのも怖い明希は、早々にボールに当たってからドッジボールの枠の中から出てきていたのだ。

(なのにまたボールが当たるなんて・・・)ともう一度後頭部をさすった。縛っていた髪が少しずれていたのでついでに手で直す。

明希は高校三年になっていた。結局あれ以来利成と会うこともなく、そこは子供のことだ、初恋と言えどもすっかり忘れていた。ただあの時貰った利成の色鉛筆だけは大事にしまってある。

 

体育が終わって皆でぞろぞろと体育館から出て行く。明希は相変わらず鈍くさく、体育館から出るのも一番最後になってしまった。と思ったら後ろからいきなり声をかけられた。

「咲坂、さっきの大丈夫?」

振り返ると夏目だった。

「大丈夫」と答えた。何か随分心配性?と思いながら。

「そっか」と言って先を走っていく夏目は、数人のクラスメートと並んで歩きながらふざけていた。

夏目とは二年の時から同じクラスだった。家も同じ方向らしく、たまにJRの中で夏目を見ることがあった。でもまったく口を聞いたことはない。今日口をきいたのが初めてだった。

 

けれどこういうのって縁なのか、このことがあった後のGWの休み明けの日、担任が席替えをすると言い、明希は夏目の隣になった。夏目は屈託のない性格らしく、男、女関係なく普通に話すので友達も多かった。なのでその日も夏目に普通に話しかけられて明希は戸惑った。明希は相変わらず引っ込み思案で話すのが苦手だった。

「あ、あれから頭大丈夫?」

そう聞かれて始めなんのことかわからなかった。けれどすぐに(あっ)と思い出した。

「だ、大丈夫」とうつむいた。何だか恥ずかしい。

「そ、じゃあ、良かった」と夏目が言う。

意識しだすと不思議に目につくものだ。帰りのJRでも夏目を見かけた。向こうも気が付いてこっちを見たので、目が合いそうになって明希は慌てて別な方を見た。

隣の席と言うのは同じ班ということで学際の準備も一緒になったりする。お好み焼きなんかを出す飲食の店を出す明希のクラスは、当日の係などをどうするか相談した。

学際当日、明希はあらかじめ生徒が購入してある券を受付で回収する係をしていた。夏目はお好み焼きを焼いたり、飲み物を配ったり、その時々で色んなことをしていた。

学際二日目、後片付けを終えた明希が教室から出ようとしたところで、別なクラスの男子に呼び止められた。

「ちょっといい?」

言われて嫌な予感がする。人通りのない場所まで連れて行かれると、「咲坂ってさ、誰か付き合ってる奴いる?」と聞かれた。

(あー・・・やっぱり?)

実は明希はかなり鈍いので、高二の時に一度こういうことを言われた時、何だかわからないうちにオーケーしてしまいひどい目にあったのだ。

小学校、中学と男子からいじめを受けてたのに、高校に入ってからは、いじめではなく何故かこういうことを言われる。高二の時にうっかりオーケーした男子には、家に呼ばれてほとんど強姦のようにされてしまった。しかもその後、その男子は明希に別れを告げて来た。

小学校の時に突き飛ばされたりする暴力が、高校に入るとこういう暴力になるなんてと、明希は男子恐怖症になりそうだった。

「いなければつきあってくれない?」

「・・・・・・」

ああ、どうしようと思う。男子恐怖症になりつつある明希は、断るのも怖かった。もし何か言われたりされたりしたらどうしよう・・・。

「えーと・・・」といいながら無意識に後ろに後ずさった。ふと振り返ると少し離れた場所で数人の男子がにやにやとこちらを見ていた。

(どうしよう・・・)

「つきあって」という言葉で、その時に無理矢理されたことが脳裏に蘇って心底怖くなった。

「ダメ?」と迫ってくる男子は、もうただ性欲の塊にしか見えない。

明希は踵を返し黙って玄関の方に行こうとした瞬間、腕をつかまれて恐怖がピークになった。

「もしいないなら・・・」と更に迫ってくる男子の腕を振りほどこうとしたのに、何故かその男子はがっちりと腕をつかんだまま離さない。

「やだ・・・」と腕を引っ張った。無理矢理手を振りほどいて玄関に走ったら思いっきり靴箱の前で誰かにぶつかった。

「痛っ」と声が聞こえる。見ると夏目が肩を押さえていた。靴箱の扉が開いていて、どうやらその開いている扉に夏目が肩をぶつけたらしかった。

「ご、ごめん」と明希は焦った。

「いや・・・」と夏目が肩をさすっていた。

「大丈夫?」とおろおろと夏目の肩を見た。

「大丈夫」と夏目が言う。その時明希の後ろから足音が聞こえたので振り返ったらさっきの男子と、少し離れたところに立っていた二人の男子が立っていた。

「あっ」と明希は咄嗟に上靴のまま逃げ出した。怖くて何も考えられなかった。

しばらく走って苦しくなって立ち止まった。膝に手をついて「はぁ、はぁ」と息を整えながら恐る恐る後ろを振り返ると、さっきの男子ではなく、夏目が走ってくるのが見えた。

「咲坂、ちょっと待って」

夏目も息を切らしていた。

「これ」と差し出されたのは明希の鞄だった。鞄も置いたまま逃げ出したのだった。

「あ、ありがと」と受け取る。

「それと、それ上靴でしょ?」と足元を見られる。

「う、うん」と恥ずかしさで頬が熱くなってきた。

「何かあったの?さっきの・・・」

夏目の聞かれて余計に恥ずかしくなってしまいうつむいた。

「何でもない・・・」とやっと小さな声で言った。

「靴、いいの?そのままで」と気にしてくれる夏目。

「えーと・・・」

どうしようかと思う。もどったらまださっきの男子がいるかもしれない。

「一緒に戻ろうか?」と夏目にいわれてびっくりして夏目の顔を見た。そんな風に男子に優しくされたことはなかったからだ。

何て答えていいかわからず黙っていると夏目が「一緒に戻ってやるよ」と笑顔を向けて来たので、明希はちょっと安心して一緒に歩き出した。

「何かいじめ?」と聞かれる。

「いや・・・」と困って曖昧に答えた。

「咲坂って目立つからな」と言われてまた驚いた。

「私って目立つ?」

「ま・・・」

(目立つ?何で?だから今までもいじめられたの?)と疑問で頭がグルグルとしてきた。

何で???と夏目にまだ聞きたかったが、何だか聞けないまま学校の玄関に着いた。さっきの男子たちはもういなかった。靴箱で靴を取り替える間も夏目が待っててくれた。

「あの・・・肩大丈夫?」と靴を履き終えてから夏目に聞いた。

「大丈夫。咲坂にはボールぶつけてるし、おあいこになったな」とやっぱり笑顔・・・。こういう男子もいるんだなとすごく不思議な気持ちになった。

物心ついてからの明希は、いつでも男子からいじめにあっていたので、男子とは暴力をふるうものというイメージがついてしまっていた。もちろん、幼馴染の利成は抜かして。

学校の玄関から出ても、夏目とはJRが一緒なので自然と一緒に歩くことになってしまった。

「家、同じ方向だよね?」と聞かれる。

「うん・・・」とうつむきながら答えた。

それから二人共無言でJRの駅まで歩いた。昔、利成と無言でコンビニまで歩いたことを思い出す。

(あー利成、どうしてるかな・・・)と思った。

同じJRに乗ってから夏目が話しかけてくる。

「咲坂って何か好きな音楽ある?」

(音楽・・・)

考えていると「好きな歌手とか芸能人いる?」と続けて夏目が聞いてきた。

「○○ってバンドが好きかな・・・」

「え?嘘、マジ?」と夏目が急に大きな声を出した。

「俺も好きなんだよね」と続けて言われる。

「そうなんだ。どの曲が好きなの?」

「俺は○○○かな・・・」

「あ、私もそれ好きだよ」と意気投合する。男子と意気投合なんて何だか奇跡だなと明希は思った。

実のところ、小学校の時に父に歌を褒められて以来、明希は時々一人カラオケに行っていた。もう家族でカラオケに行くことはなかったけど、家で口ずさんでいると父がまた褒めてくれたのだ。調子にのって顔は出さないでユーチューブに自分の歌声をアップしていた。その際、そのバンドの歌が好きだったので、その曲にしたのだった。ユーチューブに自分の歌声を出してるなんて恥ずかしいので父にも言ってなかった。

「今度そのバンドライブやるの知ってる?」夏目が言う。

「うん、知ってる」

「行くの?」

「ううん、行けないから」

実は人気バンドだったのでチケットが手に入らなかったし、小遣いも乏しかったのでいわゆる転売屋から入手するのも無理だった。

「俺、チケット二枚あるよ」

(え?)と夏目の顔を見た。二枚あるとは?どういう意味だろうと思う。

「一枚いる?」

「えっ?いいの?どうしたの?二枚も」

「友達の分、そいつ行けなくなったから誰か探してたんだよね」

(え・・・まさかこんな都合のいい展開が?)と驚いて夏目の顔を見た。

実は前回もチケットが手に入らなかったのだ。もし行けるなら行きたかった。

「ほんとにいいの?」

「うん、いいよ」

「じゃあ、お金・・・」

「当日でいいよ」

(え?当日?)

「一緒に行ってくれるんでしょ?」

「・・・・・・」

(どうしよう・・・いいのかな・・・)とちょっとまた不安になる。でも夏目はそういう男子じゃないよね?そう思って「うん・・・」と答えた。

 

ライブ当日、会場で夏目と待ち合わせた。緊張しながらお金を払いチケットを受け取った。

(わー本物・・・)とチケットを見てうるうるとした。

会場内に入るために並び始める。夏目は明希の後ろに並んだ。

ライブが始まり皆いきなり総立ちになって歓声があがった。明希も興奮して立ち上がって手を叩いた。その瞬間、隣の夏目のことを忘れてしまった。そしてしっとりした歌の時は涙がでてしまった。

(ああ、何て素敵なんだろう・・・)と目尻の涙を拭う。

ライブが終わって興奮冷めやらぬまま会場を後にした。帰り道夏目が「やーめちゃ良かったね」と言って来たので「うん」と明るく答えた。そしてハッとした。チケットをくれたのは夏目だった。

「あの、ありがとう・・・今日は」とお礼を言った。

「いや、俺も助かったし・・・」と夏目が言った。

地下鉄でJRの駅まで行く。二人で列車を待っている時、夏目が明希に言ってきた言葉に明希は今までで一番驚いた。

「咲坂さ、誰も付き合ってるやついないなら付き合わない?」

(え?)と思った。そして夏目には悪いけれど身体が緊張で硬くなった。やっぱり去年の恐怖心がまだ抜けていないのだ。

「・・・・・・」

驚いたまま口も聞けずにいると、夏目が焦ったように言った。

「あ、もしかして誰かいた?」

「いや、いないけど・・・」

ドキドキと心臓が音をたてる。正直夏目のことは嫌いじゃなかったが、やはり男子は怖かった。

「じゃあ・・・いい?」

「まあ・・・」とまた去年のように曖昧に答えてしまった。まったく学んでいない自分に呆れる。

夏目が首を傾げた。そして「いいってこと?」と聞いてくる。

「うん・・・」

いや、そうじゃなくて・・・と自分に突っ込んだけど、夏目が嬉しそうな顔をしたので何も言えなくなった。

(どうしよう・・・)

だけど夏目はきっと去年の男子とは違うよね?と勝手に自分に言い聞かせた。


 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?