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フローライト

一見バラバラで適当に組みたてかのように見えるものも、実は綿密に計算されて出来上がったものだったりすることがある。

彼はそういう人だった・・・・・・。

 

「天城君の絵が市の絵画コンクールで金賞を取りました」

先生の言葉に教室のみんなが利成を見る。咲坂明希は隣の席の利成を見ると、利成は表情を変えずに先生を見ていた。

五年一組の教室では帰りの会が行われていた。先日みんなで描いた絵を市の絵画のコンクールの小学生の部門に出したのである。

「みんなで拍手」と先生が言うので「おーすげー」と言う声と共にクラスのみんなが拍手をした。明希も隣の利成に向かって拍手をすると、利成がこっちをちらっと見た。でも特に表情は変わらない。

(嬉しくないのかな?)とちょっと疑問に思う。

 

下校時間、明希が一人歩いていると思いっきり後ろから押されて転んだ。押された拍子に背中に背負っていたリュックのチャックの隙間から、筆箱が滑り落ちてその中身が道路に散らばった。明希が見るとクラスの男子が数名笑いながら去って行くところだった。

明希はこんな風にいつも男子にいじめられた。クラス替えがあっていじめられてた男子と離れてもホッとするのも束の間、何故かまた同じクラスの誰かにいじめられるのだ。

(痛っ・・・)

転んだ拍子に膝を擦りむいた。身体をかばって手をついたので、手のひらも皮がむけて血が滲んでいた。

親や先生に言えば良かったのかもしれなかったけれど、明希は言えずにじっと我慢していた。親に言えばまた「お前が弱いから」と言われるに決まってるし、先生に言えば余計に男子にいじめられそうだった。

「明希、大丈夫?」

筆箱の中身を背負っていると利成がいつのまにかそばに立っていた。利成がしゃがんでうつむいてリュックに筆箱をしまっている明希の顔をのぞきこまれた。

「大丈夫」と答えた。ほんとは大丈夫でもなかったけれど・・・。

利成とは家が隣同士で幼稚園から一緒だった。明希も絵を描くのは好きだったので、低学年の頃まではよく利成と一緒に絵を描いていた。それが高学年になってからは変に異性だということを意識して、一緒に絵を描くことはなくなっていた。

「血、出てる」と膝を利成が見つめている。

「大丈夫」と今度も答えた。

立ち上がって何となく一緒に歩く。利成も明希も友達とワイワイするタイプではなかったので、学校からの帰宅もお互い一人だった。

「じゃ・・・」と家の前で利成と別れる。別れると言っても利成の家は左側でそのすぐ隣に明希の家があった。

家のドアのカギを開けて中に入った。 明希は鍵を首からぶら下げ ている。明希の母は明希が二歳の時に亡くなっていて今は父と中学三年の兄との三人暮らしだった。当然父は昼間は働いているため家にはいない。兄の颯斗の帰りはいつも遅かったので、大抵は夕方の時間一人で過ごした。

鞄を部屋に置いてから擦りむいた膝をみると、まだ血が滲んでいた。泥もついて痛々しい。明希は消毒液を薬箱から取り出して膝を消毒した。絆創膏を探してみたけれど薬箱には入ってなかった。仕方ないのでそのままにしておく。

冷蔵庫をあけてサイダーの入ったペットボトルを取り出してコップに注いだ。おやつは特にない。お小遣いを少しもらっていたのでそ、自分で買うことになっていた。

(利成の絵ってどんなだっけ?)

金賞を取ったという絵を、明希はほとんど覚えていなかった。

(市役所に行けば見れるのかな・・・)

でも市役所ってどこだっけ?と思いついてスマホを開いた。学校には持っていってなかったが、家で一人が多い明希を心配して父が持たせているのだ。

(あーちょっと遠いな)

市役所に行くには歩いては行けない。バスに乗らなければならなかった。

明希はスケッチブックを開いた。今までの自分の描いた絵をぱらぱらと見る。どれも何だかイマイチでパッとしない気がした。

夕方五時を過ぎるとお腹が空いてきた。夕食は父が帰宅してから父が作っている。父の帰りは夜の七時頃なので、夕食までの時間はまだだいぶあった。

(しょうがない、買いに行こう)

机の引き出しからお小遣いを取り出して財布に入れた。財布を小さなポシェットに入れると玄関で靴を履いた。

家の外からコンビニに向かおうとすると、利成がちょうど家から出てくるところだった。

「あ・・・」と思わず声が出た。利成が「どこ行くの?」と聞いてきた。

「コンビニ」と言うと、「俺も」と言う利成。また何となく一緒に歩いた。

「いじめられてるっておじさんに言った?」

利成が聞いてくる。

「ううん、言ってない」

「言わないの?」

「んー・・・言わなくていいかな」

父にそんな話をするのは面倒だった。

「先生には?」

「んー言ってない」

「言わないの?」

「んー言うと余計にやられそうだし」

「・・・・・・」

そう言うと利成は何も言わなかった。

 

コンビニにつくと適当にお菓子を選んで買った。利成の方を見ると、パンとごみ袋を買っていた。きっと親に頼まれたのだろう。

利成の父は大学の教授をやっており、母親はピアノの奏者だったが、今は家でピアノを教えているだけらしい。利成は一人っ子で性格は穏やかであり、友達もいるようだったがクラスの男子のようにおバカに騒いだりはしなかった。

一緒に絵を描いていた頃、利成のピアノを聴いたことがある。素人の明希にも物凄く上手いということがわかるほどの腕前だった。

実は明希も得意なことがあった。それは歌である。楽器は学校でピアニカを弾くくらいだったが、昔父親と兄とで一度カラオケに行ったことがあった。その時に父から褒められたのである。

「明希は歌うまいな。歌手になれるかもしれんよ」

初めて父親に褒められたと思った。明希は頭のいい兄の颯斗と違って何事も鈍くさく、勉強もできなかったしスポーツもだめだった。おまけに極度の引っ込み思案で自分の気持ち一つ満足に伝えられないのをよく父には注意されていた。

コンビニの帰り道、明希は利成に金賞の絵について聞いてみた。

「あの絵、どんな絵だったっけ?」

「あの絵?」

「金賞の・・・」

「ただの風景画だよ」

「あーそうか。外でみんなで描いたやつ?」

「そう」

「金賞ってすごいね。見てみたい」

「すごくないけど」

「えー、すごいよ。今、市役所にあるんだよね?」

「そうだね」

「見てみたいな~今度行こうかな」

「一緒に行く?」と言われてちょっと驚いて利成を見た。利成に特に表情の変化はない。淡々としていた。

「いいけど・・・」

ちょっとドギマギした。実は明希は少し利成に好意を抱いていたからだ。

「明日でも行く?土曜日だけど解放してるらしいよ」と利成が言うので「う、うん」とうなずいた。

家の前までくると利成が明希の膝を見ているので、明希も自分の膝を見た。短めのスカートからはみ出している膝から、血が滲んでいるのを見て「あっ」と思った。せっかくコンビニに行ったのだから絆創膏を買えばよかった。こんな風に明希はいつもどこか抜けているのだ。

「絆創膏貼ったら?」と利成に言われる。

「うん・・・でもないんだ。さっき買うの忘れちゃった」

忘れてたのでなく、完全に抜けていたのだけどそう言った。

「ちょっと待ってて」と利成が家の中に入っていった。それから少し経って利成が手に絆創膏の箱を持って出てきた。

「これあげる」と箱ごと渡された。

「え?全部?一個でいいよ」

「いい。このまま持っていって」

「う、うん・・・いいの?」

「いいよ」

「ありがと」

「明日十時ごろでいい?」といきなり言われて一瞬何のことだろうと思ってハッとする。

「明日?あ、う、うん」

少し声が上擦ってしまった。明希はいつも緊張でしどろもどろにいつもなってしまう自分が嫌だった。

「じゃ」と利成が家の中に入って行った。

 

明希が家に入ると兄の颯斗が帰宅していた。受験生の兄は学校から帰宅後もすぐに塾に行っていた。今日も出かける準備をしている。颯斗の帰宅は十時を過ぎるので、最近は夕食は塾に行く途中にコンビニに寄って何かを買って食べているようだった。

颯斗は鞄を持つと「じゃ、行くわ」と明希に声をかけ出て行った。「うん」と返事を返してから自分の部屋に行った。利成から貰った絆創膏の箱を開けて一枚取り出し膝につける。

それから明日どうしようと思う。何だか今から緊張する。

(バスだから時間とかお金とか・・・)

財布の中のお金を確認すると、何とか間に合いそうだった。

夜七時半ごろ父が帰宅して夕食を準備していた。明希も隣で手伝った。高学年になってからはこうやって明希も父を手伝うようになった。

「明日、市役所に絵を見に行っていい?」

食事の準備が整ってダイニングテーブルの椅子に座ると明希は言った。

「市役所?ちょっと遠いぞ?」

「うん、バスで行く」

「一人でか?」

「ううん、友達と」

利成とは言わなかった。

「そうか、気を付けて行けよ」

「うん」

 

次の日準備をして表に出ると、利成がもう家の前に立っていた。

「おはよ」と言われて「おはよ」と返す。バスに隣同士に座っている間、明希はずっとドキドキと心臓を鳴らしていた。

市役所の絵画の飾られているホールには家族連れが何組か来ていた。きっと自分の子供のを見に来たのだろう。

利成の金賞の絵は一番目立つところに貼られていて「金賞」と書かれた黄色い紙が貼られていた。近所の街並みが描かれた絵で、他の生徒の絵より確かにだんとつに上手だった。

「わーすごいね・・・」と明希は言うと、「つまんない絵だよ」と利成が言ったのでちょっと驚いて利成の顔を見た。何だかひどく大人びて見えた。

市役所から出るとお昼近かった。

「帰る?」と利成に聞かれる。

「ん・・・」と何となく曖昧な返事になった。外は天気が良くこのままどこかに行きたいような雰囲気だった。空を何となく見上げていると「喉渇かない?」と利成が言った。

「うん・・・ちょっと」と明希が言うと、利成が市役所の前の自動販売機の方を見て、「何か買おう」と歩いて行った。その後ろから明希もついていく。

二人でペットボトルのジュースを買って役所の前にあったベンチに座った。ペットボトルの蓋が硬くて苦戦していると、利成が開けてくれた。この二人でジュースを飲みながら空を見上げていたこと、明希はきっとずっと忘れないだろうなと何となく思った。そしてそれはその通りになった。

 

明希が六年生になった時、隣の天城一家が引っ越しをしたのだ。それと共に利成も別な学校へ転校して行った。隣の引っ越しの日、明希は家の中にじっと閉じこもっていた。利成がいなくなることがひどく寂しかったけれど、もちろんそのことは伝えられなかった。

引っ越しの挨拶に利成の両親が玄関に来たようで、日曜で家にいた父に呼ばれた。

「明希!ちょっと来なさい」

二階から階段を降りていくと利成の両親と利成が玄関に立っていた。

「明希ちゃんにもお世話になったね~」と利成の母が笑顔で言う。

「いいえ」と少し頭を下げた。

「ほら利成も」と利成の母が利成に言っている。

「これ」と利成が何かの包みを明希に差し出した。受け取ると「良かったら使って」と利成が言った。

「では咲坂さん、お世話になりました。明希ちゃん、そんなに遠くないから今度遊びに来てね」と利成の母が言った。

「はい・・・」と頭を下げてから利成を見た。利成はいつもどおりの表情で明希の父に頭を下げて両親と共に玄関から出て行った。

部屋に戻って包みを開けてみたらそれは色鉛筆だった。

(わー・・・すごい)

それは三十六色もあって、いくつかは使われてたようで少し減っていた。おそらく利成が使っていたものだろう。

(もう使わないのかな・・・)

まだほとんど新品のその色鉛筆を見つめた。

(これと、これと、これ・・・)

利成が使ったであろう少し減っている色鉛筆を取り出してみた。黄色とオレンジ系統の色だった。

(オレンジ好きなのかな・・・)

袋にまたしまおうとして袋の中に何か入っているのに気が付いた。小さなメモ用紙に住所が書かれていた。明希はスマホで検索して場所を調べた。電車で二時間くらいの距離で、利成の母が言ったように遊びに行けない距離ではなかった。

けれどその後から一度も明希は利成のところに行くことはなかった。向こうもこっちにくることもない。明希の初恋の思い出はあの市役所で見た金賞の絵と、あの日一緒に見た空とペットボトルのジュース、そしてこの色鉛筆・・・初恋はオレンジ色の思い出となり明希の胸の中にそっとしまわれた。


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