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フローライト第三十話

季節は冬に移行し、奏空の仕事が忙しくなった。新人賞候補だった奏空のグループはテレビの仕事が増えていた。

けれど奏空はほとんど毎日のようにラインをくれたし、話せる時は電話もくれた。オフの日は必ず会いに来てくれた。

「大丈夫なの?」とその日の夕飯を一緒にしながら咲良は聞いた。

「全然大丈夫・・・って何が?」

「忙しいんでしょ?学校もあるし・・・疲れてない?」

「全然疲れてないよ」

「そう?ならいいけど」

「あー今日はここに泊まりたい」

「また、ダメだよ。朝帰りなんかしてもし見られたら・・・」

「見られてもいいのに」

「ダメだよ。特に今は大事な時でしょ?」

「大事な時とは?」

「新人賞候補なんでしょ?何かあったら私が恨まれる」

「あー咲良が恨まれたら困るね」

「私だけじゃないよ。奏空も困るよ」

「大丈夫だよ」と口づけてくる奏空。その無邪気な笑顔を見ながら(ほんとに大丈夫なのかな)と少し心配になる。

 

そして年末、クリスマス前から怒涛のスケジュールになった奏空は、ラインも来ない日が数日続いた。咲良はひどく寂しい気持ちになってそしてそんな自分に焦った。相手はあの利成の息子なのだ。本気になんてなってもどうにかなる関係ではない。

(やっぱりもう田舎に帰ろうか・・・)と不安になる。

クリスマスの日、奏空から電話が来た。

「もしもし?」と出ると「咲良、ごめん。連絡できなくて」と奏空の明るい声が聞こえて咲良は涙ぐみそうになって焦った。

(あーやっぱりこれは帰り時かな・・・)

「いいよ、忙しいんだろうから」

「忙しくなんてないよ。今日会える?」

「・・・会えるけど・・・」

「良かった!うち来てよ」

「えっ?」と思う。「何で?」

「だってそっちに行くと帰らなきゃならないでしょ?咲良がうちに泊まればそういうことないじゃない?」とギョッとすることを奏空が言いだす。

「バカ、そんなことできないでしょ?」

「できるよ。お泊りの準備してきて」

「は?」

バカじゃない?と無視して準備をしていなかったら、インターホンが鳴った。

「迎えに来た!」と奏空が玄関で言う。

「は?だから行かないって」

「行くって決まってる。いらないの?準備?それならそのまま出よ」

「ちょっと」

咲良は腕を引っ張られ焦った。

「奏空のお母さんは?ちゃんと言った?」

「言ったよ。オッケーだって」

「私のことなんて言ったの?」

「彼女を泊めたいって言ったよ?」

どういうこと?と思う。

「奏空のお母さん、私のこと知らないの?」

「何を?」

「利成とのことだよ」

「知らないと思うよ」

「・・・・・・」

「大丈夫、俺がついてるじゃん」

「・・・・・・」

「とにかく行くよ」とまた腕を引っ張られた。「タクシー待たせてるんだよ」と言われ咲良は焦った。

「わかった。ちょっと待ってて」と言うと「早くね」と奏空が言う。

 

タクシーに乗り込むと「大丈夫、運転手さんには口止めしたから」と奏空が笑顔で言うと、タクシーの運転手も笑顔で頷いていた。

(まったく・・・)

どういう子なんだか・・・?と利成以上の強引さに呆れる。

利成の家に着くと、さすがに最初の時より緊張した。

「奏空、利成はいるの?」

咲良は横目で駐車されている車を見た。

「あ、帰ってるかな。車あるから」

「そう・・・」

ドアを開けると初めて来たときのように奏空が玄関で「ただいま!」と声を張り上げた。パタパタときたのはやはり奏空の母親だった。

「こんばんは。すみません、何か・・・」と咲良は頭を下げた。

「こんばんは。こちらこそ、奏空が強引に決めたんでしょ?ごめんね」と奏空の母親の明希は言った。

(やっぱり知らないんだな・・・まさか息子の彼女が自分の夫の浮気相手だなんて・・・)

リビングは通らず真っ直ぐ奏空の部屋に行った。すると奏空がいきなり口づけて来た。

「もう、何かずっとしてなかったよね」と笑顔で顔をのぞき込まれる。

「そうだね」と咲良は奏空から目をそらした。この部屋には二度目だ。奏空のベッドの上に座った。するとまた奏空が口づけてきて、そのままベッドの上に押し倒された。

「ちょっと、親がいるんだからやめて」

「親って明希のこと?」

「他に誰がいるのよ」

「ハハ・・・そうだね」と言ってまた口づけてくる。

「だからー」と身体を押し返した。

(まさかここでする気じゃないよね?)と思う。

そこでドアがノックされて「奏空」と明希の声が聞こえた。

「なあに?」と奏空がいうとドアが開いた。奏空は咲良の上に乗ったままだ。奏空の母の明希は驚いた表情をした。

(そりゃそうだよね・・・)と咲良は奏空の顔を見たら、当人はいたって平然としている。

「ご飯は?その、咲良さんは・・・」

「あ、食べたので気にしないで下さい」と少し上半身を起こして咲良は言った。

「そう・・・じゃあ」と明希が出て行く。

「ちょっと!」と奏空の身体を叩いて起き上がった。

「お母さん、びっくりしてたでしょ?そういうのやめてよ」と言った。

「明希のことは気にしないでよ」

「気にする。しかも何?母親のこと呼び捨て?」

「うん」

「おかしいんじゃない?」と咲良は奏空の顔を見た。

「おかしいかな?」

「おかしいよ」

「ま、いいじゃん」とまた口づけてくる奏空。

「ちょっとまさかここでする気じゃないよね?」

「え?ダメ?」

「ダメでしょ、何考えてるの?」と咲良がまた奏空の膝を叩いた。

「咲良こそ考えすぎだよ」

「考えなさすぎだよ、奏空は」

「そうかな・・・」

「ちょっとトイレどこ?」

「あ、出て一番奥だよ」とドアを開けて説明される。咲良がトイレから出ると奥の部屋から音が聞こえて来た。

(ギター?ピアノ?何かの機械音か・・・)

そして(あ・・・)と思う。きっとその部屋は利成の部屋なのかもしれない。

利成と抱き合った日々・・・それは二年以上も続いたのだ。また古傷のようなものがじくじくと痛んだ。

(でも、もういいや)

一時は復讐まで考えた。この家庭を壊してやろうと本気で思った。なのに・・・。奏空と付き合いだしてから何だかすっかりそんな気持ちが失せていってしまった。

咲良が踵を返し、奏空の部屋に行こうとした時に後ろで部屋のドアが開く音がした。反射的に振り返った咲良は利成と目が合ってしまった。

「あ・・・」と声が出て一瞬その場に凍り付いた。利成も驚いた顔でこっちを見ていた。

「咲良、ちょうど良かった。こっちに来て」と言われる。

咲良が利成の後から恐らく利成の仕事部屋らしき部屋に入ると、利成に「ドアちゃんと閉めて」と言われた。

「何?」

咲良はドアを閉めてそのままドアの前で聞いた。

「一応聞きたいんだけど・・・奏空と付き合ってるのは何のため?」

「何の為?何の為でもないよ」

「そう、俺のことは関係ない?」

「関係ない」

そういうと利成が近づいてきた。咲良は身体を強張らせてドアのノブに手をかけた。

「そんなに警戒しないでよ」と笑われる。

「ちょっとだけ咲良に頼みがあってね」と言われる。

「何よ?」

「・・・・・・」

「早く言って」とまたドアノブに手をかけるといきなり引き寄せられた。

「ちょっと!」と焦って利成から離れようとした。けれどそのまま抱きしめられて力が抜ける。利成の温もりに涙が出そうになった。脱力してしまった咲良の耳元で利成が言う。

「咲良とのこと、明希には言わないで欲しいんだ」

「・・・・・・」

咲良は身体を少し離し、利成の顔を見つめた。

(利成が頼み事?)

じっと利成の顔を見つめていると、「フッ」と利成が笑った。

「頼み事なんてしたこと今までなかったんだけど、今は俺もだいぶ弱気になっちゃってね」

「・・・そんなの私に関係ない」

「そうだね、だから頼んでる」

「私は今は奏空と付き合ってるから、利成とのことなんてもう関係ない。だからそんな頼み事されたって・・・」

「奏空とは本気なの?」

「・・・本気だって言ったらどうかなる?」

「別にどうもならないよ」

「じゃあ、いいよね?もう」

そう言ったらまた抱きしめられた。

「もう、やめて・・・」と言いながら離れられなかった。このままずっと抱きしめられていたい思いにすらなって悲しくなる。

「咲良・・・ごめんね」と言われる。

完全に脱力して利成の背に手を回した。涙が出て来た。自分は愛されていないともう一度確認したような思いだった。

その時ドアが開いた。けれど咲良はドアの方に背を向けていたので誰が開けたのかわからなかった。利成が特に焦る様子もなくゆっくり咲良から身体を離した。

「ちょっと!」と奏空の声が聞こえた。

「咲良、遅いと思ったら!」と手をつかまれた。利成を見ると特に表情も変えずに奏空を見ている。

「利成さん、もう咲良は俺の彼女だからね!利成さんは咲良を捨てたんだよ?もう手を出さないでよ」と奏空が言ったので、驚いて咲良は奏空の顔を見た。するといきなり利成の笑い声が聞こえた。

「手なんか出さないから二人で仲良くね」と利成が面白そうに言った。

 

「咲良!」と奏空の部屋に戻るとベッドの上で顔をのぞき込まれる。

「もう、何で利成さんの部屋になんか行ったの?」

「呼ばれたんだよ。自分から行ったわけじゃない」

「利成さんが呼んだの?何だって?」

「奏空のお母さんに言わないでって言われたよ」

「何を?」

「昔の私と利成のことだよ」

「へぇ、そうなんだ」

「そう」

すると奏空がいきなり笑い出した。

「弱気な利成さんって初めて」と楽しそうな奏空。さっきは利成が楽しそうにしてたし・・・。

(もう、何なの?この親子)

「あー明日、仕事行きたくない」と奏空がベッドに横になった。

「そんなわけに行かないでしょ?私だって仕事だよ」

「んー・・・ねえ、咲良、結婚しない?」

(は?)

「何言ってるの?奏空はアイドルなんだよ?結婚どころか彼女もダメだよ」

「えー・・・じゃあ、もうアイドルやめようかな」

「ちょっと!」とまた奏空の膝を叩いた。

「そういう無責任なのやめなよ」

「無責任?」

「そうだよ。会社と契約してお金貰ってやってるんだよ?お子様のクラブ活動じゃないんだよ?」

「ハハ・・・そうだね」と奏空が面白そうに言った。

「そうだよ」

「咲良もここにおいでよ」と奏空が寝ている横を手で叩く。

「やだよ」

「何で?」

「だから、親のいるところでしないからね」

「さっきはしそうだったじゃん。親の前どころかその親と」

そう言われて咲良はハッとして奏空の顔を見た。奏空は今度は真面目な表情をして咲良を見つめていた。

「そんなわけないでしょ」と咲良は奏空の隣に寝転んだ。

「ほんとに?」と奏空が咲良の顔を見つめてくる。

「ほんとに決まってるでしょ」

「じゃあ、そういうことにしとこう」と奏空が口づけてきた。

着ているTシャツをめくられてブラジャーを押し上げてくる奏空に、咲良は焦ってその手をつかんだ。

「だからやめて。頭おかしいんじゃない?」

「うん・・・頭おかしいかも?でもね、その考えの方がおかしいのかもよ?」

「どういう意味?」

「さあ・・・」と言ってジーパンのボタンを外される。

(あーもういいや)とすぐ投げやりになるのが自分のいいところ?悪いところ?と思いながら、抵抗するのをやめた。こんなイカれた彼氏を持った自分が悪い。

(どうか、終わるまでドアが開きませんように・・・)と祈りながらしたので、まったく感じるところじゃなかった。

「ねえ、奏空ってどうしてそんな自由なの?」とセックスが終わるまで誰もドアを開けなかったことにホッとしながら咲良は言った。

「ん?自由とは?」

「何か、縛られてないっていうか・・・こんな風に親のいる自宅の部屋でやっちゃうところとか・・・」

「ハハ・・・。だって恥ずかしいことなんてしてないでしょ?」

「いや、恥ずかしいよ、かなり」

「んー・・・俺はそれより咲良がまだ利成さんが好きなことにショック」

「好きじゃないって」

「そうかな~」と頬をつつかれる。

「そうだよ」

 

次の日の朝、利成と妻の明希と奏空との食卓に一緒に座らせられて物凄くいたたまれない。利成は何も言わずこっちを見もしなかった。妻の明希だけが何かと気を使ってくる。

(私とした日の朝もこんな風に家族で食卓を囲んでたんだろうな・・・)

「ごちそうさまでした」と帰り際の玄関で明希に挨拶をした。すると「朝倉さん、俺も今出るから送ってあげる」と利成に言われる。

「え?」と咲良は奏空の顔を見た。

「咲良、利成さんに送ってもらいなよ」と普通の顔で言われて、咲良は奏空の顔を睨んだ。

(もう何?)

あまりに頑なに断っても帰って変に思われると思い、咲良は仕方なく利成の車の助手席に乗った。車を発進させてから咲良は言った。

「明希さんに言ったりしないから安心して」

「うん・・・咲良ならそう言ってくれると思った」と言われてその横顔を殴りたくなる。

「だけど、奏空から挑戦状投げつけられたかの気分だよ」

(は?)

「意味わからないけど?」

「そうだよね」と利成が笑っている。

「奏空君のことも本気じゃないから安心して」

咲良はそう言った。そうだ、これ以上本気になる前に田舎に帰らなければ・・・。

「そうなの?それは奏空ががっかりするだろうな」

「・・・・・・」

車がアパートの前に着く。

「じゃあ・・・」と車のドアを開けた。

「またおいでよ」と利成が言うので咲良は振り返った。

(よくそんなこと言えるな・・・)とまた殴りたい思いになる。

咲良が黙っていると「きっと奏空がまた誘うだろうけどね」と利成が言った。

 

年が明けた夜中の十二時、奏空からラインがきた。

<あけましておめでとう。起きてた?>

<おめでとう。起きてるよ>

そうラインを返したらすぐに電話が鳴った。

「もしもし?」

「咲良、あけましておめでと」

「おめでとう。家なの?」

「そうだよ」

「仕事かと思ってた」

「そう?さっき帰宅したから」

「そうなんだ。お疲れ様」

「うん、咲良もお疲れ様。ねえ、明日会おう」

「明日?明日は元旦だよ?おじいちゃんおばあちゃんのところに行ったりするんじゃないの?」

「行かないよ。咲良は?」

「私はいつも一人」

「じゃあ、会おうよ」

「いいけど」

「うち来る?」

「利成もいるでしょ?行かないよ」

「利成さん、やっぱり気になる?」

「気になるよ。好きとかじゃなくてね」

「そう、じゃあ、俺が行くよ」

「それもやめなよ。目立つから」

「じゃあ、どうすればいいのさ?」と不貞腐れたように言う奏空。

「奏空、あのね、私やっぱり田舎に帰ろうと思うのよ」

「何で?」

「やっぱりこっちだと色々キツイし・・・」

「どこがキツイの?」

「仕事とか、収入とか、生活が」

「そう。じゃあ、俺のところにおいでよ」

(は?)

「あのね、奏空。私はあなたのお母さんにとっては嫌な女なんだよ?」

「どうして?」

「利成だけじゃない、息子までに手を出した汚い女だから」

「咲良は汚くなんてないんだよ?利成さんのせいでそう思ってるだけだよ」

「違うよ。利成がいくら強引でも、ついて行った私が悪いの」

「あー咲良、今、おいでよ。説明してあげるから」

「何言ってるの?」と咲良は呆れた声を出した。

「じゃあ、俺が行く」

「電車ないよ」

「タクシー使うから」

「いいって、だから」

「いい、咲良のその考え方って危険だから」

「危険?」

「そうだよ、自分を責める方向って一番ダメなんだよ?」

「・・・・・・」

「じゃあ、待っててね」

「あ!ちょっと・・・」

通話が切れた。もう何なんだろう・・・?

── 自分を責める方向って・・・・・・。

そうかな・・・。でも結局そういうことでしょう?すべては自己責任なのだから・・・。

 

一時間もしないうちにインターホンが鳴った。時刻は夜中の一時過ぎ・・・。

「よく出してくれたね」と咲良は言った。

「え?だっていちいち許可なんている?あ、もちろん出かけることは言ってきたけど」

「そうなの?ずいぶんと自由な家庭なんだね」

「そう?普通でしょ?」とけろっとしている奏空。それから「はい、お土産」と渡される。

「何これ?お酒?」

「そうだよ。飲めるよね?」

袋から出してみると割と良さそうなウイスキーだった。

「これ、家から持ってきたでしょ?」と言ったら奏空がいたずらめいた笑顔を作った。

「うん、ちょっとね・・・利成さんの」

「いいの?勝手に持ってきて」

「いいの。利成さんはワイン派だから」

「ふうん・・・」

利成はワイン派なんだと初めて知る。

「ねえ、水割りしかできないよ」とキッチンから言うと「それでいいよ」と返事が来る。

ウイスキーと氷にペットボトルの水とグラスを二つ持って奏空の座る前のテーブルに並べた。

「俺が作ってあげる」と奏空が言ってグラスに氷を入れ始めた。

「家でも飲んでるの?」

「たまにね」

「ふうん・・・」

 

しばらくぼんやりとウイスキーの水割りを飲んだ。ふと見ると、奏空がウイスキーの水割りを一杯飲んだだけで顔を赤くしている。

「え?奏空ってアルコール弱いんじゃない?」

「うん、そう。そんな驚くこと?」

「だって・・・利成は底なしだよ?その息子なんだから強いかと勝手に思ってた」

「俺は明希に似たんだよ」

「そうか~お母さん側のことあんまり考えなかったわ~」とちょっと笑った。

「何でも利成さんと同じじゃないからね」と少し不貞腐れたように奏空が言った。

「ねえ、それでさっきの電話のことは?」と咲良が聞くと「あ、そうそう。忘れてた」と奏空が姿勢を正した。

「えーと・・・」と奏空が考えているので咲良は「自分を責める方向は危険だとか言う話だよ?酔ってるんじゃない?」と咲良は笑った。

「そうそう。あーでも確かに酔ってる。咲良、ここに来て」と隣のスペースを手でポンポンと奏空が叩いている。

「はいはい」と咲良が奏空の隣に座ると奏空が口づけてきた。口の中に舌を入れて絡めてくる。それがやけに色っぽい。

(何か酔ってる奏空って可愛いな)と口づけながら思う。

「咲良、帰らないでね」と奏空が抱きついてくる。

「帰るよ」

「帰らないで」

「だって誰も私の生活の面倒なんてみてくれないでしょ?自分のことは自分でしないとね」

「俺が見てあげる」

「・・・それりゃあ、奏空は収入あるだろうけど・・・赤の他人の生活見るなんておかしいでしょ?」

「何それ?赤の他人って・・・咲良は他人じゃないし・・・そもそも他人なんていないしね」

「は?他人だらけじゃない。おかしな奏空。やっぱり酔ってるでしょ?」

「酔ってないよ。咲良・・・」とまた口づけられたから押し倒される。

「奏空、私奏空がこれ以上好きになったら困るから帰るよ」

奏空の頭を撫でながら言うと、奏空が咲良の胸の上に当ててた頭を持ち上げて言った。

「好きになってよ。もっと」

「なってるから帰るの。こんな女が彼女だなんてみんなにわからないうちにね」

「咲良、そういう言い方が危険なんだよ?”こんな女”って自分の悪口を言ったらダメだよ」

「自分のことなんだからいいじゃない?」

「自分のことだから一番ダメなんだよ。自分に嘘はつけないでしょ?自分がそれを聞いちゃってるよ?悪口言われたらどんな気持ちになる?」

「悪口は嫌な気持ちになるけど、自分で言ってるわけだからいいんじゃない?誰にも迷惑かけてないし」

そう言ったら奏空が身体を起こした。

「咲良も明希みたいだね」

「明希って奏空のお母さんだよね?」

「そうだよ、明希もそう言う風に自分を悪く言うんだ。自分が一番尊いのに」

「尊いって・・・?」

「一番素敵だってことだよ」

(素敵・・・?)

「じゃあ聞くけど?一番素敵なのが自分なら、何で私は利成に振られたの?女優もやめなきゃならないの?」

咲良は起き上がった。言うは易しだと奏空の言葉に反発心が湧いた。

「・・・利成さんのことまだ気になる?」

「そういうことじゃないよ。一番自分が素敵なら何で私は・・・あーもういいわ!そんなのどうでも!」

咲良は立ち上がって寝室のドアを開けた。子供の言うこといちいち真に受けてどうする?と思った。

「寝るの?」」と奏空が後ろから言う。

「寝るよ。もう遅いっていうか朝になっちゃうよ」

「じゃあ、俺も寝る」

「ベッド使う?私下でもいいよ」

「一緒に寝よう」

奏空がズボンを脱ぎながら言う。

「パジャマなんてないよ」

「いいよ、なくても」

結局ベッドに二人で入る。

「寒くない?」と奏空に聞く。うちに来て風邪でも引かれたら大変だと思う。

「咲良は?寒くない?」

「私は大丈夫だよ」

「そう」と奏空が抱きついてきた。

(あー私ってそんなに母性本能ないのにな・・・)

咲良は奏空の背中に手を回した。

「・・・自分を責めるとね・・・」と奏空がいきなり話し出した。

「ん・・・」

「自分はそんなの聞きたくないから逃げようとするでしょ?」

「ん・・・」

「それでもどんどん追い込むとね、自分で自分を殺さなきゃならなくなるんだよ」

「ん・・・」

「俺はね、自分を嫌いだとか思ったことないけど、死にたいなって思った時はあるよ」

奏空がそんなことを言ったので咲良はひどく驚いた。

「奏空が?そんなこと思ったことあるの?」

「あるよ」

「どうして?何かあったの?」

「何もないよ。でも、周りにていうか利成さんと明希がうまく行かなくて・・・何度か息苦しくなったよ」

「利成と奥さんって仲いいんでしょ?」

「そうだね、仲はいいよ。今はだいぶ良くなったけどね」

「そうなの?だって利成は妻が大事で私に別れも告げずいきなり無視したんでしょ?」

そう言ったら奏空が咲良から身体を離して咲良を見つめてきた。

「そうなんだ・・・それは余計執着するよね」と少し冷めた目で奏空が言った。

「・・・執着なんてもうしてないよ」

「咲良?咲良は一番誰が好き?」

「好きな人なんて・・・」

「俺は?好き?」

「奏空は好きだよ」

「そう、じゃあ、その好きをもっと増やして」

「増えないよ、そんなに」

「増えるよ。もっといっぱいまで」

「・・・・・・」

「俺も咲良が大好きなんだから」

奏空が笑顔で言う。

「だから一緒にいよう?」

「・・・・・・」

「ね?」

年下なんて嫌なのに、奏空だとハマっていきそうで怖い・・・。

「奏空・・・私、奏空よりだいぶ年が上で・・・奏空はまだデビューしたてで・・・まだまだこれから何だよ。いずれ必ず私が邪魔になるよ」

「邪魔になんかならないよ」

「なるんだって!そう言う人結構見てきたよ。付き合ってても人気がだんだん出てくると、恋人なんてうざったくなるんだよ。だってまわりには綺麗な女が山ほどいるんだもの。そっちの方がいいに紀決まってるでしょ?」」

「俺はね、ならないんだよ。咲良がいいから」

「・・・奏空にはまだわかんないか・・・」

咲良は言うのを諦めた。十八歳のこれからという奏空にはわからなくて当然だ。

「わかるよ」といきなり奏空が言った。

「わかってないよ」

「わかってる」

奏空が口づけてきた。キスをしながら咲良は意識がだんだん遠のいてしまった。

  

朝目覚めると奏空が先に目を開けていた。

「おはよ」と奏空が言う。

「おはよ」

咲良もそう言ってから「何時?」と聞いた。

「うーんと・・・もうすぐ九時だよ」と奏空が自分のスマホを見ている。

「そう・・・」とまた目を閉じた。どうせ元旦に行くところもないし、やる事もなかった。

目を閉じると奏空が口づけてきた。それから胸を触られる。そのまま無視していると更にどんどん盛り上がって奏空が口づけてきた。目を閉じて感じていると、不意に利成とのセックスを思い出した。もしこの手が彼の手だったら・・・。そう思ったら急に感じた。利成の愛撫やキス、囁く声・・・そのすべてに自分は反応していた。奏空を通して利成を感じていつもより声を上げた。愛しい思いが溢れた。

そして事が終わって奏空が言った。

「咲良・・・そんなに利成さんが好き?」

(え?)と思った。

「な、何で?」

「今、俺のこと見てくれてなかった・・・」

「やだな、そんなことないよ」

「・・・・・・」

奏空が黙ったまま見つめてくる。咲良は心を見透かされているようで目をそらした。

「どうしたら利成さんのこと忘れてくれるのかな・・・」

奏空が言う。

「だからもう忘れてるって」

「忘れてないよ。今、利成さんのこと思ってたでしょ?」

(何でわかるんだろう・・・)と思った。勘が良いのは利成もそうだった。

「・・・正直言うと、完全に忘れてはないかも・・・。だから奏空、こんな女と別れた方がいいよ」

「”こんな女”って言わないで。俺が苦しい」

「何で奏空が苦しいの?」

「・・・・・・」

奏空が黙ってしまったので咲良は起き上がった。

「もう起きようか?」と咲良が言っても奏空は黙ったままだ。

「どうしたの?」

「咲良、俺さ今すごく悲しいよ」

「悲しいって?何で?」

「咲良が自分に嘘ばかりついてるから」

「私が?嘘なんてついてないよ。ほんとのこと言ったじゃない?」

「咲良は全然ほんとのこと言ってないよ」

奏空がそう言って起き上がった。そして「ちょっとトイレ行くね」と部屋を出て行った。

──  咲良は全然ほんとのこと言ってないよ 。

奏空の言葉が耳に残りながら咲良は着替えを手に浴室に行った。

確かに利成のことを考えてしまった。好きということより、身体がもう利成に慣らされているのだ。奏空だと物足りなさをどうしても感じてしまう。

シャワーから出ると奏空がぼんやりとテレビを眺めていた。

「シャワー使う?」と咲良が聞くと「ん・・・そうだね」と奏空が立ち上がった。

奏空がシャワーを使っている間、何か食べ物がないかと冷蔵庫を開けてみた。どうせ一人だと思っていたので何も入っていない。

(あー・・・どうしようかな・・・)

奏空がシャワーから出てきたので「何にも食べるものないけどどうする?」と聞いた。

「何か買ってこようか?」と奏空が言う。

「いいよ、私が買ってくるから。コンビニしかないけど」

「一緒に行こうよ」

「だからそれは無理でしょ?」

「無理じゃないよ」

「奏空、自覚なさすぎ」

「自覚って?」

「自分がアイドルやってるっていう自覚だよ」

「俺はやりたいことやってるだけだよ。アイドルっていうガチガチの着ぐるみ着てるわけじゃない」

「はぁ・・・やっぱお子様だな」

咲良はドカッとロータイプのソファに座った。

「何?お子様って」と奏空が下着姿のまま隣に座ってくる。

「お子様ってわかんない?子供ってことだよ。世間の厳しさ知らないってこと。親にびちびち守られてるもんね。仕方ないか」

「親って?利成さんのこと?」

「そうだよ。それとお母さんにもね」

「ハハ・・・」と急に奏空が笑ったので咲良は奏空の顔を見た。

「何かおかしい?」

「おかしいよ。明希は俺が守ってるんだもん」

「はぁ?」と思いっきり呆れた。「バカじゃない?」と続けて咲良は言った。

「バカとは何よ?」と奏空が不機嫌な声を出した。

「親に守られてるってわからないの?」

「咲良こそ、俺が守ってるってわからない?」

「誰を?奏空のお母さんを?」

「明希も、それと咲良もだよ」

「は?奏空になんて守ってもらってないよ。自分のことは自分でやってる」

「・・・そうだね。生活は咲良が自分でやってるよね」

「そうだよ。誰にも守ってもらってない」

「でも、俺は咲良を守ってるよ」

「だから・・・」と奏空の顔を見ると、ひどく真剣な顔をしていたので咲良は口をつぐんでしまった。

(守るってどういうこと?)と考えてみる。

「精神的にって意味じゃないよね?」

「それとも違うよ」

「じゃあ、わかんないよ」

「うん・・・いいよ、今は」

「あんたって不思議な子だね」

本当にそう思う。

「そうかな?」

「そうだよ」

「・・・咲良のことすごく好きだよ」

「・・・・・・」

真剣な声と笑顔・・・。

「奏空は利成とは全然似てないね」

「ハハ・・・。そうだよ?やっと気がついた?」

「うん・・・」

 

結局、一緒に来るというので仕方なく奏空と一緒に近所のコンビニまで行った。

「飲み物、何がいい?」と奏空が聞いてくる。

「んー・・・まあ、お茶でいいよ」

「お酒はいいの?」

「お酒・・・チューハイでも買っておく?」

「うん」と奏空が適当にチューハイの缶をカゴに入れている。

「食べるものはどうするの?」

「ん・・・適当に買お」とおにぎりや総菜をカゴに入れた。

咲良がレジに並んでいると奏空のスマホが鳴って、奏空が店から出て行ってスマホを耳に当てている。どうやら電話がきたらしい。

会計を済ませて咲良が表に出ると、奏空がちょうど通話を切った。

「電話?仕事とか?」

「違うよ。家から」

「お母さん?」

「そう」

「帰る?」

「何で帰るの?」

「だって電話ってそういう電話でしょ?」

「違うよ。いつ帰るかって聞かれただけ」

「そう?いつ帰る?」

「まだ帰らないよ」

「そう」

 

アパートに戻って朝食兼昼食を取った。

「ねえ、咲良。一緒に住まない?」といきなり奏空が言ってくる。

「そんなわけにはいかないでしょ?バカ言わないでよ」

「またすぐ”バカ”って・・・。本気だよ?」

「バカだよ。一緒に住んでどうするの?」

「・・・時期を見て結婚しよ」

「あーほんと!奏空ってバカすぎる」

咲良は大声で言うと立ち上がってキッチンに行った。そして今日買ってきた缶チューハイを冷蔵庫から出した。それをそのままキッチンで開けて一口飲んだ。

「咲良、知ってる?利成さんも学生のうちに明希と一緒に暮らしたんだよ」と居間から奏空が言う。

「利成が?」

「そう。まだ大学生のうちに明希と暮らして、ソロデビューした直後に明希が妊娠して結婚したんだよ」

「デビューした直後に?利成がそう言ったの?」

「そうだよ」

「へぇ・・・」と何だか感心した。そこから今日まで離婚もせずにきたなんて・・・と思う。

「利成さんがそうだからってわけじゃないけど、そういうのも有りってことだよ」

「そうだね。でもそれはあくまでも利成の場合。奏空とはまた話が違うよ」

「どう違う?」

「利成はアイドル路線じゃないし・・・ある意味私生活も売りだったでしょ?でも、奏空は違う。アイドルに求められているのはそういう私生活じゃないでしょ?」

「何求めてるの?」

「わかるでしょ?それくらい。奏空もそうなりたくてアイドルになったんでしょ?」

「何求めてるか・・・全員が違うでしょ?でも、咲良のいうこともわかるよ。ちなみに、俺はそうなりたかったからアイドルになったわけじゃないよ」

「じゃあ、何でよ?」とチューハイを手に居間に戻って座った。

「一番派手派手しくやれるからかな?マニアックな利成さんみたいなのより一般受けするから」

「じゃあ、より多くの人に見てもらいたいってことでしょ?」

「そうだね。そういうのもあるよ」

「じゃあ、自分が注目されたいからでしょ?そうなりたいってことだよ」

「んー・・・咲良に説明難しいな・・・」

「何か格好つけてるだけじゃない?モテてちやほやされて、承認欲求も満たされてお金も入る。皆そう思って芸能界に来るのよ」

「そうかな・・・そういう部分ももちろんあるね」

「ほら、奏空にもあるでしょ?」

「んーないわけじゃないけど・・・。でもね、咲良にちやほやされたいな」

「ふうん・・・一人でいいの?」

「基本的に人は独りだよ?」

「あー意味通じてないわ」とチューハイの残りを飲み干した。

「もう帰ったら?家から電話来てたでしょ?」

咲良が時計を見ると、時刻は午後二時半だった。

「まだ時間あるじゃん。一緒にいようよ」

「・・・私、田舎に帰るからね」

「そう・・・」

「だからもう今日で別れて」

「まあ・・・その話はまた後日しようよ」

「やだ!もういいの。別れて」

やけくそになって言ったのは、やっぱり一緒にいるのが辛くなってきていたからだった。どうしても別れのことを考えてしまう。

「咲良、ちょっと来て」と手招きされる。

「うるさいな・・・」

「じゃあ、俺が行くよ」と奏空がそばにきて抱きしめてきた。

「・・・もういいから、ほんとに」

「うん・・・」と腕に力を込める奏空・・・。その温もりを感じながら別れたくないなと思ってしまう。

結局そのまま居間で今日二回目のセックスをしてしまう。ああ、意志が弱いんだからと自分に腹が立つ。

「今度は俺のこと見てくれたよね?」と終わった後奏空に言われる。

「・・・今朝だって奏空のこと見てたよ」

「またまた・・・違うでしょ?」

「違わない」

咲良は居間の固い床から起き上がった。そして下着をつける。

「咲良ってすごい綺麗だね」と奏空も起き上がってくる。

「はいはい、ありがと。綺麗な人なら芸能界山ほどいるから」

「何でそんな素直じゃないの?」

「素直だよ?」とTシャツに袖を通す。「奏空も早く着なよ。風邪ひくよ?」

「大丈夫だよ」

咲良は奏空を見つめた。奏空の方がずっと綺麗だと思った。それはもちろん容姿だけのことではない。

(ほんとに田舎に戻ろう)と思う。これ以上は辛いだけだ。

「ほんともう家に帰りなよ」

咲良は言った。

「やだ」と言いながら服を着る奏空。その不貞腐れた顔を見ていたら何だか「プッ」と吹き出してしまった。

「何さ?」と尚更不機嫌そうな顔を奏空がする。

「何でもないよ。じゃあ、いていいよ」と咲良が言うと「うん」とパッと嬉しそうな表情になる奏空は、ちっとも利成には似てないなと思った。

「ほんと俺、咲良が好きだな」と奏空が嬉しそうにつぶやいていた。


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