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フローライト第十話

利成が結婚していたことや、子供が死産したことが週刊誌に載った。利成は何も言わなかったけれど、たまたまコンビニに行った時に週刊誌の見出しを見て気がついた。その週刊誌も一緒に購入してアトリエに戻った。

ネットで検索すると山ほど利成のことが出てきた。どうしていままで気がつかなかったのだろう。自分の疎さにうんざりした。

それに合わせてこのアトリエのマンションの前にも記者が現れるようになった。死産だったけど出産は出産で明希の身体はまだ本調子ではなかった。それを心配した利成が言った。

「明希、少しの間実家に戻っていたらどうだろう?」

「・・・ん・・・」

うつむいて曖昧に頷くと、利成が明希が買ってきた週刊誌に気づいた。そしてそれをめくって自分の記事を読んでいる。そこには利成が結婚していたことと子供が死産したことの他に、二人が幼馴染だったことまで載っていた。

「明希のお父さんにも謝りに行かなきゃ」

週刊誌をテーブルに置くと利成が言った。

「そんなのいいよ」

「いや、迷惑かけちゃってるから」

 

身の回りのものだけ持って利成の車に送られて実家に戻った。また父と父の妻と一緒に暮らすのは嫌だったけれど仕方がなかった。あのアトリエにいたら利成に迷惑がかかるのだ。

父と利成が二人で話していた。義理の母親も父の隣で利成の話を聞いている。話が終ると元自分の部屋にいた明希のところに利成が来た。

「明希、じゃあ戻るね」

それを聞いて寂しくて涙が浮かんだ。すると利成が明希を抱きしめてきた。

「大丈夫だから・・・すぐまた迎えに来る。明希は身体早く治るように無理しないようにね」

「うん・・・早く来てね」

涙が溢れた。不安でしょうがなかった。

「うん」

利成が口づけてきてからまた明希の身体を抱きしめた。

 

すぐと利成は言ったけれど、なかなか明希はあのアトリエに戻れなかった。利成が結婚していたことがそんなに大変なことなのだろうか?父は「もう、利成君と別れろ」と言ってきた。

「言い方は悪いが、子供もダメになったんだし、ちょうど頃合いだろう?」と父がすこし険しい顔でそう言った。

明希は利成と別れたくなかったが、自分のせいで利成に迷惑がかかっているならそれも嫌だった。夜ベッドに一人になった時、お腹に赤ちゃんがいた頃を思い出して泣いた。ひとりぼっちだと思った。

実家に戻って三か月も経った頃、家で仕事をしていたらラインが来た。明希は最近は家での勤務を再開していた。

<久しぶり、元気?ていうか大丈夫?>

それは翔太からだった。どのくらいぶりだろう。

<元気といえば元気。翔太は?>

<元気だよ。テレビやネットみたよ。すっかり明希も有名人だね。体調大丈夫?>

<大丈夫>

テレビ?テレビまでに出てたとは知らなかった。翔太は今別なバンドでギターをしながら作曲をしていると言う。

<天城みたいに売れてないけどね>

そうラインがきた後、<電話していい?>と聞かれた。

<いいよ>と答えるとすぐに電話が鳴って「明希、大丈夫?」と懐かしい声が聞こえた。

「大丈夫・・・」

ほんとはあまり大丈夫だとも言えなかったけれど・・・。

「今はあの家?」

「ううん、実家にいる」

「え?そうなんだ。何で?」

「んー・・・色々あって・・・」

「そっか。仕事は?」

「家でやってる」

「そうなんだ・・・」

そこでちょっと会話が途切れた。

「もう今年も終わるね」と翔太が先に口を開いた。

ほんとにそうだった。本当だったら今頃子供もいて利成と三人でいれたかもしれないのに・・・。そう思うと涙が出て来た。

「・・・そうだね・・・」

「ちょっとだけ会えない?」

「・・・いいけど・・・」

「外には出れるの?」

「出れるけど・・・あんまり遠くは行けない」

「俺のうち来る?」

「えっ?翔太の?」

「うん、俺今一人で暮らしてるから。車もあるから迎えに行くよ」

「・・・でも・・・」

翔太と二人きりは少し怖かったし、ダメなんじゃないかと思った。

それを察したのか翔太が「何にもしないよ」と少し笑った。

「ん・・・」

それでも迷っていると翔太が言った。

「前の時は酔ってて・・・ほんとごめん・・・」

「ううん・・・それはもういいよ」

「じゃあ、迎えに行くから」

翔太が明日でも迎えに行くと言って電話を切った。

 

次の日の夜に翔太が迎えに来た。父はまだ仕事でいなかったので、義理の母に出かけると言って出た。この母は何も言わない。どこにいくのとも、いつ帰るのかとも・・・。

「久しぶり」と助手席に乗り込むと翔太が言った。

「ん・・・久しぶり・・・」

シートベルトを締めながら答えた。

「明希はあんまり変わらないね」

「ん、まあ・・・」

翔太の家は四階建てのアパートの三階部分の一室だった。中に入ると居間とキッチンともう一つ奥に部屋があった。

「狭いけど、どうぞ」と翔太が言う。

「翔太は一人なの?」

床に座りながら聞いた。翔太ならきっと新しい彼女がいるんじゃないかと思った。

「一人って?一人暮らしかってこと?」

「うん・・・その彼女とかは?」

「いないよ」

「そうなの?」

「うん。明希、何飲む?身体はもういいの?」

「うん、大丈夫。お茶でいい」

「そう?じゃあ、暖かいの入れるね」

もう師走時、翔太の部屋は少し寒い気がした。そう思ったら翔太が「寒くない?ちょっと暖房大きくするね」と言った。翔太は昔からすごく気づく人なのだ。

お茶を飲みながら今までのことを少し話した。翔太はバンドと作曲とアルバイトで何とかやってるという。

「ほんとはバイトやめたいんだけどね。バンドもなかなかね、天城みたく売れればいいんだけど」と翔太が笑った。

「翔太のバンドってネットで見れる?」

「うん、見る?」と翔太がスマホを開いた。

「はい」と翔太のスマホを渡された。

四人組のバンドでボーカルは女性だった。

「翔太は歌わないの?」

「うん、たまにライブでは歌うけど、メインは彼女だよ」

「そうなんだ」

「天城はもうバンドはやめてるんだろ?」

「うん、そうみたい」

「明希は○○(バンド名)はまだ好きなの?」

「うん、好きだよ」

「そっか。・・・明希のユーチューブ、あれからたまに聴いてたよ」

「えっ・・・ほんと?」

(ほんとに?恥ずかしい・・・)

「うん、最近は全然やらなくなったんだね」

「うん・・・そんな気持ちになれなくて・・・」

「そっか・・・色々あったもんな」

翔太がそこで黙った。ほんと色々あったな・・・と明希も思った。翔太と付き合っていた時は楽しかった。あのトラウマを除いては・・・。

暫し思い出にふけってしまう。高校の時の思い出やその後初めて行った旅行・・・。

(でもあの後からやっぱり少しずつダメになっていった・・・)

ぼんやりしていたら翔太がいつのまにか明希の隣に来ていて肩を抱かれた。

「明希、もう俺のこと嫌い?」

「・・・翔太のことは好きだよ」

「・・・俺も明希のこと好きだよ」

「ん、ありがと・・・」

「天城とは別れんの?」

そんなことを聞かれてびっくりする。

「えっ?何で?」

「ネットで見たよ。離婚の危機って」

(え・・・?)

「そんなこと書いてあった?」

「うん・・・」

(そんな・・・そんなの知らない・・・利成は何も言ってなかった)

「別れるなら俺とつきあって」

翔太が言った。

「・・・別れないよ・・・」

(でも・・・利成がそう思っていたら?)

翔太が黙っている。明希はどんどん不安になって来て、利成に今すぐ聞きたい衝動にかられた。

「翔太、今日はもう帰る」

そう言って翔太から離れた。

「・・・じゃあ、送るよ」

翔太もそう言って立ち上がった。

 

翔太に家の前まで送ってもらって部屋に戻ると、もう夜の十時近かった。利成が帰っているかわからなかったけどラインをしてみた。

<お疲れ様。今日は遅い?遅くてもいいから話したいんだけど>

そうラインを入れておいた。

ずっと利成の帰りを待っているうちにうとうとしてしまった。なので夜中の一時頃電話が鳴ってびっくりして跳ね起きた。

「も、もしもし?」

「明希?どうした?何かあった?」

利成の優しい声・・・。離婚の危機なんて嘘だよね?

「あの・・・利成と私・・・」

そこで言葉が続かなくなった。

「何?」

「その・・・離婚ってほんと?」

怖かったけどやっと言った。言ったら涙が出て来た。

「離婚って?誰のこと?」

「私と利成・・・」

「え?俺と明希?何でそんな話・・・離婚なんてしないよ」

「ほんとに?」

少しホッとした。

「そんなこと誰が言ったの?」

「その・・・翔太が・・・」

「翔太?」

利成がちょっと黙ってから続けた。

「翔太って夏目?」

「うん・・・今日ちょっとだけ会って・・・ネットで離婚の危機って書いてあるって言われて・・・」

「・・・そう。夏目とはまだつながってたの?」

(あ・・・)と思った。利成の口調が少し咎めるような口調に聞こえたからだ。

「その・・・急にラインがきて・・・でも、今日初めてだよ。つながってたわけじゃないから」

「そう。それでネットの話し、夏目がしたんだね」

「うん・・・」

利成がちょっと黙った。明希はどうしようと思った。やっぱりいつまでも元カレとつながってるなんておかしいよね・・・。

「明希、明日そっちに行くよ」

「え?ここに?」

「うん、最近忙しくてなかなか行けてなかったし・・・連絡も毎日できなくてごめん」

「そんなのいいよ。忙しいんだから」

「そっちに行ってちゃんと話すよ。これからどうするか」

「これから?」

また少し不安になる。これからって・・・何かあるのだろうか。

「もちろん離婚なんて絶対ないから安心して」

利成がそう言ったので、また少しホッとする。

「うん・・・」

「じゃあ、行く時連絡するね。おやすみ」

「おやすみなさい」

 

次の日の夜、利成が明希の実家に来た。利成の顔を何週間ぶりに見たら泣きそうになった。利成が玄関に迎えに出た明希を見て、靴を脱いでからすぐに 義理の母もいるのに その場で抱きしめてくれた。そして「ごめんね、なかなか来れなくて」と言った。

二人で二階に上がって明希の部屋に入った。二人で向かい合わせに床の絨毯の上に座った。

「明希、あそこ引っ越すことにしたよ」

「え?あのアトリエ?」

「うん、新しいマンション買ったから」

「えっ?!」と驚いた。

「買ったの?」

「うん、ごめん、明希に相談しないで勝手に決めて」

「ううん、そんなのいいけど・・・」

「仕事とそのことでバタバタしてて、すっかり明希のこと迎えに来るの遅くなっちゃったよ」

「ううん・・・利成は忙しんだから仕方ないよ」

「そんなことないよ。身体はどう?」

「もう大丈夫だよ」

「そう。良かった」

明希が笑顔をつくると、利成が明希のところまできて抱きしめてきた。利成の温もりにものすごく安心した。

「明日迎えに来るから、準備しておいて」

あきは驚いて利成の顔を見た。

「ほんとは年明けにでも迎えに来ようと思ってたんだけど、明希のこと不安にさせてるみたいだから早めたよ。新しいマンションまだぐちゃぐちゃだけど来てくれる?」

それを聞いて涙が出て来た。利成はいつでも自分のことを考えてくれているのだ。

「うん・・・」と言って利成に抱きついた。ようやくまた利成と暮らせると思うと嬉しかった。

 

次の日の夜、利成が迎えに来た。父と少し奥の父の部屋で話してから利成が「行こう」と明希の部屋に来た。

「うん・・・」と立ち上がった。

「忘れ物ない?」と利成に言われて部屋の中を見回した。パソコンはもう先に車に積んであった。

「うん、大丈夫」

玄関に行くと父と義理の母が待っていた。

「明希、身体気をつけろよ」と父が言った。

「うん、ありがとう」

父が少し心配そうな顔をしていた。

「じゃあ、お父さんとお母さん、お世話になりました」と利成が言うと、父がうなずいて「利成君、明希のこと頼むな」と言った。

何だか不安そうな父親の顔を見て、そんな父を見るのは初めてだなと明希は思った。父はいつでも強気なことしか言わなかったし、明希の結婚の時だってそんな不安そうな顔はしなかった。

「お父さん、ありがとう。またね」と明希が言うと、父が「しっかりやれよ」といつもの顔に戻って言った。

 

マンションは街中に立っていた。前のアトリエは目の前に川があってどちらかというと自然が多かった。

「最上階だから」と利成が言う。エレベーターもプライベートエレベーターだった。

「えー・・・すごい・・・広い・・・」

エレベーターから降りて部屋に入ると明希は言った。リビングの広さがあのアトリエの倍以上あった。部屋も前のところより多い。洗面所に行ってみると、二つも洗面台があったので驚いた。

「気に入った?」と利成に聞かれた。これで気に入らない人なんかいるのだろうか?

「もちろん」と笑顔で言うと、利成が嬉しそうに笑顔を見せてから言った。

「寝室も見てよ」

「うん」

寝室も広かった。部屋にはダブルベッドがあった。

「あーダブルだね」と明希はベッドに座った。もう色々夢みたいだった。

「良かった、明希が気に入ってくれて」

利成も明希の隣に座った。

「もうこんなすごいところ気に入らないわけないよ」

「そっか。・・・今まで一人にしてごめんね」

利成がそう言って明希の肩を抱いた。

「ん・・・こっちこそごめんね。・・・赤ちゃんのこと・・・」

そう言ったら利成が肩から手を離し、明希の身体を自分の方に向かせた。

「明希、明希のせいじゃないよ」

「でも・・・」

「いい?明希は何でも自分のせいにしちゃうところがあるから・・・そういうところが悪いわけじゃないけど、他人に利用されちゃったりすることもあるんだよ・・・例えばその元カレの夏目とかね」

そう言われてハッとして明希は顔を上げて利成を見た。利成はいつもより真剣な目をしていた。

「翔太に?」

「そうだよ」

「どうして?」

「彼は明希とどうなりたいんだと思う?」

「それは・・・」

──  別れるなら俺とつきあって ・・・。

翔太の言葉を思い出す。

「思い当たる事ある?」

「うん・・・つきあってほしいって・・・利成と別れたら・・・」

「・・・・・・」

利成が黙りこんだ。明希はやっぱり翔太と会わなければよかったと後悔した。少し沈黙した後、利成が口を開いた。

「明希は昔から何でも我慢しちゃってて、本当の気持ちもわからなくなるくらい我慢しちゃってるところがあったよ」

「・・・・・・」

「でも明希が自分で考えて自分で決めたことでもあるから、それは俺にとっても大事なことでね」

「うん・・・」

「だから「大丈夫?」って聞いて、大丈夫じゃないのに明希が「大丈夫」って答えても黙ってたんだ」

(え?)と思った。あの頃、男子にいじめられて物凄く我慢していた小学生の頃、利成はよく「大丈夫?」と聞いてくれた。でもいつも「大丈夫」だと答えた。誰かに助けを求めようとする発想自体なかったのだ。

「でもこないだね、その夏目のことを聞いて思ったよ」

「・・・・・・」

「時には言わないと、俺が明希を守らないと、また明希をひどい目にあわせてしまうかもしれないってね」

「・・・ひどい目?」

「前にあのアトリエで夏目にされたようなことだよ」

「・・・翔太は酔ってたって・・・」

「そう。確かに酔ってたね。でも今回は?」

「酔ってないけど、されてもいない・・・」

「・・・・・・」

「ごめんね、どっちにしても私が出かけて行ったのが悪いから・・・」

「どこへ行ったの?」

「その・・・翔太の家に・・・」

「彼は一人暮らし?」

「うん・・・」

「・・・・・・」

そう言ったらまた利成が黙った。ああ、やっぱりそうだよね。一人暮らしの男性の部屋に上がるなんて・・・ダメだったよね。

「そうか、やっぱり言わないとダメだな」と利成が呟いた。

「何を言うの?」

「もう明希に連絡するのをやめてもらう」

「・・・翔太に言うの?」

「そうだよ」

そう言って利成が立ち上がった。それから「こっちに来て」と言われた。

リビングには大きめのダイニングテーブルが置かれてあった。これも新しいものだ。そこに座ってから利成が「明希も座って」と言った。

「明希が自分で言う?もう連絡しないでって。そして彼のラインを削除する」

(え?)と思った。利成が明希に対して命令みたいな言い方をしたことは初めてだった。

「もし明希が言えないなら俺が言うよ」

利成の有無を言わせない調子を感じた。

「自分で言うよ」

「そう。じゃあ、今電話をかけて」

「電話?」

「そう。ちゃんと伝えて」

「うん・・・」とスマホを取り出して翔太に電話をかけた。呼び出し音が数回なってから翔太が出た。

「もしもし?」

「・・・あの・・・」

「明希?どうかした?」

「あの・・・翔太・・・あのね・・・」

言えなかった。やっぱり翔太のことを傷つけたくなかった。明希はやっぱり翔太のことも好きだったのだ。

あの高校の頃からの思い出がよみがえる。

(翔太・・・)

「もしもし?明希?」

翔太の声が響いた。

「翔太・・・」

「ん・・・ほんとどうした?何かあったの?」

「その・・・・・・翔太と・・・」

そこでまた言えなくなる。涙が溢れて来た。

「明希?」と翔太が言う。

(やっぱり言えない・・・翔太も好き・・・)

スマホを握りしめたまま何も言えずにいると、利成が「明希、スマホ貸して」と言った。

黙って利成に渡した。

「もしもし?」と利成が翔太に向かって言っている。それからもう明希に連絡しないで欲しいと言っているのが聞こえた。

明希は寂しくて涙がこぼれた。でも何でだろうと思った。利成がいるのに・・・。

「じゃあね」と利成が通話を切った。それから「明希」と呼ばれる。明希は涙を手で拭った。

「夏目、わかってくれたから。ラインも削除するよ」

「うん・・・」

利成がスマホを操作してから明希にスマホを返してきた。

「ごめんね。明希は彼のことが好きだったんだよね」

「・・・・・・」

「だから俺も今まで許してた」

そういわれてハッとして利成を見た。利成はわかってて黙ってたのだろうか・・・。

「でもこれからは言わないといけない時は言うことにするよ」

「うん・・・」

 

その夜、前とは違うダブルベッドに上で利成は少し余裕のなさそうに明希に触れてきた。明希は利成に抱かれながら時々脳裏に翔太のことが思い出されて慌てて打ち消した。

いつも優しくて、何よりも明希の気持ちを第一に考えてくれて、けして押し付けるような言い方をしてきたことのなかった利成があんな風に言ってきたのは、よほどのことだったのだろうと少し経ってから思った。

 

そして再び二人での生活が始まった。利成は相変わらず忙しくてあまり一緒に過ごせなかったけど、それでもわずかな時間でも家にいる時は明希のことを優先してくれた。

明希は再び会社に出社するようになった。仕事はやっぱり続けたかった。そうでなければこのそびえたつ都会の中のマンションの最上階で、明希はひとりどう過ごせばいいかわからなかった。

利成がたまにテレビに出たりするときは、ああ、有名人なんだなと実感もあったけど、普段はいつも通りの利成で、あのテレビの中の利成は別人なんじゃないかしらなどと思ったりした。

そうして再び冬が過ぎ春が過ぎて夏に突入した頃、ネットのニュースを開いてたまたま利成のことが出ていたのでそのニュースを開いてみた。

(え?)と思った。利成が女性とホテルから出てくる写真が出ていた。しかもあきらかに隠し撮りといった感じだ。でも、利成に限ってあり得ないと思った。でも、やっぱり不安もある。

何せ利成は大学出てすぐに明希と結婚した。まだ利成も明希も二十二歳だった。しかも利成の人気は一気に上がって今のところ留まることを知らなかった。そんな利成を女性が放っておくわけないと思った。妊娠で少し盛り上がったけれど結局子供は死産、利成だって気持ちが重くなっただろう。それにそもそも子供が出来なかったら、利成だってあんなに早くに明希と結婚したりしなかっただろう。

(もしかしたら他に女の人がいても不思議じゃないのかも・・・だってあんなに優しいんだもの・・・他の人にだってきっと優しい・・・)

悲しかったけど、もしこの記事が本当だったとしてもしょうがないのかもと思った。

グズグズとそんなことを考えて泣いていたが、ふとユーチューブを開いた。昔の自分の歌を聴いているうちに久しぶりに歌いたくなった。

時刻は夜の七時になろうとしていたけれど、利成はどうせ今日も遅いだろうと出かける準備をした。いつもだいたいカラオケ屋で録っていたのだ。

このマンションから繁華街は近かったのですぐにカラオケ屋に到着した。いつも同じバンドの歌を歌っていたけれど、違う曲を選んでみようと思って利成の歌を見つけた。

(利成ってほんとに有名人になっちゃったんだな・・・)と今更ながら思った。

明希にとっては利成がどれだけ売れようと、どれだけ人気が出ようと、あまり関係なかった。それより本当は一緒に過ごしたかった。

(利成の歌・・・結構難しい・・・)

何回も練習しているうちに疲れてきて、今日は録るのをやめようと思った。ハッとして時間を見ると、もう夜の十時を過ぎていた。

(帰ろう)と立ち上がってカラオケ屋を出た。

もう夜中なのにネオンと共に人が増えたみたいだった。繁華街だったので歩いていると酔っ払いに声をかけられたりして怖くなって少し早足で歩いていたら、曲がり角で前から走って来た自転車にぶつかって転んでしまった。

なのにその自転車の主は謝るどころか「ちっ」と舌打ちしてそのまま自転車で去って行った。

(痛っ・・・)

倒れた拍子に膝をぶつけてストッキングが破れていた。その場にしゃがみこんだまま膝を見ていると、「あらら、大丈夫?」と呼び込みの男性に声をかけられた。

「だ、大丈夫です」と焦って明希は立ち上がった。

「でも血が出てるよ。お店においでよ。手当してあげるよ」とその男性が明希の膝をみながら言った。

「い、いいえ。大丈夫です」と明希は焦ってその男性から離れようと踵を返した。背中にその男性の視線を感じて急ぎ足で歩いた。そしてそのうち走り出してようやくマンションに着いたのは十一時近かった。

エレベーターの中で涙が出てきた。前のアトリエの方が良かったなと思った。あそこは静かだった。

部屋に戻ると利成が帰っていて、明希が玄関に入るとすぐに利成が玄関まで来た。手にはスマホを持っていた。

「明希、どこ行ってたの?今、電話しようと思ってたところ」

「ごめん・・・カラオケ屋さんに行ってたの」

「カラオケ?一人で?」

「うん・・・でも、自転車にひかれちゃって・・・」と目線を自分の膝に向けたら、利成も明希の膝を見た。

「血が出てる。他は大丈夫だったの?」

「うん・・・」

「見せてごらん」と言われてリビングで破れたストッキングを脱いだ。

「消毒しないと」

利成が隣の部屋に入って行く。リビングの隣にある部屋は、とりあえず物置のようになっていた。

「一人で行ったら危ないよ」と膝を消毒液で消毒されながら利成に言われた。

「うん・・・」

「昔もあったね。膝擦りむいて」

「あ・・・利成覚えてるの?」

「覚えてるよ」

そう言って利成が絆創膏を貼ってくれた。

「一緒にコンビニに行ったじゃない?」と利成が絆創膏と消毒液を片付けながら言った。

「うん。それで帰って来て利成が家から絆創膏持ってきてくれたんだよね」

「そうだね」

「それから次の日だっけ?一緒に市役所に絵を見に行ったんだよね」

「そうだね。あの時は前の日ドキドキしてたよ」

「えっ?利成が?」

「うん。明希と一緒に行けるから緊張してたよ」

「えー・・・嘘でしょう?利成は全然そんな感じじゃなかったよ」

「ハハ・・・そう?」

 

利成はいつも通りだった。他に女の人がいるなんて信じられなかった。なので迷いつつもその日ベッドに二人で入った時に、黙っていられなくなって聞いてしまった。

「あのね・・・利成?」

「ん?」と目を閉じていた利成が目を開ける。

「その・・・」とまた言いよどむ・・・。

(ああ、いつもはっきり何で言えないんだろう・・・)

「・・・・・・」

利成は黙っている。

「あのニュースね・・・本当?」

ようやく言った。

「ニュース?」

「うん・・・」

「何の?」

「あの・・・ネットのニュースで・・・利成のことが出てたの」

「ネット?どれ?見せて」と言われたので明希はスマホを取りだして検索した。さっきの記事を見つけて利成にスマホを見せた。利成がその記事を見ている。

「明希は本当だと思うの?」

「・・・わかんない。だって利成はまだまだ私だけって嫌でしょう?色んな人がいるんだもの・・・」

「明希の癖だろうけど、そうやって自分に価値がないような言い方するのは」

利成がスマホを明希に返してまたベッドに横になった。

「少しずつやめようよ」

「何を?」

「そういう口癖」

「口癖なのかな・・・でも、本当にそう思うんだけど・・・」

「そう、じゃあわかった。あの記事は明希は本当だと思うんだね?」

「・・・だからわかんない」

「考えてみて」

「何を?」

「あの記事が本当かどうかだよ」

「だからわからない。私のことじゃないでしょ?利成のことなんだもん。本当かどうかなんてわからないよ」

「そうか・・・」

利成が珍しくふさいだ声を出した。

「利成?」

「明希と二人でよく絵を描いたよね」と利成がいきなり違う話をしだした。

「うん・・・」

「明希はよくオレンジ色使ってたんだよ。覚えてる?」

「え・・・そうだっけ・・・」

「そう。何でその色ばかり?って聞いたら、「好きだから」ってめちゃくちゃ可愛い笑顔で言われた」

「えー・・・覚えてない」

「ハハ・・・そうだろうなぁ・・・だってその後から明希はうちに来なくなったものね」

「そうだっけ?何でかな」

「多分、男子たちにからかわれたんだよ」

「男子に?それも覚えてない」

「んー・・・そうか」と抱きしめてくる利成。

何かはぐらかされてるような・・・?

「明希とこうしていられてほんとに幸せなんだよって話し」

「私も幸せだよ・・・」

そう言ったら利成が嬉しそうな笑顔になってから口づけてきた。

「明希は俺にとってオレンジ色のキャンバス・・・」

利成の言葉にあの綺麗なオレンジ色のキャンバスを思い出した。

「前のアトリエにあったあのオレンジ色のキャンバスは?どこに行ったんだっけ?」

「どこかにあるよ」

「後、利成が描いてくれた私の絵は?」

「んー・・・それもあるよ」

「じゃあ、探そう」

「うん、多分奥の荷物の中だよ」

「そっか、まだあそこ片付けてないもんね」

「ん・・・」とまた明希に口づけてくる利成が言った。

「・・・また子供作ろうか?」

「え?でも・・・」

「欲しくない?」

「・・・欲しいけど・・・」

「不安?」

「うん・・・」

正直不安を通り越して恐怖だった。もしまたああなったら?

「大丈夫だよ」

「・・・利成、私の質問はぐらしてる・・・」

「ハハ・・・そうだっけ?答えたよ」

「答えてないよ。昔の話ししただけで・・・」

「それが答え」

「・・・何か意味わからない」

「ハハ・・・」と利成がただ笑った。ほんとに意味がわからない。でも・・・。

「私もすごく幸せ・・・」と利成に自分から口づけた。

「ん・・・」と利成が深く口づけてきた。

(子供・・・欲しいな・・・)不意に思った。怖いけど、やっぱり欲しいな・・・。

 


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