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フローライト第三十七話

明希が家出してから一週間経ったが、明希はまだ帰ってこなかった。奏空が明希の実家に連絡してみたが、実家にはいないと言う。

(どこに行っちゃったんだろう・・・)

咲良は不安になったが、どうしようもできない。とりあえずはマンションに美園を連れて帰宅した。

ある日咲良が洗濯物を洗濯機から出して干そうとベランダに行こうとしてギョッとして立ち止まった。美園がベランダの柵のあたりに立っていたのだ。

「美園」と驚かさないように咲良は小声で呼んでから近づいた。ベランダの柵は子供が通れるような隙間はなかったが、何故か咲良の心臓はドクドクと鳴った。

「美園・・・」と咲良は美園を抱きしめた。落ちることはないと思うが、どうやってベランダの窓を開けてここまできたのだろう。

 

奏空が帰宅した夜に咲良は今日のことを言った。

「ベランダの窓が開いてたんじゃないの?」と奏空が美園を抱きながら言う。

「開いてないよ。ちゃんと確認してから行ったもの」

「そうか・・・」と奏空が考えるような顔をした。

「どっちにしても、今度からしっかり鍵も閉めるわ」と咲良は言った。

「そうだね」

そしてそれからは気をつけて、キッチンで食事の支度をしながらチラチラと美園を見ていたのに、ほんの一瞬だけ咲良が目を離したすきに、美園の姿が見えなくなった。

咲良は焦ってリビングを探したが美園はいない。ドアを開けたのだろうかと咲良は廊下に出て寝室に入った。美園が寝室のベッドの上にいる。

「美園?どうやって上ったの?」

ベッドの高さはわりとある。咲良はどうやって美園が上ったのか不思議だった。その日も夜にそのことを奏空に言うと「そうか・・・それはもう目が離せないね」と奏空も言う。

そして明希が家出して三週間が経った。それでも明希は戻ってないと言う。ただ時々利成とラインはしてると言うので咲良はホッとした。

奏空が利成に用事があると言うので、夜に利成のところに美園を連れて咲良も一緒に行った。

利成と奏空が仕事部屋に入ってしまって、美園もミルクを飲みながら寝てしまったので、咲良は手持ち無沙汰になりキッチンを片付けたりした。そんなに汚れてはなかったが、やはり明希がいないとそれなりには片付けが必要な感じだった。

浴室の方に行くと洗濯物が溢れていた。

(えー・・・これ、どうする気だろ・・・)

仕方ないので咲良は溢れている洗濯物をそのまま全部洗濯機に突っ込んだ。それから以前利成が足を悪くしていた時に使っていた部屋に入ってみた。特にその部屋は変わらず片付いていた。その部屋の隅にあるクローゼットが少し開いていたので、咲良は中に入ってそのクローゼットの扉を閉めようとして何気なく上の棚を見た。そこには雑誌のようなものが積まれている。何気なく手を伸ばして取ってみたらそれは週刊誌だった。

(あ・・・)と思う。それはかなり古い週刊誌で色褪せていた。でも表紙には利成の名前がある。

(これって・・・)

昔の利成の記事だった。噂になった女性遍歴まで載っている。他の雑誌もすべて利成の記事が載っているものだった。

(明希さん・・・)

明希がこれを捨てずに持っていたのはどうしてだろう・・・。何十年も我慢していたのは何故なんだろう?咲良にはわからなかった。自分ならそんな我慢などしない。

(明希さん、今どこにいるんだろう・・・)

実家でもなく三週間も隠れていられるのだろうか?ホテルを渡り歩いているとか?

雑誌を元に戻してクローゼットを閉めた。部屋を出てリビングに戻ると、奏空がソファに座って足元にはタオルケットの上に寝かされている美園がいた。

「もう終わったの?」と咲良が聞くと「ん、まあね」と奏空が言う。

「洗濯物酷かったから洗濯機に突っ込んだよ」

「洗濯物?そんなもの放っておけばいいのに」

「でも、何かね・・・」

「じゃあ、後は利成さんにやらせなよ・・・美園、寝ちゃったね」

「うん・・・どうする?帰る?」

「美園、起きちゃうか・・・」

「んー・・・まあ、起きてもいいけどね。とりあえず利成に洗濯のこと言ってくる」

「オッケー。気をつけてね」と奏空が言う。

「・・・・・・」

奏空の言葉には答えずにそのまま二階への階段を上がった。

”気をつけてね”って・・・。

利成の仕事部屋をノックすると、利成の声がすぐ「はい」と聞こえた。

「洗濯してるんだけど・・・できたら干すか、乾燥機に入れておいて」と咲良はドアを開けて言った。

「洗濯?俺のってこと?」

「そうだよ。かなり溜まってたよ」

「そうか、やってくれたんだ」

「うん、明希さん、まだ帰るって連絡ないの?」

「帰るっていうのはないよ。でも時々は連絡きてるよ」

「そう・・・」

咲良はうつむいた。明希が今どこでどうしているのか・・・いつも気になっていた。

「明希の居場所、大体見当ついてるから咲良はほんとに気にしなくていいんだよ」

「見当って?どこにいるか利成は知ってるの?」

咲良は驚いて聞いた。

「・・・知ってるわけじゃないよ。多分そこかなって程度」

「どこなの?」

「昔、俺がバンド組んでたの知ってる?」

「若い頃組んでたのは知ってるよ」

「その時の奴で明希と親しかった奴がいてね」

「そうなの?でもまさかそれ男性じゃないよね?」

「いや、男だよ」

「え?じゃあ、違うよ。明希さんはそんなことしないでしょ」

「そうだね・・・咲良から見れば明希はそう見えるだろうね」

「利成から見てもそうでしょ?明希さんは・・・」

そこまで言って、奏空から聞いた明希の元カレの話を思い出した。

「・・・俺は今は明希に任せてるからね。ここに戻るも戻らないも、明希が決めればいいことだよ」

「そんなのおかしいよ。いるところの見当ついてるなら、迎えに行くべきだよ。明希さんだってわざとだよ。利成に来て欲しいんだよ」

「そうだねぇ・・・どうかな?」

「そうだよ。どこなの?その人のところは」

「聞いてどうするの?」

「私が迎えに行くよ」

そう言ったら利成がきょとんとした顔をした。それから「咲良が?」と「アハハ・・・」と笑い出した。

「また?!笑い事じゃないから。私にも責任があるんだし、私が行くから場所教えて」

「連絡先なら知ってるよ。今も仕事で関わってるからね」

「じゃあ、連絡先教えて。聞くだけ聞いてみる」

「そう?じゃあ、教えるから俺のそばまで来て」

「・・・何で?」

「何でも」

「そこから教えてよ。ラインにでも送って」

「ここに来てくれなきゃ送らないよ」と利成は冷静な表情だ。

咲良は仕方なく利成のそばまで行った。そして「じゃあ、送っておいてね」と部屋から出ようとドアの方に視線を向けた途端、腕をつかまれあっという間に床に押し倒された。それから無理矢理唇を重ねてくる利成に、咲良はそのまま動けなくなった。

「咲良って正直で好きだよ」と利成が言う。

「やめてよ。私、本当に明希さんに・・・」言いかけるとまた唇を重ねられた。利成の手が咲良の胸をまさぐる。

「ちょっと!真面目にやめてよ」と咲良は焦った。階下に奏空がいるのに。

「明希に何て言う気?」

「利成が帰って来て欲しいって言ってるって伝えるよ」

「そう・・・でも、明希は信じないだろうね」

「そんなことない」

「残念だけど、咲良より明希の方が俺のこと知ってるからね」

「・・・・・・」

「でも、咲良の身体はいつも俺のこと欲しがってるでしょ?」

そう言われてズボンのボタンを外されてチャックを下ろされる。

「私・・・わかんないよ。利成と明希さんってどうなってるの?」

「さあ・・・俺は明希のことを大事に思ってるよ。一緒にいて欲しいと思ってる・・・」

「じゃあ、今すぐ迎えに・・・」

利成の手が下着の中に入ってきて咲良の身体がビクッとけいれんした。

「でも、咲良も一緒にいて欲しいと思ってる・・・」

「変なこと言わないで・・・」

その時利成のスマホが鳴った。利成が咲良から身体を離して、机の上にあるスマホに手を伸ばした。

「はい?・・・・・・・」

利成が返事だけして後はずっと黙っている。

「いいよ、オッケー」と利成が通話を切った。

「残念だけど、奏空がもう降りてこいって」と利成が言った。

「え?今の奏空?」

「そうだよ」

 

咲良がズボンを直して階下に降りると、「だから気を付けてって言ったのに」と奏空が言った。

「何もないよ」と咲良は良く寝ている美園の顔を見つめた。

「何だか咲良と利成さんと明希で絡まっちゃってるみたいだね。しかも利成さん、わざと絡めてるから質が悪い」

「わざと?」

「そうだよ。わざと。楽しんでるみたいだけど、ほんとに明希に捨てられるよ、そのうちに」

「わざと絡めるって・・・意味がわからない。それに利成ったら明希さんの行先見当ついてるって・・・だったら迎えに行きなよって言ったんだよ」

「んー・・・明希がついに切れちゃったからなぁ・・・厳しいところだね」

「私が行くから。奏空が知ってるなら教えて」

「俺も知らないよ。利成さんだけだと思うよ」

「・・・・・・」

結局その明希がいるかもしれないという場所の連絡先はわからず、奏空が「もう気にしないでいなよ」と言う。そうなのかもしれない。これは自分のことではなく、利成と明希の夫婦だけの問題なのかもしれない。

そして次の週、咲良は明希が利成のところに戻って来たということを奏空から聞いたのだった。


奏空の結婚や子供の騒ぎがあった後も、奏空のグループも、また奏空自身の人気も落ち込むことはなかった。それは奏空の人柄と、やはりそこは利成の子供であるということも若干影響していたのかもしれない。

明希は一か月近く家出をしていたが、利成のところに戻って来た。戻ってきてからの明希の方が咲良には明るく見えた。利成は特に何も語らず、通常通りの様子だった。

美園を明希は可愛がってくれて、咲良は少し狐につままれたような不思議な感覚がしていたが、それも徐々に薄れていった。咲良は今では明希のことも好きだったのだ。

美園の一歳の誕生日をしようと、明希が天城家に呼んでくれた。奏空は相変わらず忙しくて帰宅が遅くなるというので、先に誕生日のお祝いをした。明希が利成と自分からだとプレゼントをくれた。

「わ、可愛い」

美園の服でピンクのフリルが可愛い有名なブランドのものだった。

「ありがとうございます」と咲良が言うと、美園も真似をして頭を下げて皆が笑った。

利成が仕事部屋に入ってしまうと、明希が紅茶を入れてくれた。それから一緒にリビングで話した。

「・・・あのね、色々私も考えたんだけどね・・・」と明希が美園を抱きながら言う。

「利成ともう二十年以上こうして一緒に暮らしてきて、本当に楽しかったし、利成のことずっとすごく好きなのも変わらないのね・・・」

「・・・はい・・・」と咲良はうつむいた。

明希がこれから何を言おうとしているのかわからなかった。

「人はそれぞれ自分独自のフィルターがあって・・・そのフィルターってどんな考えや経験や思いがあるかってことなんだけど・・・皆そのフィルターから物事を見ているんだって・・・昔、利成に教えてもらったことがあるの・・・」

「フィルター?」

「そう、皆その個人個人の違ったフィルターからしか物事を見れないんだって・・・最初は意味がわからなかったんだけど・・・だんだんその意味がわかるようになったわ」

「そうなんですか・・・」

「私、昔男性恐怖症だったのよ・・・」

「・・・・・・」

「正直言うと、セックス恐怖症だったのね」と明希が言うので咲良はハッとして顔を上げた。明希は自分のトラウマの話をしているのだと気づいたからだ。

「初めて付き合った男の子から強姦まがいのされ方をして・・・それからしばらくの間そうだったの・・・。それでその後つきあった大好きだった彼から振られちゃって・・・その時にちょうど利成に再会したの・・・あ、私たち幼馴染だったってことは知ってる?」

「はい・・・聞きました」

「うん、それで昔から知ってる利成となら大丈夫かと思ったんだけど、やっぱりダメで・・・でも、利成がそれを多分・・・一年がかりくらいで治してくれたのよ」

「え?と・・・天城さんが?」

「そうなの・・・本当に辛抱強く相手をしてくれて・・・。あれがなかったら私、まだ結婚もしてなかったかもしれない」

「そうだったんですか・・・」

「うん・・・咲良さん、利成が好きでしょう?」

いきなり明希に聞かれて咲良は返事に困った。すると明希が微笑んで「正直に言っていいんだよ」と言った。

「・・・はい・・・」と咲良は答えた。本当は今も利成が好きだった。

「そうだよね・・・咲良さんのこと、私ほんとは知ってたんだよ」

「え?」と咲良は驚いて明希の顔を見つめた。

「二年間付き合った人って咲良さんなんでしょ?」

明希は微笑んでいた。

「・・・はい・・・」と咲良はまたうつむいた。

「そのこと自体を週刊誌で知った時はほんとにショックで・・・。何でかと言うとね、今までどんな人とも情を持ったことはないって、それだけは言い切れるって利成は言っていたのよ。でも、二年もつきあったって知って・・・今回は違うんじゃないかって思ったら、多分もう自分には無理だ、利成を許せないって思ったの・・・」

「・・・・・・」

「でも、奏空がね、私にも問題があるって・・・利成ばかりが私を愛してくれていて、私は利成にそれをちゃんと伝えてないって・・・その時まだ中学三年生の奏空に諭されたの」

「え?中学生?」

「うん、そう」と明希は面白そうに答えた。

「私の男性恐怖症って、セックスのトラウマのせいばかりじゃなくて・・・どうやら子供の頃の父との関係の中で育ったしまったみたいで・・・小学校、中学校の頃、よく男の子にいじめられてたの。でもずっと我慢していた。我慢しなければいけないと思ってたの。我慢しないと父に捨てられる・・・弱い子はきっと捨てられるって・・・」

「・・・・・・」

咲良は自分の父親のことを思い出した。咲良は父との交流自体がほとんどないので、何も思い出すこともなかった。

「利成に父との話しをされて、私も最初わからなかったんだけど、色々思い当たることもあって・・・。結婚してからもずっと我慢をしていた・・・ほんと無意識だったの・・・我慢してるつもりもなかったのに、利成に元カレのことを言われて・・・」

「元カレ?」

「うん、高校の時につきあった人で、私の恐怖症のせいで別れてしまった人なんだけど・・・その人への思いがなかなか断ち切れなくて・・・でも、それもね、やっぱり父との関係が尾を引いてるって・・・」

「・・・・・・」

「そうかな・・・って・・・。でも、その彼のことはほんとに長い間尾を引いてしまって・・・。自分でも本当に嫌になっちゃった」

そう言って明希が肩をすくめた。明希の腕の中でいつのまにか美園が眠ってしまっていた。明希は美園をソファの上に寝かせてタオルケットを上からかけた。

「・・・利成が好きなのに、その彼も好きなのよ・・・利成が言うには、セックス恐怖症で別れになったことが余程の心残りになってしまっているのだから、その彼とセックスすればそんな思いも消えるって・・・」

「・・・・・・」

「そんな話で、何度か離婚されそうになったんだ」と明希が紅茶を一口飲んでから続けた。

「でも私、利成が好きだったのよ。別れたくなかった。でも、その元カレも好きなのよ。その彼とは連絡が切れたり復活したりを繰り返していて・・・。でも、完全に切れなかったの・・・」

「・・・・・・」

「もちろん、付き合う気も利成が言うセックスして心残りを晴らすなんて気もなかったのよ・・・。私はもっと狡い考えだったの」

「狡い考えって・・・」

咲良が聞くと明希は微笑んで咲良を見つめた。何だろう、明希がとても自信が溢れているかのように咲良には見えた。

「その元彼も結婚して子供ができたり・・・ていうか、子供ができて結婚したんだけど・・・その後に会った時に、一度でいいから俺のものになって欲しいって言われたの・・・でも、もちろんオーケーしなかった。そんなことをしたら、利成から離婚されることがわかっていたからなんだけど・・・それ以外にもあったの」

「・・・それ以外・・・」

「そう、元彼は私の身体にこだわっていた。自分が手放した直後に利成に取られた、おまけに利成とは出来てるって聞いて、余計に執着したみたいで・・・だからこそ、お互い連絡を完全に断つことができなかった・・・私、それを利用したの」

「利用?」

「そう。私のことずっと思ってて欲しかった・・・だって私はその彼が本当に好きだったのよ。・・・だからずっと私にこだわって執着していて欲しかった・・・だからしなかった」

「・・・・・・」

「私の身体だけへの執着だとしても、未完のままならきっと私のことを忘れないだろうって・・・そう思ったの。でも、きっとこれは自分がセックスができないからって・・・それだけの理由で私を捨てたという恨みだっのかもしれない・・・って、つい最近気づいたの」と明希がまた紅茶を飲んだ。

咲良はかつて利成に復讐したい気持ちに捕らわれていて、明希を傷つけようと考えていた自分のことを思った。

「その元彼は今も音楽活動していて、本当にたまにだけど、ラインをくれたり、こっちからしたりね・・・でも、結局私はその彼とは身体の関係は持たなかったんだ・・・」

「・・・・・・」

「相手がまだ執着してるかどうかはわからないけど、時間があまりにも経って・・・奏空が生まれて、私ももうこだわらなくなっててね・・・」

「・・・・・・」

「そんな時、利成と咲良さんのこと知ったの・・・」

明希がそこで一呼吸置いた。咲良は紅茶のカップを手に取って一口飲んだ。

「知った直後は、今までの利成に対しての思いが一気にこみ上げてきて、あまりのショックで立っていられなくなった。私が自殺未遂みたいなことをした時に、利成は言ったのよ「もう他の人とはセックスしないから」って」

「自殺未遂・・・って?」と咲良は驚いて明希の顔を見た。明希は少し目を見開いてからまた穏やかな表情に戻ってから口を開いた。

「・・・利成が色んな人と関係を持つのは、やっぱり私に問題があるんだって・・・子供を二回も死産しちゃって、私は女として欠陥品なんだ・・・だから利成だって我慢して私といるんだって・・・そう思ったら自分でもわけがわからなくなって・・・気が付いたらキッチンで自分の腕を切りつけていたの」

「・・・・・・」

「利成の目の前だったから、その後利成と救急病院に行ったの・・・傷がかなり深くて出血が止まらなかったから・・・」

明希が少し動いた美園の方に目線を向けた。それからまた続けた。

「そのことがあって利成が言ったのよ。「もう他の人とはしない、約束する」って・・・・・・その言葉通り、しばらくは利成は誰とも関係を持たずにいたと思う・・・でも、奏空も大きくなってその約束はきっともう時効何だろうなって思った」

「・・・・・・」

「でも、どんどん湧き上がってくる憎しみや恨みに耐えられなくなって・・・そんな時に奏空に助けられたわけなんだけど・・・奏空が咲良さんを連れてきて、その時はまだ気が付いてなかったんだけど、あの奏空と咲良さんが週刊誌に載って・・・うちに来た時があったでしょ?」

「はい・・・」

「あの時、利成が咲良さんのことを否定したのよ。私は内心びっくりした。今までどんな記事に対しても否定も肯定もしなかったのに・・・何でだろうって・・・」

「・・・・・・」

「それで古い週刊誌を引っ張り出してみた。そしたら咲良さんのことが書かれてて、奏空が利成と、かつてつきあった人を好きになったんだって気づいたのよ」

咲良はうつむいた。明希に対していたたまれない思いになったからだった。

「だけどどうしていいかわからなかった・・・でもこのまま、また我慢しているだけでいいんだろうか・・・って思ったら、それは違うって思ったんだ・・・」

「・・・・・・」

「利成と話したんだけど、結局利成は咲良さんのことに対してははっきり言わなかった。奏空も「それは明希の問題」だって・・・」

「奏空にも話したんですか?」

「うん・・・本気で離婚を考えたから・・・。だけど利成から言われたの・・・「もう明希もやりたいことや思いが残ってることを消化(昇華)していくことを考えたら?」って」

「・・・・・・」

「「明希のことが大事だし、ずっと一緒にいたい。だから他の人と寝ても、情があったとしても、明希への思いが減るわけでも変化したわけでもない。この瞬間瞬間を俺はただ消化(昇華)しているだけだよ」って・・・。「明希はいつも過去から物事を見て未来をどうしようかばかり考えてるから、目の前の一瞬を知らないできたんだよ」って・・・」

(目の前の一瞬・・・)

だけどそれは利成の都合のいい言い訳じゃないだろうか・・・?と咲良は思った。

「目の前の一瞬・・・今の私がやりたいことや知りたいことは何だろう・・・利成が誰といつ関係を持って・・・それを知って裁判官のように決断を下すことだとしたら・・・一体なんの為だろう・・・そう考えてみたら、確かに過去の経験から利成を見て、未来の自分の安息のために相手を裁こうとしてる・・・」

「・・・・・・」

「咲良さんはまだ若いからわからないかもしれないけど・・・ここまで来てね、あるかもわからない未来のために、この一瞬をそんなことに費やしていいのかな・・・もっとやりたいことや、心残りなことがあるんじゃないかなって・・・そう思ったの」

「・・・・・・」

「・・・利成が怪我をした時、咲良さんにきてもらってたでしょ?」

「あ、はい・・・」

「咲良さん、私のこと怪訝そうに見ていてね・・・」と明希が少し笑った。明希は咲良の思いに気が付いていたのだ。

「でも少し意地悪もはいっちゃったのかな・・・」と少し思い出すように明希は視線を壁の方に向けた。

「咲良さんがね、まだまだ思いを残しているように思えて・・・というか、私もそういう経験者だから咲良さんの思いもわかったっていうか・・・。でも、もちろん私は利成と別れる気はなかったし、利成もそういう気はないわけで・・・。利成は私のこと愛してくれてるってわかってたしね・・・。だからといって咲良さんの為だけに、あの時頼んだわけじゃないのよ。咲良さんは気が付いてたと思うけど、私ね、他にも好きな人がいるのよ」

「え・・・?」

俄かには信じられない咲良は、驚いた表情で明希の優しい微笑みを見つめた。

「あ、元彼じゃなくね・・・利成と昔バンド組んでた時の人の一人で・・・年下なんだけど・・・この家に引っ越す時も手伝ってくれて・・・奏空が生まれてからも時々手伝ってくれてたの。彼はまだ独身なんだけど・・・あ、つきあってたわけでも身体の関係があったわけでもないのよ」

「そうなんですか・・・」

「うん、利成のこと責められない自分だって気が付いたわ・・・すっかり自分のことは棚に上げてね、利成のことばかり責める気持ちだったの。利成は気づいてて一度もそんな私を責めたことはなかったのに・・・」

「・・・・・・」

「”思い残したことを消化(昇華)する”まず、これをやろうって・・・思って・・・。それで咲良さんに利成を預けてその彼のところに行ってたのよ」

「じゃあ・・・天城さんはそのこと知ってたんですか?」

「多分ね・・・知ってて黙認してた。それと咲良さんは利成を求めてたでしょう?私も昔元カレの時にそうだったからわかったのよ」と明希は少し楽しそうに肩をすくめた。

「素直に一樹・・・あ、一樹君っていうんだけど、その彼のところに行ったら、罪悪感じゃなくて気持ちがすっきりしてきた。ああ、なんだ・・・私は一樹を好きだけど、利成も好き・・・それでいいのかなって思えたんだよ。一樹はずっと私のことを思ってくれてて・・・それはそれでいいんだって・・・前は、私よりたくさん素敵な子がいるんだから早く結婚しなよって言ってたんだけどね」

「それじゃ・・・前の時も?」

「うん、彼のところにずっといたの・・・ごめんなさい、美園がまだ大変な時期なのに手伝わなくて・・・」

「そんなことは全然いいです。でも・・・私・・・」

咲良が躊躇してうつむくと明希が言った。

「・・・美園のこと?」

そう聞かれて咲良は驚いて顔を上げた。

「咲良さん、物凄く気にして私の顔も見れない様子だったから・・・ああ、そうか美園は利成の子なんだなって・・・」

(あ・・・)と咲良はうつむいた。自分の態度が逆に明希に気づかせてしまったのだ。

「不思議とね、あまりショックじゃなかったのよ。だって自分が咲良さんと利成をくっつけて出かけたりしたのだから。奏空からは文句言われたけどね」

「え?奏空から?」

「そうなの。奏空は本当に咲良さんが好きみたいで、でも、咲良さんが利成にばかり思いを寄せてるってため息をついてたよ」

「・・・・・・」

「奏空は不思議な子なのよ。全部わかってるっていうか・・・全部あらかじめ知ってるの。利成みたくなるんじゃなくて、アイドルになりたいって言った時も、「俺は光を届けたいから」って・・・その時は意味がわからなかったけど、今はね、あの子が”光”そのものなんだって思ってるんだ」

「光そのもの・・・」

「そう。あの子が言うには私も咲良さんも”光”だって。利成は深い闇を持っているから・・・そこをもう少し理解してあげてって言うのよ」

「・・・・・・」

咲良が考えていると「ごめんね、意味わからないでしょ?実は私もなの」と肩をすくめて笑顔になった。

「あの・・・じゃあ、明希さんは美園が利成の子だって知っても・・・私のことを・・・」

そう咲良が言ったら明希が少し微笑んだ。

「咲良さんの気持ちわかるから・・・利成が誰を一番好きなのかとか、情があるとかないとか・・・そしてまだ割り切れてない思いも、嫉妬心や憎しみも、全部私も持っているの・・・。そのことに気づけば、許すも許さないもないんだって・・・。私も利成への恨みや憎しみから一樹のところに行ったんじゃなく、今の気持ちに従っただけで・・・。そのことに気づくために、私には咲良さんが必要だったのよ」

明希はずっと穏やかな口調だった。咲良はそれを聞いていて涙が溢れてきた。

「明希さん・・・」

「咲良さん、明日はもうここにこうしていられないかもしれないし、今この瞬間にも消えてしまうかもしれない人生なら、今ここにある思いだけしかないも同然だし、そうして選んだことに”間違い”なんてないと最近は思うの・・・」

「明希さん・・・」

咲良は溢れてくる涙に何も言えなかった。

「奏空と美園をよろしくね」

そう言う明希の言葉に咲良はうなずくのが精一杯だった。


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