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フローライト第二十七話

中学に入ると奏空は急にサッカーをやりたいとサッカー部に入った。それまでスポーツには、あまり興味がなさそうだったので明希は少し驚いた。

けれどそれを聞いた利成の母が反対した。どうやら奏空の才能をみて、将来は奏者にと考えているようだった。

日曜の昼間に家に訪れた利成の母は明希に言った。

「スポーツはダメよ。怪我の元」

「でも・・・本人がやりたがっていて・・・」

「それを阻止するのが親の役目でしょ?子供の言いなりはダメよ」

「はぁ・・・」

「今日は奏空は?」

「ちょっと遊びに行ってます」

「そう・・・とにかくまず明希さんから言って。麻美さんもそう言ってるって私の名前出してもいいから」

「はぁ・・・わかりました」

 

そういうことで絶対言うことを聞かないだろうと思い、明希はその日の夜利成が帰宅した後に言うことにした。

「奏空?」と奏空の部屋のドアを開けると、奏空がベッドに寝転んで本を読んでいた。

「何?」と本から視線は本を見つめたまま奏空が答えた。

「あのね、今日麻美さんが来たんだけど・・・」

「ん・・・」と視線はあくまでも本に向けられている。

「スポーツはやめなさいって・・・」

「ふうん・・・」とやっぱり本を見ている。

「何か本格的にレッスンをさせたいらしいよ」

「へえ・・・」とまったく聞いている様子がない。

「どうする?」と明希が聞くと、ようやく奏空が起き上がって本を閉じた。

「どうするって何?」

「だからサッカー、やめれる?」

「何でやめなきゃならない?」

「だから・・・聞いていた?」

「聞いてたよ」

「麻美さん、あなたのことプロにしたいみたいなのよ」

「へぇ・・・何のプロ?」

「だからピアノに決まってるでしょ」

「ハハ・・・」と急に笑い出す奏空。

「バカじゃない?」とそして続ける。

「バカとはなによ?」

「バカはバカ。明希のことだよ?」

(は???)

「ひどい、親に向かってバカとは何よ?」

「バカはバカ!」と奏空が大声で言って部屋を出て行く。

「ちょっと、奏空?!」と明希が追いかけると「わっ、バカが追いかけてくる」と大袈裟にリビングの方に逃げていく。

「奏空!!」と明希は大声で言いながら奏空の後を追いかけてリビングに入った。

すると奏空がちゃっかりと利成の隣に座って、一緒にパソコンをのぞきこんでいた。明希が大声をだしたので利成が顔を上げた。

「もう!奏空?」

明希が言っても奏空が知らんふりなので、利成が「どうかした?」と二人を見比べた。

「奏空ったら私のことバカだって」

そう言うと利成が奏空の顔を見た。奏空は平然とパソコンをのぞき込んだままだ。

「利成からも注意して。そもそも利成のお母さんが、奏空にサッカーやめさせなさいっていうのが発端なんだから」

「麻美さんがそう言ったの?」

「そう」

「そうか、まあ、そんなのは構わなくていいよ」

「そうもいかないでしょ?私がまた言われちゃう」

イライラとした調子で言ったら「明希、まず深呼吸して」と利成に言われる。

(もう・・・)

「いいよ、もう」と明希はリビングから出て寝室に行った。

(二人してバカにしてるんだから)と腹が立つ。

明希はベッドに入って頭まで布団を被った。自分ばかり最近奏空に怒っているのだ。利成はいつも家にいないからわからないのだと思う。

カッカきながら布団の中にうずくまっていたら寝室のドアが開く音がした。

「明希」と利成の声が聞こえてベッドに座る気配がした。

「麻美さんの話は気にしなくていいよ。俺から言っておくから」

「・・・・・・」

黙っていると急に布団の上からギュッと体重をかけられた。

明希が「重い」と言うと「明希、ごめん」と今度は奏空の声が聞こえた。

「バカって言ったの悪かった」

「ほんとにそう思ってる?」

「うん。思ってるよ。だから出てきて」と明るい奏空の声が響く。

明希が布団から顔を出すと、奏空が急に頬にキスをしてきた。

「明希、愛してる」と言う奏空。

(ちょっとそれ、利成の真似だよね?)と思い利成の顔を見ると、もう完全に笑いをかみ殺したような表情をしていた。

「利成?」と明希が咎めるように言うと「ん?」と表情を何とか取り繕っている。

「じゃあ、お母さんにはちゃんと言っておいてね」

「わかったよ」と今度は利成が頬にキスをしてきた。

「ちょっと二人してバカにしてる?」

「してないよ」と利成が明希の頬を撫でた。

「じゃあ、俺もう風呂入るね」と奏空が寝室から出て行った。

「はぁ・・・」と奏空が部屋から出て行くと明希はため息をついた。最近奏空に振り回されっぱなしだ。

「明希は可愛いね」と利成が言う。

「また?バカにして!」と明希は布団の中に潜った。

「ごめん、ごめん、バカになんてしてないから」と利成が笑いながら謝ってくる。

「・・・知らない」

「奏空、ユーチューブで歌ってるらしいよ」

(え?)と明希は布団から顔を出した。

「ほんと?」

「うん、本人が教えてくれたよ」と利成が笑顔で言う。

「見たの?」

「まだ見てないよ」

「なんてアカウント?」

「SORAだって」

「何それ、そのまんま?」

「そう」と利成も笑っている。

明希はスマホを開いて検索した。ピアノを弾きながら歌っている奏空が映る。曲は聴いたことがなかった。横から利成ものぞいてくる。

「いつのまに取ってたんだろ?これうちのピアノだよね?」

「そうだね」

「曲も知らないし・・・」

「多分それ奏空のオリジナルだよ」

「え?あの子が作ったの?」

「そうだと思うよ」

「えー・・・そうなんだ・・・」

テンポのいい曲だったが、どこかアンバランス?

「何だかでたらめっぽいけど・・・?」

「デタラメっぽいけど、ちゃんとできてるよ」

「そうなの?」

暫し奏空の曲を聴いた。

(ああ、何だか昔の利成を思い出す・・・)

「利成の昔のユーチューブ思い出すね」

「そう?」

「うん、何か懐かし気持ちになる」

「ん・・・明希のユーチューブはどうしたの?」

「私のはそのままだよ」

「そうか・・・」

子供の成長を追いかけているうちに、今を見失うなんてことはよくあることだ。ユーチューブの歌が縁で利成と再会できたことを思い出した。

「何だか奏空のほうが大人みたいだよね・・・」とぽつりと言ったら、利成が「明希はいつまでも素直で純粋だからね」と言った。

「純粋?」

「そう、心が綺麗ってことだよ」

「そんなことないのに・・・」

「奏空もそれをわかっててわざとなんだよ」

「わざと?それじゃ利成とおんなじじゃない」

「ハハハ・・・そう?」

「もう、いつも大変なのは私なんだから」

「そうだね。ごめんね」と利成が口づけてきた。そのままベッドの上に倒されて更に口づけられる。・・・といきなり「んんっ」と咳払いが聞こえた。利成が身体を起こすと開いていたドアの前に奏空が立っていた。

「あのさー仲良いのはいいけど、年頃の息子がいるんだから少し考えて」

奏空が少し呆れ顔で言っているのを見て利成が吹きだした。

「そうか、ごめんね」と利成が言うと「お風呂いいよ」と奏空は言って自分の部屋の方へ行った。

その背中を見送ってから「やっぱ奏空は面白いな」と利成が言った。


奏空は中学二年になった。担任の先生が言うには、すごく女の子に人気があるという。

「女の子ですか?」と個人の懇談の時に聞いた。

「そうなんですよ。天城君はすごく優しいのと何でも悩み相談みたいのに答えてて・・・」

「悩み相談?」

「そうです。まあ、今のところトラブルはないようなので、私も黙認してますが・・・」

「はぁ・・・」

 

(女の子か・・・)とそんな話があって夏休みに入った。奏空は暑い中、部活だと言って学校に行っていた。

その日コンビニに入って何気なく雑誌のコーナーを見て(え?)と思う。

<天城利成 女優○○との二年越しの不倫愛>

(・・・・・・)

言葉がなかった。けれど明希はその週刊誌を購入して家に戻った。そして家でその雑誌をめくってみる。

<かねてから噂のあった女優朝倉咲良との不倫愛とは>

(かねてから?)

昔、利成が明希以外とはもうセックスをしないからと言っていたことを思い出す。あれはもう時効ということか・・・。

(でも、二年も?・・・知らぬ顔で?)

もうやだ・・・と思う。

若い時に利成の女性関係には心底疲れた。まだ正直トラウマだった。

夕方奏空が帰宅した。明希は何となくぼんやりとテレビを眺めていた。利成の記事を読んで一気に力が抜けて、何だか何もやる気がしなかった。

「明希、ただいま」と耳元で言われてハッとする。

「あ、おかえり」と言うと、奏空が怪訝そうな顔をした。それからテレビを見て「歌番つけていい?」と言った。

「いいよ」と明希が答えると、奏空が明希の隣に座ってリモコンでチャンネルを変えた。

(あ・・・)とテレビを見た。そこには翔太のバンドのsee-throughが映っていた。

「今日はsee-throughの皆さんのデビュー当時からを振り返ってみたいと思います」と司会者が言う。若い頃のsee-throughが映ると「へぇ・・・最初はこんなんだったんだ」と奏空が言った。

(翔太・・・)

テレビの中の若い翔太が一瞬映る。ああ、もうあれからどのくらい経ったのだろう・・・。そして翔太とはそのくらい会ってないのだろう・・・。

翔太も再婚して子供がいると言う話は一樹から聞いた。それ以来特に何の話もないので、きっと今度は上手くやっているのだろう。

急に涙が浮かんで、明希は慌てて奏空にわからないようにと立ち上がって、リビングからキッチンへ行った。

(食事の支度をしなければ・・・)

そう思うのに次から次へと涙が溢れて立っていられなくなった。

(利成を信じていたのに、どうして?)そう思うと苦しくて息ができなかった。

「明希?」と奏空がキッチンに来る。

明希がシンクの下でうずくまっているのを見て「どうしたの?!」とそばまできてしゃがみこんだ。

「大丈夫・・・」と明希は答えた。奏空にはわからないようにしなければ・・・。週刊誌は寝室に隠してある。

「具合悪いの?」

奏空が心配そうに明希の顔をのぞきこんできた。

「大丈夫・・・でも、ちょっと横になるね」

そう言って立ち上がろうとしたら、奏空が明希の身体を支えてきた。最近身体つきもしっかりしてきた奏空の身長は、もう明希を追い越していた。

寝室のベッドまで奏空に支えられる。それから奏空が明希の額に手を当ててきた。

「熱はないみたいだね」と奏空が言う。

「うん・・・少し横になれば治るよ。ごめんね」

「いいよ。寝てて。何かあったらスマホで呼んで」

「うん・・・」

明希は寝室を出て行く奏空の背中を見送ると、またどっと涙が溢れた。若い時のように、もうそういう面ではタフさがなくなっていた。利成の女性関係をもう許せるか自信がない。

それでもウトウトしたらしい。不意に額の手の温もりで明希は目を開けた。

「明希?大丈夫?」と心配そうな奏空の顔が見えた。

「ん・・・大丈夫・・・。今、何時?」

「八時半過ぎ」

「え?」とベッドの上に起き上がった。

「ごめん、すぐご飯作るね。お腹空いたでしょう?」

「大丈夫、俺が作ったから」と言う奏空の言葉に驚いた。

「奏空が?」

「うん」

 

キッチンに行くと、シチューが鍋に煮込まれていて、ご飯も炊きあがっていた。

「奏空が作ったの?よく作り方わかったね」とシチューの鍋をのぞく。

「うん、だってシチューの元の箱の後ろに書いてあったよ」

明希はまな板と包丁と切られた野菜の皮なんかがシンクの上にあるのを見て「包丁も使えたの?」と聞いた。今までお手伝い程度にはしてくれたけれど、全部一人で作ったのは初めてだ。

「うん、野菜くらいは切れるよ」

「そうなんだ・・・ありがとう」と明希が言うと「どういたしまして」と奏空が笑顔になった。

 

それから奏空が作ったシチューを一緒に食べていると利成が帰宅した。

「あ、おかえり。早いね」と奏空が言った。最近はずっと利成の帰りが夜中だったのだ。

「ただいま」と利成が言い、明希にも「ただいま、明希」と言った。

「おかえりなさい・・・」と明希はうつむいたまま言った。奏空の視線を感じたがどうしようもなかった。

「利成さんはご飯食べる?」と奏空が明希の代わりに聞いている。

「うん、食べるよ」と利成の声は明るい。

奏空が立ち上がってキッチンに行った。明希はリビングのソファで郵便物をチェックしている利成をチラッと見てから立ち上がった。それから食べ終わったシチューの皿を手にキッチンに行く。

「具合大丈夫?」と利成のためにシチューを皿によそう奏空が言った。

「大丈夫・・・でも、ごめん。片付けは後からするからおいておいてね」

「うん、そんなの気にしないでよ」

「ありがとう」

明希はそういうとキッチンからリビングを通って寝室に行った。

ベッドに座ってこれからどうしようと思う。利成に聞く?でもその答えが本当かどうかなんてわからないし、もしあっさり「そうだよ」なんて言われたら絶対に立ち直れない。

考え込んでいると寝室のドアが開いて利成が顔を出した。

「具合悪いんだって?」と利成が明希の隣に座ってくる。

「ん・・・でも大丈夫」

そういうと奏空と同じように利成も明希の額に手を当ててきた。

「熱は?」

「ないよ」

「そう。じゃあ、頭が痛い?」

「ううん・・・何となくだるいだけ」

「そうか・・・じゃあ、先に寝てなよ」

「ん・・・」

利成が布団をめくってから明希の肩に手を触れた時、思わず後ずさってしまって明希自身もびっくりした。

(あ・・・)

動悸がする。恐怖心がこみあげてきた。

「明希?」と利成に顔をのぞきこまれると、明希は無意識に利成を身体を両手で押し返した。その手が勝手に震えている。

利成が驚いた顔で明希を見た。明希も自分で自分に驚いて動けなくなった。

「ごめ・・・ん。大丈夫だから」

何とか明希がそう言うと、利成が考えるような顔つきになった。

「そう・・・じゃあ、俺はご飯食べてくるよ」

「ん、そうして」

利成が出て行くと、明希はベッドに横になって(どうしよう・・・)と震える自分の手を見つめた。

 

しばらくすると今度は奏空が顔をだした。

「明希、後片付けもしておいたから気にしないで休みなよ」

「え?そうなの?ごめんね。全部やってもらっちゃって」

「いいよ、そんなの・・・それより、大丈夫?何かあったの?」と聞かれて明希は少し驚いて奏空の顔を見た。

「どうして?」

「利成さんがずっと無言でご飯食べてたから。何か明希とあったのかと思って」

「・・・そう・・・なんだ・・・」

明希はうつむいた。さっきので利成にわかってしまったのかもしれない。あの週刊誌の記事を利成が知らないわけがない。

「悩みなら言ってよ」と奏空に言われて、思わず明希は笑顔になった。

「うん、ありがと。奏空、クラスの女子の悩み相談やってるんだって?」

「ああ、先生にでも聞いたの?」

「うん、懇談の時に」

「そんな大袈裟なもんじゃないよ。ちょっと聞いてあげただけで」

「そうなの?」

「うん、だから明希の悩みも聞くよ」

そう言って奏空が明希の隣に座った。

「ありがと。奏空。でも大丈夫よ」

「明希さ、我慢しないでよ」

(え?)と思った。昔利成にも言われたし、父にも言われた。

── 我慢しないでよ・・・。

少し驚いて奏空の顔を見つめていると「明希は何でもうちにこもるから、そうなっちゃうんだよ」と言われた。

「う・・・ん・・・そうだね・・・」とうつむいた。でもまさか利成の女性関係に、昔から悩まされてきたなんて自分の子供には言えない。

「・・・もう俺も子供じゃないし、何でも言って」と奏空が言うので、ちょっと笑ってしまった。

「まだ子供じゃない?中学生なんだから」

「中学生だけど、少なくとも明希よりは大人だよ」

そんなことを言われて明希は奏空の顔を見つめた。確かに身長も追い越されたし、声変わりもしていていっぱしの男性ではあったけれど、まだまだその表情はあどけなさが抜けない。

「・・・大丈夫よ」

そう答えてうつむいたら奏空が言った。

「女子の悩みってさ、家庭のことも多いけど大概恋愛なんだよ」

(え?)とうつむいていた顔を上げて奏空を見た。

「中学生で?」

「うん、まあ、中学生だからかな」

「どんな悩み?」

「んー・・・それは秘密厳守だけどーちょっと言うと、好きな人に告白したいけど自信がないとか・・・そう言うのから始まって、性の悩みとかね」

「性って・・・あなたそんな悩みも女子から受けてるの?」

「性は女子はあからさまに言わないけど、結局そういうことかなってことはあるよ」

「そうなんだ・・・でも何で悩みを奏空に言うようになったの?」

「んー・・・何でだろ?」と奏空が笑った。

明希は驚いた。思ったより確かにずっと奏空は大人になっていた。

(元々大人びてはいたけれど・・・)

去年とは大違いに成長している奏空の顔を明希は見つめた。

「だから明希の悩みにも答えられるよ」

「ん・・・でも、私のはきっと奏空には無理だよ」

「・・・そうかな?じゃあ、もしかして性の悩み?」と言われてまた明希は驚いた。

「やっぱ、そうなんだ」と明希の表情に気が付いた奏空が笑顔になった。

「ということは、利成さんの女関係?」

続けてそう言われて更に明希は驚いて奏空を見ると、「ね?俺の方が明希より大人でしょ?」と言われた。

そこで寝室のドアが開いて利成が入って来た。

「何?二人で内緒話?」と利成に笑顔で言われる。

「そんなんじゃないよ」と奏空は立ち上がり、明希の方を見て「じゃあ、また後でね」と言って部屋から出て行った。

「何、奏空と話してたの?」と利成が明希の隣に座った。

「何も・・・」と明希はうつむいた。

「・・・俺に何か言うことある?」

利成が明希の肩に手をかけて自分に引き寄せた。

「何も・・・」

「そう」

「・・・・・・」

「奏空にならある?」

そう言われて明希は顔を上げた。すると利成がいきなり口づけてきた。それからベッドに押し倒されていきなり履いていたズボンを力任せに降ろされた。明希は頭がパニックになって「やだ!やめて!」と大声で叫んだ。それでも利成がやめないのでパニックが恐怖心に変わった。

「やだ!怖い!」

明希は自分の顔を覆った。それでも利成は止めずに明希の下着の中に手を入れてきた。

「明希、目、開けて」と言われる。

「やだ・・・」と涙が出てきた。

「俺のこと見て」

「やだ・・・もう・・・」

「言いたいことあるならちゃんと俺に言って!」と利成が怒鳴った。

明希は驚いて顔を覆っていた手をよけた。

「言ってくれないと答えられない」

利成が切なそうな表情で明希を見つめていた。

「利成さん?」とその時急に奏空の声が聞こえて明希はびっくりしてドアの方を見た。ズボンと下着は下ろされたままだ。利成が明希から身体を離して起き上がった。

「何?」

利成の声は冷静だった。その間に明希は急いで下着とズボンを上げた。

「そんなやりかたじゃダメだよ」

奏空がそんなことを言ったので明希は驚いて奏空を見た。奏空が利成に対してダメだなんて否定する言葉を使ったのは初めてだった。見ると利成も驚いた顔をしていた。

「やり方って?」

「そんな脅すようなやり方のことだよ」

「脅す?」

「そう」

「どうしてそう思う?」

「上から押さえつけて怒鳴りつけることだよ」

「・・・・・・」

「明希が怖がってる」

「奏空、向こうに行ってて」

利成の声は冷静だったが、頭から押さえつけるような言葉を奏空に言ったことはほとんどなかったので、明希は少し驚いて利成の顔を見た。

「・・・・・・」

奏空は無言のまま利成の顔を見つめていた。

「いいから早く行って」

利成が少し疲れたような声を出しすと、奏空は黙ってそこから離れた。

「利成・・・」

明希は立ち上がって部屋にあるタンスから今日買った週刊誌を取り出した。そしてそれを無言で利成に渡した。利成は週刊誌を受け取ると、表紙だけ見て中は開かずそのままそれを自分の横に置いた。

「ほんとのことだって言ったらどうする?」と利成が言った。

「・・・どうって・・・」

「離婚する?」

「・・・・・・・」

利成が明希の顔を見つめてきた。その目はいつもと同じで、明希にはその週刊誌の記事が本当かどうか判断できなかった。

「そんなのわからない・・・」

「そう」

そこでお互い沈黙した。本当かどうか尋ねるべきなのか明希は迷った。もし本当だって言われたら?二年もつきあってたんだって言われたら?一夜限りのセックスではなく、情を持って付き合ってたんだとしたら?

「明希に任せるよ」

利成がそう言って寝室を出て行った。

(任せるって・・・・・・それは完全に私に丸投げだよね?)

  

その日、利成が寝室に戻って来なかった。仕事部屋にでも寝たのだろうか?

次の日の朝、明希が起きていくと奏空が先に起きていた。

「あれ?今日も部活?」

「うん、そう」

「そう・・・朝ご飯は?」と明希がキッチンを見ると、すでに食べた後のようで汚れた茶碗が水につけられていた。

「もう食べたよ。利成さんまだ寝てるの?」

「・・・さあ・・・」

「さあって?」

「寝室じゃないところで寝たみたい」

「そうなんだ・・・」

「・・・奏空は心配しないで。夫婦の問題だから」

「夫婦じゃなくて男と女の問題だよ」

奏空がそう言ったので明希は奏空の顔を見た。

「そうでしょ?男と女の永遠のテーマだよ」と奏空が続けて言った。

「奏空・・・何だか大人みたいね」と明希は思わず言ってしまった。

「ハハ・・・言ったじゃない?少なくとも明希よりは大人だよ」

「そうだね・・・」

「部活から帰ったら明希の悩み聞くからさ。待っててね」

奏空が明るく言った途端、リビングに利成が入ってきた。

「あ、利成さん、おはよう」と奏空が言う。

「おはよう」と利成が答えてから「何?部活?」と言った。

「そう。行ってくるね」と奏空が笑顔で言ってリビングを出て行く。

「気をつけてね。熱中症とか」と明希は慌てて玄関まで追いかけて言った。「大丈夫」と奏空は言うと「行ってきます」と笑顔で言って出でいった。

 

リビングに戻ると利成がキッチンでコーヒーを入れていた。

「今日は何時から?」と明希は聞いた。

「今日はオフだよ」

「え?そうなの?」

「そう」

利成はコーヒーを入れるとリビングの方に持って行った。それからテレビをつけてニュースにチャンネルを合わせた。

昔は休みの日は必ず「どこか行く?」と聞いてくれていた利成だが、最近はそういうこともなくなった。それでも奏空が小さい時はよくプチ旅行に行ったりはした。

「利成、朝食は?トーストでも食べる?」

「ん・・・」と返事がどことなく上の空だ。

── 離婚する?

昨日いきなり言われたけど・・・。

明希は本当かどうかを確認する勇気もなければ、離婚も考えられなかった。ただ今更こんな問題が起きたことがひたすら憎らしいだけだった。

明希がトーストにバターを塗って利成のところに持っていくと「ありがと」と利成が言った。

午前中は洗濯や掃除をした。その間利成はずっと仕事部屋に閉じこもっているようだった。

昼少し前、そろそろ奏空が帰宅するだろうかという時、明希のスマホが鳴った。

「もしもし?」

「あ、天城さんのお電話ですか?」

「はい、そうですけど?」

「私○○中学のサッカー部顧問の高橋と言います」

そう言われて明希は驚いて挨拶をした。

「あ、先生ですか?奏空がお世話になってます」

「いいえ・・・その、実は今日奏空君が怪我をしまして・・・」

「え?」と明希は驚いた。

「他の生徒とぶつかってしまって・・・足を捻って・・・実は今病院なんですよ。○○病院なんですけど・・・迎えに来れますでしょうか?」

「あ、はい。行きます」と明希が言うと「ほんとにすみません」とひたすら恐縮したように先生が言った。

 

利成に言うと、車で一緒に行こうと言った。病院に着くと、奏空が明るい笑顔で「よっ」と片手を上げた。その足は包帯のようなものが巻かれていて、腕には絆創膏がいくつか貼られていた。

「奏空、大丈夫なの?」と明希が奏空のそばまで行くと「すみません、骨や何かは異常ないそうですから・・・ねん挫だけで・・・」と先生が言った。それから利成に気づいた先生が更に頭を下げて「ほんとにすみません」と謝っていた。

ぶつかったもう一人の方は特に怪我もなかったようだと聞いて少しホッとした。

「利成さん、休み?」と車に乗り込むと奏空が言った。

「そうだよ」と利成がシートベルトを締めた。

「奏空、痛くないの?それに腕も怪我したの?」と明希は奏空の絆創膏だからけの腕を見た。

「痛いといえば痛いよ。腕は擦り傷だから大丈夫」

「そう、ぶつかった子は大丈夫だって聞いたけど、そうなの?」

「うん、大丈夫そうだったよ」

「そう・・・」

 

もうお昼をだいぶ過ぎてしまったので、途中でスーパーに寄って適当な惣菜や何かを買い込んでから自宅に戻った。

家に着いて奏空が車から降りるのを利成が手伝った。奏空がようやく片足で歩いて家の中に入る。

「腹減った」と家のリビングのソファに座るなり奏空が言った。

「はい、適当に買ったよ」と明希はソファの前のテーブルに買って来たおかずやおにぎり何かを並べた。

「うん、十分十分」と奏空がおにぎりに手を伸ばす。

「あ、手洗わないと」と明希が言っても「全然綺麗だよ」と奏空がおにぎりのフィルムをあけてしまった。

「利成のも買ったよ。食べる?」と明希が聞くと手を洗いに行った洗面所から戻って来た利成が「うん、食べるよ」と答えた。

明希がキッチンで冷蔵庫を開けて麦茶を取り出していると、二人の会話が聞こえてきた。

「何でぶつかったんだ?」と利成が言う。

「ん?前が急に見えなくなったんだよ」

「前が?」

「そう。真っ白になって・・・気が付いたら思いっきり突っ込んじゃってて」

「そうか」

「利成さんはない?そういうこと」

「ないよ」

「そうなんだ、俺だけか・・・」

「だろうね。目眩とかじゃないんだろう?」

「うん、そうじゃないよ」

「じゃあ、奏空だけだよ」

「ふうん・・・ねえ?明希はー?」と大声で奏空が言った。

キッチンから三人分のグラスに入れた麦茶を持って明希はリビングに行った。

「何?」

「急に目の前が真っ白になったことある?」

「んー真っ白?とは?」

「何にも見えなくなるんだよ」

「それはないかな・・・目眩とか貧血ならあるけど」

「そうか」と奏空が頷いた。

「奏空、おにぎりこぼれてる」と明希は奏空の足もとに落ちたご飯粒を拾った。奏空はいまだに子供のように、おにぎりを食べるとぼろぼろとこぼすのだ。

遅い昼食を食べながら奏空のお喋りを聞いた。サッカーが難しいことや、物凄く上手な先輩がいることなど、部活のことをしばらく奏空は喋っていた。

そのうち食べ終わった利成が立ち上がってキッチンに行った。それから「明希」と呼ばれる。

「何?」と明希がリビングの床に座ったまま答えると「煙草ってない?」と利成が言った。

「煙草?」と明希は立ち上がった。昔から思いついたようにたまに利成は煙草を吸う。

キッチンの引き出しを探すと、だいぶ昔のが少し残っていた。

「これしかないよ。でも、きっと古い・・・」

「いいよ」と利成が受け取る。

「えーと・・・ライターと・・・」と明希が探していると「仕事部屋言ってるから、あったら持ってきて」と言われる。

明希がガチャガチャとライターを探してから灰皿を持ってリビングを出ようとすると奏空に呼び止められる。

「明希、ちょっと」

「ん?何?」とその場に立ち止まった。

「ちょっと来て」

そう言うので「なあに?」と奏空の前まで言った。

「あのね、利成さんね、明希に全部愛して欲しいんだと思うよ」

(ん?)

「何のこと?」

「明希は利成さんのこと全部許してないでしょ?ていうか他の人に気持ちいってない?」

「え?何のこと?そんなことないよ」

「うーん・・・そう?俺には何となくそう感じるんだけど・・・」

「それは奏空の勘違い。他に好きな人・・・な・・んて・・・」と言いかけて急に翔太のことが頭をかすめた。でも、そんなはずはない。あれはもうだいぶ昔の話でそれこそ時効だ。

「利成さんが他の人のところ行くのってそういうのもあるよ」

まるで昔のことをすべて見透かしたような奏空の言葉・・・。

「だけど・・・今は違うもの・・・」

「そう?じゃあ、ちゃんと利成さんに伝えなよ」

「伝えるって?」

「利成さんはいつも明希に言ってるじゃない?”愛してる”って。でも明希はいつも受けるばかりで利成さんにちゃんと言ってないよ」

「・・・そうかな・・・」とちょっと思い起こしてみた。確かに奏空の言う通り、自分から利成に言葉を返したこともなければ、夜も自分から求めたこともなかった。

(でも・・・そんなこと?)

明希が考え込んでいると、「心当たりあるでしょ?」と奏空に言われた。

「男ってていうか、利成さんは明希が思うよりずっと甘えたがりだよ」

奏空がそんなことを言うので、思わず笑顔になってしまった。

「また、わかったようなことを」

「そうだよ。わかってる。明希も利成さんをわかってあげて」

「・・・・・・」

 

奏空の言葉を半信半疑で聞いてから、灰皿とライターを持って利成の仕事部屋に行った。利成はギターを弾いていた。

「あれ?ギター?」

利成がギターを家で弾くのはあまり見たことがなかった。

「ん、ありがと」と明希が机の上に灰皿とライターを置くと利成が言った。

明希はさっき奏空に言われたことを思い出して、そのままそこに立ったまま利成を見つめた。

「何?」と床に座っていた利成が立ち上がって机の前の椅子に座った。

(利成が甘えたがり?)

まったくそんな風に見えない・・・。

(あ、でも?)と思う。奏空にはそう見えるのだ。自分はまたまったく違うフィルター越しに利成を見ているのだろうか?

明希が突っ立ったままでいると利成が少し笑った。

「何?言いたいことでもある?」

「・・・ん・・・」とまだ躊躇する。

「言いなよ。何かあるなら」

「あのね・・・私ってヘタ?」

「何が?」

「その・・・セックスが・・・」

明希がそう言ったら利成が少し目を丸くして明希を見た。

「何、急に」

「何か急にそう思って・・・」

「そんなことないよ」

「でも・・・」

明希が利成の顔を見つめると「そんなことないから。明希はいつも色っぽいしね」と利成が笑った。

「じゃあ・・・今、してくれる?」

そう言ったら利成が今度は物凄く驚いた顔をした。明希がそんなことを言ったのは初めてなのだから驚かれて当たり前かもしれない。

明希も急に言ってから恥ずかしくなってうつむいた。

(ああ、何言ってるんだろ。奏空にのせられて・・・)

「ごめ・・・ん、変なこと言って・・・」と部屋を出ようとすると利成に腕をつかまれ口づけられた。

舌を入れられ濃厚に口づけられた後、床に倒された。そのまま着ていたTシャツをめくり上げられてブラジャーを押し上げられた。

(あ・・・下に奏空がいるのに・・・)

そう思ったけれどそのまま利成に身を任せた。胸を愛撫されてスカートの中に手を入れられる。

「あ・・・」と思わず声が出てしまうと、それが合図かのようにうつぶせにされて下着を下ろされた。

後ろから入れられて思いっきり突かれる。もう声を我慢できなくて明希は喘いだ。それから利成が一度明希から抜いた後「明希、口でしてくれる?」と言った。明希は利成のを口に含んでそのまま利成がリードするように動かした。

「ん・・・」と利成が少し呻いた後、明希の口の中で果てた。そしてすぐに明希の中に指を入れてくる。

「口の中の吐き出しちゃって」と指を動かしながら利成が言う。明希は少しむせながらもそのまま飲んだ。

「明希・・・明希もイって・・・」と耳元で言われる。

こんな激しくされるのはいつくらいぶりだろう・・・。明希は階下に奏空がいることも忘れて盛り上がる快感に身を任せた。

(利成・・・)

心で名前を呼んでみた。そうだ、私の方がいつも利成を拒絶していたのかもしれない。

「利成・・・」と今度は声を出した。利成の舌が感じる部分を刺激してきて明希は絶頂感に達して身体をけいれんさせた。

「明希・・・」と利成が上から抱きしめてきた。明希は何だか急に利成の気持ちがわかって、涙が出てきてそのまま利成の髪を撫でた。

(自分が利成を外に向かわせていたのだろうか・・・?)

強くて冷静で取り乱したりしない・・・それが明希にとっての利成だった。

(あ・・・でも・・・)

子供の頃、利成だって怒ったり泣いたり喧嘩したり・・・そういうことだってあったのだ。

(自分が勝手に利成を自分のフィルターの中に閉じ込めていたのだろうか・・・?)

「私、利成が好きだよ」と言った。それは子供の頃からずっとそうだったのだ。

「ん・・・」と利成が明希を上から抱きしめたまま言う。

「私、利成だけが好きなの・・・他の誰でもないよ」

「ん・・・」と利成が顔を上げて明希を見た。

「だから・・・利成も他の人のところに行かないで」

「・・・・・・」

「私のことだけ好きでいて欲しい・・・」

明希は涙を浮かべたまま利成を見つめた。

「明希・・・」と利成が見つめ返してくる。

「ずっと、ずっと利成のそばにいたいし、いて欲しい」

「うん・・・」

明希は利成の頬を撫でた。

「私だけって約束してくれる?」

昔、約束なんて意味がないと言った。今もそう思う。けれど利成にそうだと言って欲しかった。明希だけだよと約束して欲しかった。

「ん・・・約束する」

利成が明希の髪を撫でながら言った。

 

夕飯の時、明希と利成の様子を見た奏空が意味ありげにニマニマしながら明希の顔を見た。

「何よ?」と明希が言うと「べっつに」と奏空がニマニマしたまま明希から目をそらした。

ほんとに奏空の言う通り、明希よりもずっと奏空の方が上なのかもしれない・・・いや、上なのだろうと思った。

── そうだね、奏空・・・空はうんと高くてすべてを包んでいるものね・・・。


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