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vol.2 脳梗塞になった私と、keeogoという人工知能との出会い

今回は、
1.私とkeeogoの出会い
2.脳梗塞とリハビリについて
3.keeogoという人工知能と向き合うこと
について語ってみようと思います。





1.keeogoとの出会い


それは、退院後の2021年2月23日に浦和駒場サブグランドで行われた、NPO法人浦和スポーツクラブ主催「みんなのサッカー交流会」に参加したことに始まります。走ることはできないけど、ウォーキングサッカーならできそう、と思ってこのイベントに参加したわけですが、たまたまkeeogoさんも参加しており、試験的に装着してウォーキングサッカーをしたり歩行したりさせてもらいました。最初の印象としては、正直に言いますと、「かえって動きづらいような?」といった感覚がありました。脳梗塞の回復予後がかなり良かったこともあり、ウォーキングサッカーであれば、器具がなくても、普通に楽しめるまでにはなっていたということもあります。ただ、keeogoスタッフさん達の明るく前向きな雰囲気は非常に印象に残り、またもう少し身体機能を高めたいという欲もあったため、keeogoのことが気になりながらこのイベントは終了しました。

2.脳梗塞とリハビリについて

 ところで、私の患っている病気、「脳梗塞」とは端的に言うとどんな病気なのか?読者の皆さんであれば、既に理解している人が多いかとは思いますが、念のため、本を読んで入れた知識をもとに解説してみます。「ゼロからわかる脳梗塞」(木村哲也著、世界文化社、2013)によると、脳梗塞は、

脳の血管が詰まり、脳に十分な血液が行き届かなくなることで起こる病気(p.10)

なのだそうです。脳梗塞で最も多く見られるのは、

体の半身の運動障害(p14)

だそうで、まさに私も右半身に痺れ等の後遺症が今も残っています。本によると、

梗塞を起こした反対側の半身(左脳なら右半身、右脳なら左半身)に麻痺が起こります(p14)

とのことです。

脳の構成は、大脳、小脳および脳幹からなり、それぞれ担う役割が異なる(p17)

そうで、私は小脳と脳幹に損傷がある多発性脳梗塞だったようです。

小脳は、

大脳からの情報伝達と体のバランス保持(p19)

の機能があり、私は体のバランス保持に若干の障害を残しています(障害例:バランス保持の困難からブーツなどを壁などの支えなしに履くことが難しい等)。

「脳幹」は、

大脳と脊髄をつなぐ部分に位置し、呼吸や心臓の活動、体温調節など、人間の生命維持に関する重要な神経が集まっています(p18)

だそうで、私も右半身の温痛覚が麻痺する等の後遺症が残っています。
 こういった後遺症が残る中で、大事になってくるのがリハビリを続けていくことなのだそうです。本の中にも、リハビリについての記述がありました。

リハビリを行ううえで最も大切な考え方は、自身の現状を受け入れることです。体は完全には回復せず、何らかの障害をもちながら、生活していくことを受容することです。(p80)
自分の体の状態を受け入れた新たな生活の構築をしていくことも、重要なリハビリのひとつです。(p80)
寝たきりを防ぐには「自分でできることは自分でやる」ことです。(p105)
一度脳梗塞になった人は、脳梗塞を起こしやすい血管をもっていることを忘れずに(p113)


 私の場合、幸い、職場(清掃員)復帰できる程度には身体機能が回復し、毎日仕事をしているため、寝たきりの心配は無いですが、「脳梗塞を起こしやすい血管をもっている」ということは注意しておかなくてはなりません。
 そういった注意を払いながらも、なんとか、可能な限り、keeogoの力を借りながら、自分の現状の身体機能を最大限に発揮する方向に努力はしていきたいと思っています。






3.keeogoという人工知能と向き合うこと


 さて、keeogoとは何なのか。私もまだ出会って半年くらいです。そしていつもkeeogoを装着する際は自分で装着するわけでもなく、keeogoの操作や調整の際も理学療法士さんにすべてお任せしてしまっている状態で、私は言われるがままに体を動かしてみているだけなので、わかっていないことだらけなのですが、どうやら「人工知能」であるということは間違いなさそうです。人工知能のもつディープラーニングの機能を使って、人間の体の動きの特徴を繊細に認識・学習し、正しい身体の動きに促す働きをもつロボティクスであるようです。
 keeogoとの50m8秒トライアルを思いついたとき、一抹の葛藤はありました。「ロボットを使って身体機能を上げるってなんかズルいのではないだろうか」という・・・。ただ、私の身体は、もはや、自助努力だけでこれ以上のパフォーマンスを上げることは難しい局面にきていることも事実でした。
 新しい時代を生きている私、keeogoと向き合い、お力を借りながらパフォーマンスを上げることを通じて、人間と人工知能やディープラーニングとのより良い関係性について考える、という企画、面白いのではないか、と思い、始めてみることにしたわけです。

 ガムシャラに身体を動かし頑張ることが「努力のイメージ」だった昭和や平成から、ロボティクスの力も借りながら、「人間として生きるにあたって、何が本当のベストなのか、繊細に『判断』していくこと」が令和の「新しい努力のイメージ」となっていくのかもしれないです。

 「人工知能の核心」(羽生義治・NHKスペシャル取材班著、NHK出版、2017)という本の中では、人工知能と人間の関係性について、以下のように語られています。

「人間VS人工知能」という単純な対立構造と考えるのではなく、人類がさらに可能性を広げるために、人工知能をどう使っていけばいいのか(p6)
人工知能の判断は「プロセスがブラックボックス」であり、かつ決して100パーセント正確なものではないーそのことを私たちは、しっかりと認識する必要があります。(p197-198)
人工知能が相当に発達しても、人間が意思決定に関わるケースは残りそうです。(p201)
人工知能から人間はいかに学び、どう使っていくのかという、何度も指摘してきたこの問いが、再び重要になってきます。(p201)
人工知能は、データなしに学習できない存在だということです。とすれば、データが存在しない、未知の領域に挑戦していくことは、人間にとっても人工知能にとっても、大きな意味を持つと考えています。(p215-216)
高度に発展した人工知能が登場して、人間の知性と対比されるようになってきたら、どうでしょうか。そのことで、人間の知性の特徴が浮き彫りになるはずです。そのとき、人間も人工知能も包括するような「知性」とは何かが、解明されていく可能性があるのではないでしょうか。(中略)人工知能について知ることは、人間について深く知ることでもあるのかもしれません。(p217)

シンギュラリティという言葉に代表されるように、人工知能が人間を超越する時代が来るかもしれない、という懸念や不安がよく話題になりますが、この本の中では、「物は使いよう」であるということが再三述べられていて、人間が意思決定にこれからも関与し続けること、人工知能が100パーセント正しいわけではないこと、しかし、使い方によっては人間の可能性を引き出すパワーをもっていること、つまりはすべて、私たち次第なのだということが述べられていました。人工知能との付き合い方も、日々、試行錯誤を重ね、慣れていくことが大切な時代になってきているのかもしれません。
 keeogoとの出会いはまだ始まったばかり。keeogoに何もかもお任せというスタンスではなく、keeogoから何かを学び、身体機能を高める努力をし、病気になっても、また新しい自分の可能性を広げるきっかけをもらったと思い、前向きに生きていきたいです。keep on going!!

<参考図書>
『聖路加国際病院の健康講座 ゼロからわかる脳梗塞』(木村哲也著、世界文化社、2013)
『人工知能の核心』(羽生善治・NHKスペシャル取材班著、NHK出版新書、2017)


<keoogo ホームページURL>

https://keeogo-japan.com/

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