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あえて不公平にする/自助できるところまで底上げする支援が大切ではないか

前回は、チャレンジの投稿をしてみましたが、たくさんの方が一緒に考えてくださってとても嬉しかったです。ありがとうございました。

みなさんと意見交換するのがとても楽しかったので、これからは時々、私の考える “こうなっていったらいいのではないか” を意識的に書いていこうと思います。
みなさんのご意見も、聴かせてくださると嬉しいです🍀


さて、今日考えてみたいのは、「自助、共助、公助」について。
菅さんが首相になる時におっしゃった言葉です。
野党は、結局自己責任なのかと批判していましたが、え?そう聞こえるの?と当時驚きました。
きっと、「自助、共助、公助」からイメージするものが人それぞれ違うのだと思います。


私は、「自助、共助、公助」のバランスが大事だと思っています。
すべて自助努力で頑張れと言われたら、今苦しい環境におかれている人はそこから抜け出すことが難しくなりますし、格差は広がっていくばかりだと思います。
一方で、なんでもかんでも行政が面倒みる(公助)となったら、お金がどこかから無尽蔵に湧いてくるわけではないので、日本は破綻するでしょう。
3つが並んでいるのは、そのバランスが大事だからではないかと思います。
(「共助」は今の私には荷が重いので、今回はそっと脇に置いておきます…。)


では、バランスって、いったいどこがちょうどいいのでしょう……。

まず大前提として、ちょうどいいバランスはここだ!という正解はないと私は思っています。
その上で、よりよいバランスはどこか、試しては検証し、調整する、を繰り返していくしかない。そうできることこそが大切だと思っています。

なので、メディアが毎度毎度批判しかしないことには憤りを感じます。
だったら現実的な対案を出すべきだし、良かったことも報じるべきです。


話が少し脱線しました💦
正解はない、試して検証して調整することの繰り返しが大切だという前提で、今私が思うバランスは、公平ではなく底上げを目指す、です。

そもそも行政支援は公平にはなりえないんですよね。
それでいいんです。
なぜなら、生まれた時から不平等だから。
「生まれた時から不平等」という言葉をはじめて聞いた時、本当にそのとおりだと思いました。
当たり前に習い事にいかせてもらえる子もいれば、アンパンしか食べるものがなくて毎日不安を感じている子もいる。
「平等」というと聞こえはいいけど、はじめから平等なんて存在しない中で平等な支援をされても、それは平等ではない。


突然ですが、本からの引用を紹介させてください。

 ニューエコノミー・ディールでは、政策の土台となる発想に4つの大きな変化が生じるだろう。

◆安定重視から機会重視へ:ニューディール政策では、国民を様々なリスクから守ることが政府の最大の役割であると考えられていた。ニューエコノミー・ディールでは、政府の役割は、本当の弱者だけを助け、それ以外の人たちには自分なりの方法でリスクを管理させることであると考えられるようになる。安定を保障するという空手形を振りかざすのではなく、すべての人に、とりわけ経済的に最も貧しい人たちに自力で生きていくための手段を与えることが政府の役割となる
(以下略)

(ダニエル・ピンク「フリーエージェント社会の到来-組織に雇われない新しい働き方」ダイヤモンド社(2014)P.354-355 より抜粋)

「ニューエコノミー・ディール」とは、この本では、フリーエージェントが台頭した時代に適した新しい政策のことを言っているようです。
私はざっくりこれからの時代に必要なことと理解しました。
そしてとても共感しました。


「とりわけ経済的に最も貧しい人たちに自力で生きていくための手段を与える」

自助努力できる人はしてもらえばいい。
ただ、それが難しい人もいるので、その人たちが自助努力できるところまで支援することが公助の役割なのではないかと、今は考えています。

そのために、あえて不公平な支援をする。
それが、トータルでみて公平に近づくのではないかと思います。


もちろん、個人的には税金は安い方がいいですし、支援をたくさん受けられるなら受けたいです!
ただ、個人の視点だけでなく、広く社会について考える目も持っていたい。
そんな気持ちで書かせていただきました。

きれいごとかもしれません。
誰かにとって不愉快なことを書いているかもしれません。
あくまで私の今の考えですので、よかったらみなさんの感じたこと、考えたこと、聴かせていただけると嬉しいです。

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