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すべての人が傷つかない作品を作る配慮

「ルックバック」という漫画が話題になっていますね。
私は、尊敬する精神科医 斎藤環先生のnote記事を読んではじめて知りました(ネタバレが含まれます)。

「ルックバック」、とても引き込まれましたし、いろいろ考えさせられました。(今の時代、ネットから公開する漫画もあるのですね!!)

その上で、斎藤先生の懸念点もわかると思いました。
問題提起されているのは、精神障害者を想定して描かれていると思われる人の描写の仕方について(まどろっこしいですが、おそらくこれが正確な表現です)。


この記事から連想したのが、東京オリンピックです。
差別的な言動や過去の作品が原因で、要職についていた方の辞任や解任が相次ぎました。
この一連の出来事と、「ルックバック」に向けられている問題提起は、根本的には同じなのではないかと思います。
(オリンピックの件はまた思うところがあるのですが、それはまた今度。)


誰も傷つかない作品を作る配慮。


傷つく人をゼロにするというのは、とても難しいことです。

私も、記事を書くときは、誰も傷つけることのないようにと、細かい言い回しを何度も考えます。
(たとえば「頑張ってしまう」の「しまう」は悪いことのような印象を与えるので、頑張ることに追い込まれている人をさらに自責的にしてしまうかもしれない、と考えて違う表現を探したり…。)

それでも見落としもあるでしょうし、私の想像しえないことで傷つく人がいるかもしれないと思っています。


所属する文化において当たり前になっていることや、関心の低いことは、差別的な言動に気づきづらいという面も大いにあります。
だからこそ、何かを描く時には、十分に下調べをしたり、専門家の力を借りたりして、自分が気づいていないことがないか確認することが、これからの時代では必要なのかもしれません。

そして、今の時代は修正もできます
斎藤先生は、紙媒体で出版するときは、ぜひ修正してほしいと訴えています。
この作品が大好きだからこそ、一部分の描写のために読みたくないという気持ちになりたくない、そんな愛情も感じます。
読者からの声が届きやすくなった時代、こうした読者の切実な声を受け取る度量の深さと柔軟性があるかどうかが、試される時代なのかもしれません


ちなみに私は、斎藤先生の記事を読まずに「ルックバック」を読んでいたら、たいしてひっかからずに読み終えただろうと思います。
精神障害の方との接点が比較的多い私でもそんな感じなので、多くの方はなんのひっかかりもなく読めてしまうだろうと思います。
だからといって、こうした問題提起を不要なもの、見当違いなものだとは思いません。

少なくとも、この描写によって傷つく人がいる、差別されたと感じる人がいるということは、立ち止まって考える必要があると私は思います。


ひととおり読んだ上で、斎藤先生の主張はよくわかると思いました。
精神障害の方がこんな恐ろしいことをする可能性があると刷り込まれる怖さ。しかも、それは現実には起きえないわけです(少なくとも、斎藤先生の何十年の臨床経験の中で出会ったことがない)。
現実に起きえないものを信じて、偏見をもち、差別する。
これほどの人気作品が、そうした影響を与えうるものであってほしくない
、至極まっとうな指摘だと私は思いました。

斎藤先生の意見に対する反論をいくつか目にしましたが、オリンピックはあれだけ叩いておいて、「ルックバック」については斎藤先生の方が批判されるというのは、私は納得いきません。
※斎藤先生の意見を批判している人が、オリンピック関連での辞任や解任もおかしい、あれは差別ではないからやめる必要はない、と言っているのであれば、その人の中では一貫しているので納得はできます(私とは考え方が違うだけ)。

とはいえ、難しい時代です。
作品を生み出す人は、いろんな方面に配慮をする必要があって、本当に大変だと思います。
すべてについて配慮するというのは、おそらく人間の能力を超えているし、そこを求めるなら作品を生み出すことはできなくなってしまうでしょう。
だからこそ、できる範囲の配慮で生み出してみて、いろいろな声をもらって、また良いものに変えていく、はじめから完成を目指さないということがこれからの時代の作品づくりなのかもしれません。


そして、そのためには安易な批判は避けるべきだとも思います。
すべての責任が作り手にしかないということはおそらくほとんどなくて、社会や時代、まわりにいる人などの影響も少なくないと思います。

大切なのは、批判ではなく意見を伝えること
それを受け取る力が作り手にあるかどうかの方がよっぽど大事で、安易な批判は、素晴らしい作品が生まれる可能性の芽をつぶすだけだと思います。

斎藤先生の記事は、ここの配慮が素晴らしくて、作品は大好きだと何度も伝えた上で、こうした懸念があるということを伝えてくださっているし、それでも理解できないことを疑問としてぶつけたら、きっと丁寧に教えてくれます。

そんなやりとりが当たり前に対等にできる時代になっていってほしいと、切に願います。

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