恥じらいがうまれた日

先輩の家に遊びに行った。到着すると先輩の友達が同席していて、たわいのない会話をしていた。
「最近どうなん?女の方は」「まあーぼちぼちやねーこないだ喫茶店でお茶した後公園で3時間くらい話したわ」「今は?」「連絡取るのめんどくて話してない笑会いに行くのもめんどいし笑」「じゃあもう家誘えよ笑そっちにその気があるんなら来るだろうし笑笑」「こんなしっちゃかめっちゃかな家見せれるわけ無いやろ笑」「てかせっかくあって3時間も話したんならセックスすれば良かったんに笑」「またすぐセックスの話笑お前セックスのことしか考えとらんやん笑笑」


気まずい。


「てかさ、これ2次元オタクあるあるなんやけどさ、2次の女の胸見てるとさ、実際の女の胸ちっさってならない?」「ならへんし、その会話できる時点でオタクじゃないやろw」

会話に混ざれないしなんか遠回しにオタクって言われた感じするな。飛び火。

自分の自意識がキモすぎる。その自意識があるせいで会話に混ざれないし、何より会話に混ざれないことで自意識過剰をひけらかしてるみたいで多大な損をしている気がする。

子供のころは恥じらいなんて無くて、あなたはわたし、わたしはあなただった。わたしたちはみんな始まりは同じはずだったのにいつの間にか「恥」が生まれた。そのきっかけは中学生特有の黒歴史かもしれないし、初恋の思い出かもしれない。それをずっと引きづって来て、今日の私がいる。

私は多分、この自意識を手放せない。なにかをすれば変われるというものでもないだろう。性格なんて1200円の自己啓発本で変えられるほど軽々しいものでは無い。本に書かれてることを実行しても、それは結局他人の書いた文章で、他人の思考の集合体なので、他人の人生を生きるようなものだし、そこで産まれた「自分」は「自分」ではない。宗教のように神に縋って弱い自分を認めてあげることも出来るかもしれないが、社会は自分を認めてくれない。もういっそ自分の中にもう1人の自分を作るようにして、そのもう1人の自分にぜんぶ押し付けて生きていくしかないのだろう。

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