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赤ん坊あやしの魔法

その日、まったりとした平日の午後にはめずらしく、レジには大行列が生まれていた。

何かお祭りがあるとか、安売りキャンペーンが行われているとか、そういう訳じゃない。

ほとんどの人にとって、なんの変哲もない日常であるその日に、色々なめぐり合わせが重なったのだ。

そんな訳で、午後2時35分ちょっとすぎ、高速道路入り口のコンビニ「よりどりマート」に、色々なところからやってきた大勢の人々が集結した。

「ありがとうございましたー。お次の方、どうぞー」

新米店員のミリーは、必死で手を動かす。初めて経験する忙しさに、ついていくのがやっとだ。

ミリーは物覚えも早くて、手際も良い方だと思う。

この店に入ってまだ2週間ほどだけれど、レジ打ちはもうとっくに覚えてしまった。

だから、多少の行列が来たって平気だと思った。

むしろ、いつの日にか大行列の日が来ることを、ちょっと楽しみにしていたくらいだ。ミリーの手際の良さを披露できる機会になると思った。

だけど、実際に大行列に来られてみたら、まったくもって楽しむどころじゃなかったのだ。

「ありがとうございましたー。お次の方、どうぞー」

1個30円の「グーチョキガム」を買いに来た小学生5人を、連続でさばいたその後で、列の方を見た。

先頭の人を出発点として、店の1番奥、ドリンクの冷蔵庫にぴったりとくっつく位にまで、ズラーっと人が並んでいる。列はそこから右に折れ曲がり、またずらずらと続いている。

ミリーは、頭がクラ〜っとするような思いがした。

横のレジでは、レイカさんが声を張り上げている。普段から気の強そうなところはあるけれど、それでも今日は一段と語尾がハッキリしている。

「いらっしゃいませぇ!レジ袋!ご利用ですかぁっ!?」

レイカさんは、シフトを作ったり、新人バイトの研修をしたりと、この店でも重要な役割を担っている古株の社員だ。ミリーより3つ年上の先輩で、小学生の子ども2人を育てている。

「ふえぇん」

不意に、列の真ん中の方から声がした。生まれて間もない、赤ん坊の声だ。

「しーっ、しーっ、よ」

優しくなだめるお母さんの声を、ミリーは、タバコを取りに行きながら聞いた。

赤ん坊は、本格的に大泣きに入った。
叫ぶように泣く声が、店の壁に反射して、キンキン響く。

ミリーは、頭が痛くなってきた。
こんな忙しい時に、赤ん坊の声は頭にガンガンと来るのだ。ぎゅっと目を閉じて、なんとかその場をやり過ごそうとする。

お母さんだって、きっと困っているだろう。

竜巻きでも起こしそうな声を聞きながら、ミリーは駄菓子「イカみりんシート」の数を数えていた。全部で23枚あった。

(こんな時に、大量買いなんかするなよな)

ミリーは、何でも良いから何かに怒ってやりたい気持ちだった。
他の客も、誰も何も口には出さないけれど、このギラギラして、じっとりと重くなった空気にじっと耐えている。

その時ー

「うーむっ、うーむっ」

突然、楽しげな声が聞こえてきた。

「うーむッ、うーむッ、うーむッむッ、うーうーむーむーうーむッむッ」

楽しげな声は、発せられるたびにリズムカルになっていく。

「わぁ、何かしら?」

お母さんの声は、少し泣きそうに震えていた。

泣き叫ぶ声は、大雨が小雨になるみたいに細くなっていく。

ミリーはお弁当をレンジに入れながら、その様子に耳を傾けていた。今や、店の中にいる者全員が、忙しいのもイライラも忘れて、ことの成り行きに耳を傾けている。

「うーむッ、うーむッ、おお、いい子だ!素晴らしい感性の持ち主だ。その若さで大したものだ」

「うふふ、良かったねぇ」
お母さんの声も、楽しそう。

人混みの列に紛れて見えないけれど、3人の人々の間に、楽しそうな空間が広がっているのが、ミリーには分かった。

泣き声は、「ふぇっ」という声とともに、ピタリと止んだ。

そして、3秒ほどの間が空いた。

ただ事ならない空気を感じ取り、ミリーはレジを打つ手を止めた。

「さあ、みんな、場所を開けて。とびきり若い未来のホープを、お待たせする訳にはいかないわ」

高らかに叫ぶ声とともに、レジの正面に並んでいた人々が、道を開けるように横にずれた。

そこから姿を現したのは、はつらつとして小柄な女の人。その姿は野生的な少年のようでもあり、含蓄の深い修道女のようでもある。
その後に続くのは、赤ん坊を抱いたお母さん。赤ん坊は、お母さんの腕の中で、何食わぬ顔をしている。

「さあ、どいたどいた」

3番目に並んでいた初老の男が、先頭を切って進む女の人を睨みつけた。
女の人は、にこりと微笑み返した。

一行は、ミリーのいるレジの方へと歩いてくる。

「さあ、こちらを先に」

除菌用アルコールシートと、チルドカップの抹茶ラテが、台の上に置かれた。

「383円になります」

皆が見守る中、ミリーはレジを打った。集団の中で、一人だけ特別な役割を与えられたような気分だった。

その場にいた全員が見守る中、お母さんと赤ん坊は自動ドアをくぐり、店を後にした。

コンビニの店の中全体が、一息ついたみたいに静まった。

一瞬の間の後、そこはいつものコンビニの風景になった。

普段よりもちょっとだけ列の長い、いつものコンビニの風景だった。

女の人の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。

(あれが、あの人の魔法だったんだな)

ミリーは、また慌ただしくレジを打ちながら、ぼんやりと考えた。


人はみんな、自分の魔法を持っている。

そんな言葉を聞いたことがある。

(色々な人がいて、色々な魔法があるんだな)

ミリーはまだ、自分の魔法を見つけられていない。どうやって見つければ良いのかも分からない。

(早く見つけなきゃ)

魔女として生きていくために会社を辞めたのに、何も手掛かりを掴めていない。

焦る気持ちが、レジに立つミリーに襲いかかった。

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