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言語と性格

昨日スウェーデン語学習においてよく話をする友人と話していたときに
またまたストンと最近のモヤモヤが腑に落ちが感覚があったので言葉として記録しておこうと思いました。

大学に入学する確率を少しでも上げるための試験も終え、今は日本への一時帰国の準備をしながら日常会話についての学習を個人的に進めているような状況です。
以前使っていたHellotalkという言語交換アプリも少し利用しながらアウトプットの練習をしています。


率直にどんな感覚が腑に落ちたかというと、、、

【日常会話でのスウェーデン語でどれだけ自分の素が入っているか】です。

パートナーとの家での日常会話は基本的に日本語です。
理由はいくつかありますが、パートナーが日本語学習者であることで私がスウェーデン語で敢えて話しても日本語で返ってくるからそのまま日本語で会話が続きます。

前回の記事を書いたあとに思い立ってインスタグラムでスウェーデン語の学習用アカウントを作成し、Liveでスウェーデン語を話して記録するという活動も始めましたがやはり一人でスウェーデン語を話すのも限界があり少し使用頻度が停滞気味です。まぁ、これも計算内なのですが。

でもそれがなぜかと考えたときに、語学力の程度は抜きにしてスウェーデン語を話している時の自分が日本語を話しているときの自分とかなりかけ離れているのではないかという疑問が出てきました。
なにか媒体を使って自分の声や映像を他者に発信しようとするときは日本語でも少しかしこまった印象を作ってしまいます。スウェーデン語なら尚更能力にも左右される。
ここで自分に問いかけたのは、スウェーデン語を話しているときの自分はどんな自分でいたいかということでした。

実はこれ、英語学習をしているときにはなかった感覚で、
少しオープンな性格にはなるものの日本語も英語も自分のアイデンティティが変わるという感覚がなかったのです。
だからこの感覚はスウェーデン語を学んで初めてぶつかる言語の壁でもあります。

友人のアドバイスでは、1週間本当に日本語を使わないでスウェーデン語だけで生活してみると咄嗟的なスウェーデン語の表現が自分であると認識し易いかもとのこと。これは本当にその通りだと思うし、実際にやってみたい気もする。

と、ここでもう一つ考えていることとするのは、もし仮にスウェーデン語しか話さないとして咄嗟に出てきたスウェーデン語が自分らしいと分かったとしてそれを自分が受け入れられるかなのです。
正直今はスウェーデン語を話す自分があまり好きではありません。
理由は言葉では表現できず、あくまで感覚的にそう思っているだけなのですが。
もっと突き進んで考えると、どんな言語を話している自分もあまり好きじゃない?笑 すごい言語を超えた極論が脳裏をかすめます。
多分家で日本語を話しているのは、スウェーデン語を話す自分より日本語を話す自分のほうが幾分かマシだから?多分。うーーん、悲しいけどかなり納得。

もう自分が好きとか嫌いとかを議論するまでもないぐらい人生経験があるのかもしれないですが、やっぱり最後行き着くところはそこなのか〜となってます。

まぁ、ここまでスッキリと明確に理由がわかったのは自分の中ですごく大きくてあとはそれに対して対策を考えていくだけ!
いつも通り前向きにこの経験を活かしていきたいと思います。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

Hej då!

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