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こころおきなく。

今日「心置きなく」っていう日本語を聞いた。いや、読んだっていうほうが正しい。
メールだったから。目で読んだんだけど、心の底に響いた日本語だったなー。

ふと、心置きなくやってること、あるかなー?
と自分の日常をふりかえったし、
家族はこのお家で、心置きなく暮らしてるかなー?とか、それは猫も含めてなんだけど、そう考えたら、暮らしの根っこのとこを振り返ろうって思っちゃうくらいに、影響をうけた。

心置きなく暮らしてる実感って、もんのすごく

幸せ、とか、満ち足りてる、とかに近い状態な気がして、なんとも心地よい日本語を聞けて良かった!!って。

やることをやりおえ、不満や我慢、犠牲なメンバーがいないことを確認し、その上で生まれるのが、「心置きなく」なのでは? って想像してみたら、それってワタシのパラダイスみたいだとさえ思えた。ワタシが思い描く満ち足りた日常って、心置きなく過ごせてる時間の連続な気さえしてきた。

そうか。もしかしたら、
ワタシは、家族や周りの人達が、心置きなく生きている、というのを観察して、ほくそ笑んでいたいのかもしれない。


やることを終え、環境を整えて、ふぅと満足して、さ!と気持ちを切り替えて自分が最もしたいことに集中する。

うわー、いいなー。

もちろん、仕事や家のことや、子供のことや家族のことというのは、エンドレスなものも多いけど、それはそれ、これはこれ、ワタシはワタシ、そちらはそちら。
こうやって、時間に結界を作るみたいにしあえるのって、ワタシにとったらとても大切なライフクオリティだな、と気づけた。

あれも途中、これもやりっ放し、あれも始めてないけど、これやろう。あっち行こう。
は、ワタシの心を乱すことで、言い訳や自己弁護の量を増やす。いやいや、自己弁護ではなく、自己正当化だ。
どこかの知事さんの自己正当化をニュースで毎日見ていると、ちょっと怖くなる。
それは彼が怖いのではなく、人って、自分が間違えてるわけないと信じ込むとあーなるんだというお見本見てるからだと思う。

ワタシは、身近な人にやりがちなとこあったな、という反省もあるし、もうやりたくないという願望が同時に沸き上がる。

それには、心置きなく過ごせる暮らし方を心がけよう。ワタシには、合ってると思う。


こころおきなく、という日本語が描く状況にふさわしいワタシを、楽しみに、明日は飲み会に行きます。


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