肩が痛くてつぶれかけた心が救われた瞬間から、やく1年。
2023年の今ごろのもろほしゆみこは、右肩が痛くて、毎日、痛みに耐えながら暮らしていたのでした。
痛いがニュートラル。
我慢してる状態がニュートラル。
1年前のワタシは、痛いのを我慢するのが当たり前でした。
痛いっていっても病院いってるんでしょ? 治療もしてるんだし、五十肩は誰もが経験する通過儀礼だしね。
この「だしね」っていうのが意外と曲者。
オカアサンだしね主婦だしね。
大人だしね。
50肩はそんなもんだしね。
あれもこれも耐えていたけど、ワタシはとんでもなく重要なことからにげだしたのだった。
それは、なんと。オットの仕事のお手伝い。
オットからしたら、一番逃げて欲しくなかったことかもしれない。(あ、そんなこともないか。彼はお母さん稼業を一番大事にして欲しいって思っているかも)
11月・12月の、オットの繁忙期だけ、ワタシは彼のお手伝いをしていていた。労働力というより、オットのメンタルをとてもナイスなサポートをしていると、自負して活躍していたのだけど、もう、肩が痛すぎて痛すぎて、ある日、突然、逃げたのだった。
仕事の進捗状況からいって、3割残ってるかなっていうタイミングで、泣きながら
「もうできない( ;∀;)」
っていって仕事を放りだし、次の日から無断欠勤をした。
オットから怒られることはなかったけど、ダメな大人っていうレッテルを貼り付けられた気はして、気持ちが沈んだ。
でも動けなかった。
その痛みが「それくらい痛かったんだ」って証明されたのが、2か月後の2月だったのだ。それが去年の2月。
50肩はそのうち治る。というジンクスは、ワタシにはニセモノで、ワタシの肩は、腱が切れていたのだった。
腱板断裂っていうやつだ。
肩の専門医で、やっともらった診断だった。
手術です。リハビリ1年です。3ヵ月家事もなにもしないでって言われると、落ち込んだり絶望したりする人が多いらしい。
でもワタシは、心の底から救われて、絶望どころか、歓喜の雄たけびを上げたいくらいうれしかった。
だってやっと原因がわかったんだもん。
本当のことがわかるって、希望が見えることだった。
一番辛かったのは、肩じゃなくて
痛くても我慢して動かなくっちゃって思っていた、
自分のマインドだった。
逃げるな、弱音はくな、みんなそれくらいやってんだぜ。
って、自分を励まし過ぎていたマインドだった。
わかったことで、やっと自分を許せた瞬間は、きっと忘れない。
なんだ、逃げたの正解。
ってやっと思えた。
家事ができないなんて、どってことなかったし、1年リハビリなんてどってことなかった。
肩の専門医をみつけて、診察を受けた自分を、誉めちぎった。
で、肩に負担をかけない暮らしを色々調べて、前開きの服をたっぷり買った。マントとかどう? とかいって買ったのは着なかったけど……
片手生活を想定して、ショルダーバックだって買った。
もうね、なんか「大張り切りモード」だったなぁ。
その頃からずっと、Iさんというリハビリさんに肩を動かしてもらっていて、今日もリハビリだったので、あっという間に1年経ったなぁ、って話題になった。
「もろほしさんほど、ポジティブに手術した人は珍しいし、なんか楽しそうでしたよねぇ。」って言われて、大笑いしてきたのだった。
だって、救われたんだもん。
感謝しかないんだもん。
ってお礼を言ってきた。
勘違いして自分を責め続けたこと。
だけどその勘違いは、自分のチカラでは気づけなかったのだから、違うよって教えてもらえなかったら、今でも痛いといいながら、苦しそうに暮らしていたかもしれない。
いつか。そのうち、きっといつか……そんな虚しさを希望って呼んでたかもしれない。
オットの期待を裏切るくらい、逃げてみてよかった。
コドモタチに負担をかけるくらい、放り出して逃げてよかった。
嫌われるかも、失望されるかも、2度と許してもらえないかも、
軽蔑されるかも。
その恐怖に挑んでよかった。
挑んだつもりじゃなくて、痛すぎて逃げただけだけど……だから逃げてよかったって思うんだ。
逃げるは恥だが役に立つ。
ワタシが愛する仕事である、ライティング・ライフ・プロジェクト。
3月期の募集は、2月中旬にお知らせします。
3月4日(月)から4月2日(火)の開催となります。
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