尾崎豊と僕①
初めて僕が尾崎豊の存在を知ったのは、中2の頃だったと思う。
佐野元春さんが好きで、本屋で音楽雑誌を見ていて、その雑誌に載っていたのを見たのが最初じゃないかと思う。もしかしたら、違っているかもしれないけど。
その記事は日比谷野外音楽堂で行われたライブイベントに尾崎豊というまだ10代のアーティストが出て、7メートルの高さの照明から飛び降りて、足を骨折したが、そのまま歌い続けたという記事だった。
その記事は僕に強い印象を残した。
高所恐怖症の僕にとっては考えられないことだった。でも、なんかそれがロックの一つの表現なのかな、とも思った。随分、ムチャなことをするなと思った。
それから僕は尾崎の存在を意識するようになり、尾崎の記事が載った音楽雑誌は片っ端から読んだ。でも、彼の曲はラジオでもあまり流れることはなかったし、中学生の僕には佐野元春さん以外の音楽に手が出せるほどにお小遣いはなかった。
ウチは貧しく、母も毎日パートや内職に明け暮れており、お小遣いも月にいくらという感じでいただいていて、4か月ぐらい経ってやっと1枚のCDが買えるかどうかというぐらいのものだったからだ。
しかし、当時、夕方だったと思うが、ミュージックビデオを集めた番組が放送されていて、いろいろなアーティストのビデオが流れていたのだが、その中で、ピアノを弾いて歌っている、若くてカッコいい男性アーティストがいて、それが尾崎豊だと気づくのに、さほど時間はかからなかった。
その歌声、歌詞の内容、歌い、叫ぶ姿に、一気に惹きつけられた。
それは尾崎の『卒業』という曲のミュージックビデオだった。
これがあの雑誌に載っていた尾崎か。いやあ、確かにカッコいいと思った。『卒業』の中の歌詞に全面的に共感するわけじゃないけど、言いたいことはわかるな、と中学生なりに思ったものだった。
中学生の頃の僕は真面目で、どちらかと言えば模範的生徒だったからだ。でも、尾崎の気持ちはわかると思った。
それ以来、僕は佐野さんとともに尾崎も追いかけるようになった。
テレビやラジオ、雑誌などの尾崎を片っ端からチェックした。
今みたいにインターネットが気軽に使用できる時代ではなかったから、情報源と言えば、テレビ、ラジオ、雑誌ぐらいだった。
そして、尾崎が高校を中退し、『卒業』の歌詞がとてもリアルだったことなどを知った。しかし、当初はレコードでしか発売されていなかった、アルバム、『十七歳の地図』の曲がラジオで流れることはあまりなく、そのレコードもあまり見当たらなかった。
それで、『卒業』の入った、尾崎にとっては2枚目のアルバム、『回帰線』が初めてCD化した尾崎のアルバムだったのではないか。
『回帰線』というアルバムがたしか音楽チャートで1位になったから、ファーストアルバムの『十七歳の地図』もCD化されたのではないか。
これはもしかしたら自分の覚え違いかもしれないが。
とにかくCDで僕はすぐに『回帰線』と『十七歳の地図』を何百回、何千回とリピートして聴き、その世界に夢中になった。
そして、尾崎の名前もほんの数カ月のうちに瞬く間に世の中に知れわたっていった。
ほとんどの曲は覚えてしまった。僕はなぜか歌詞カードを見る習慣が当時も今もあまりないので、覚え間違いをしている箇所はたくさんあったが、ずっとCDの尾崎に合わせて、大きな声で歌っていた。
好きな曲はたくさんあった。
つづく
読んでいただきましてありがとうございました。またお会いできたらうれしいです。
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