想像力に対して考えたこと

私は他人の考えていることを聞くのが好きだ。

他人から発せられる、日常の疑問でも、哲学的な話でも、死生観でも何でもだが、そこには私の知らない世界があるようで少し不安になるのだ。
そして同時に、自分が気付かなかった側面に、その人が気付いてしまったという妬みも生まれる。(こんなことを書くと混乱するだろうが、嫉妬とはまた別であるような気がする。何か、尊敬や焦燥もあるし、胸が熱くなる気もする。でもどれにも当てはまらない感情があると思っている)

自分は想像力に欠けてると思うし、絵を描くことが趣味なのだが、大まかな枠組みを完成させるのにも2時間、3時間と掛かって酷い日には作業が手につかないこともある。

これは思考でも同等であり、他人があることに気付いて、疑問に思って居たりしても、私はそれを盗み見ることは出来ない。
たまたま話をしてくれただけで、その人にはもっと広い知見と想像がそこにあると思うと、もう居た堪れない。
かと言って自分では、そこに焦点を当てることすら無いのだ。

想像力って気付く力?
他人が困っていることに気付ける人は、想像力も豊かなのだろうか。

何かの「モノ」に興味を持たないと、想像は拡がらない。
じゃあ、それは気付く力じゃなくて何かに興味を示す力、ということにもなる。

こうやって考えるのは好きなのに、いつまで経っても視野が狭いのは、どうしたらいいのだろう。

自分じゃ分からないから、また他の人の知見を聞いて勝手にワクワクして終わるのだ。
人の考えを聞くのは好きだけど、ずっと嫉妬は付き纏わる。我儘だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?