自分の名前でない名前で届く郵便物たち



3番です。


なんか、少し前に色々あったせいか、noteを更新する気分になれず、更新できそうな状態にあっても自分の気持ちを言語化することが難しかったというか、…数日、精神の状態がやんわり悪かったのでしょう。パフォーマンス力が落ちているな、と体感していました。



先日、9番が殴り書きのような記事を一生懸命更新していました。
彼としては、「人に見せるものなのに、前後の説明もなく不親切だった。俺はもっと初めて目にする人にもわかりやすい文章が書きたかった。それができなくて、ごめんなさい。」
と、反省しているようでした。

私には9番なりの一生懸命さは伝わってきたよ。大丈夫。伝言もありがとう。
ことの当事者ではないから当事者意識もなく記憶を掘り起こして文字にするのも大変だったろうに。頑張ったんだよね。ありがとう。


9番が更新していた記事についての詳細は、もう少し精神の状態が良好になってから、私から改めて書きますね。





今日、また消えた10番の名前で郵便物たちが届きました。

アマゾンなど、公的な手続きなどではないもの、自由名や通名で受け取れるものはかつて、彼がメインで表に出てくれていた頃、よく彼の名前でうちに届いていました。

それを見て、「俺の名前だ…嬉しいな」と言っていた人が、うちには確かに、いたのです。

「早く改名したい」

「早くホルモン注射をしたい」

「早く性別適合手術を受けたい」

そう、本気で強く思っていた人が、いたんです。自分のジェンダーと本気で毎日、必死で戦っていた人が。



今の私は、10番がいなくなってから彼の名前で届く郵便物たちを見て、こう思う。
「確かに、あの人はいたんだよね。」
「肉体はひとつであるから証明するのが難しくったって、これを見て嬉しがっていた人は、確かにいたんだよね」


解離性同一性障害の一人格の存在は、形がなくて、曖昧で、不確かで、はっきりとしたものがありません。

でもね、こうやって消えた彼の存在を確かに感じれるものが目に入ったりするとね、私は嬉しくなります。

10番がいなくなってから、改名、ホルモン注射、性別適合手術を本当に望む人格はいなくなったので、それらの計画は白紙になってしまったのですが、白紙になったことも、彼がいなくなったから=彼はいたという証なんだな、と思っています。





一日の殆どをメインで表に出て、一日誰とも交代することがない日もザラにあった10番。
本当に毎日毎日頑張ってくれていた。

自分のジェンダーと戦いながら、毎日毎日、一生懸命戦いながら生きていた。

改めて、ありがとう。頑張ってくれて、ありがとう。
これからは私も頑張るからね。




あなたが大切にしていたものや、大切にしていた人たちもちゃんとこれからも大切にしていくからね。
いつかまたあなたが表に出れる時間がもし来るならば。そのときのために。






うん。ちょっと今回はただの日記ですね。笑

ただの日記を読んでくれてありがとう。
またお会いしましょうね。






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