複数愛者と呼ばれる人たち




今日が台風って知らなかった。
天気予報をこまめにチェックしない人間はこれだから困る。自業自得というやつだ。


おはよう。3番です。

夜から今朝まで仕事だったので、やんわりと自分を襲う眠気と戦いながら顧客情報を纏めていたら、外では台風が元気に暴れていると知って軽い絶望を覚えました。



さて今日は、昔出会った人の尊さを思い出しつつ、読む人が少しまた得な気持ちになれるような、

心が昨日より少しだけ豊かになれるような話でも書いて行けたらなと思います。




皆さんは、複数愛者(ポリアモリー)と呼ばれる人の存在を知っていますでしょうか?




日本の一般的な倫理だと、人一人につき一人のパートナーが理想とされていますよね。

日本には一夫多妻制度もなければ多夫多妻制度もないし、誰かと婚姻を結んだ人が不道徳な倫理をはたらけば秩序を乱してしまうことになり、慰謝料が発生したりしてお金の問題に発展することもあります。

んまあ、パートナーを複数持つことがいけないというわけではなくて、不誠実な行いをすることが道徳的に良くないですよ、っていうわけだったりするんですけどね。




複数愛者と呼ばれる人たちは、パートナーを複数人持つことが自分にとっては自然で普通のこと、と考える人たちを指します。


複数愛者のことが議題に上がると「それって道徳的に良いのか?」という疑問は何処かから投げかけられてくるのがワンセットだったりするんですけど、

「悪いことでは無い」んです。



何故ならば、彼ら彼女らは複数人のパートナーに対し

「僕は私は、複数人の人を同時に愛することが自分にとって自然で普通なことなのだけれど、その上で自分と交際してくれますか?」と、

パートナーの一人一人にきちんと確認して許可を得た上で、自分の愛と、そしてパートナーたちと向き合っているからです。


それが一般的にいう浮気や不倫との大きな違いです。




彼ら彼女らは自分のセクシャルと向き合い、人にもそれをきちんと説明し、理解を得た上で、それはそれで誠実な行いをして生きているんです。


「私は沢山の人と同時にお付き合いをしたい、でも付き合う相手のそれぞれには私のことしか見て欲しくない」

上記のような気持ちは複数愛者の定義には当てはまりません。これはただの独占欲とわがままと一方的な愛の押し付けであって、複数愛者とは根本的にわけが違います。




複数愛者の人たちは、パートナー間で争いが起きることの無いよう、はじめから複数愛に対して理解のある人と交際したり、
自分もパートナーも複数愛者という複数愛者同士の交際をすることで、喧騒や悲劇を避けたりしています。

パートナーが複数人いることを内緒にしたり後ろめたく思ったり、良くない行いだと捉えることもなく、非常に潔く、堂々とした生き方をしていらっしゃいます。

彼ら彼女らにとって、パートナーが複数人存在することは全く隠す必要のない、自分にとって当たり前で自然なことであるからです。



パートナーが複数人いたとしてもその誰もに平等に愛を注ぎ、自分も同じように複数の相手に愛される。

それが複数愛者の生き方です。




複数愛者についての基本的な説明はおそらくこんなところでしょうか。

ポリアモリーという単語も時たま何かの番組やニュース記事で目にしたりする機会はあるので、私が細かに説明するまでもなかったかも知れません。

「全く知らなかった!」という方、あなたの生活や、知識量を増やすことに少しでも貢献出来たら幸いに思います。




さあ、そんな複数愛者の人についてなんですが、ここからは私の実体験を交えて話を進めていこうと思います。



今から約3年ほど前、私にはBさんという名前の複数愛者の友人がいました。


Bさんは私より学年が4つくらいは下の、年下の友人でした。

私はBさんを今でもとても尊く大事に思っていますが、なぜ”友人だった”と過去形にするかというと、Bさんはハーフで、国籍とビザの関係上、育った場所に帰ってしまってからもうずっと会えていないし、連絡もとれていないからです。




Bさんの性別はFTX。今でよく聞く単語で言うとノンバイナリー。私と同じジェンダーでした。

そのことを当時伝えると、「同じなの?嬉しい」と目を輝かせてくれました。

私も自分のジェンダーが好きだし、Bさんも自分のジェンダーを誇っていて、共通点があるようでとても嬉しかった。



Bさんはまだ若いのにすごく物事を真剣に考えていて、非常に豊かな感性の持ち主でした。

いつも会うと独自の世界観で私の心をも豊かにしてくれて、接していてとても気持ちのいい友人でした。


会う度に「元気?」と聞いてくれて、
「変わらず元気だよ」と答えると

「良かったぁ!」と笑顔の花を咲かせてくれて。

私はBさんに出会えたこと、Bさんと接せれることをとても幸せに思っていました。




そんなBさんでしたが、ある時、とても切なそうな顔で、私に真剣に悩みを打ち明けてくれたときがありました。



「MTFの彼女がいるんだけどね、私は彼女のことが本当に好きで。



出会えてよかった、とても幸せに思ってる、
彼女と過ごす時間は宝物なんだ、




とても女の子らしくて、素敵な子なの。



でもね、私、彼女に出会って、自分の中の気持ちが揺れ動いてることに気がついた。




彼女も私も複数愛者で、私にとっても彼女にとってもお互いに複数人のうちの一人なんだけれど、



私、彼女のことを誰よりも独占したくなってしまった。



今まではね、誰ものことを平等に愛せていたの。でもね、今回はそうじゃないの、



複数人の中で、彼女が最も大事になってしまった。
複数人の中で、彼女が一番になってしまったの。



本当は誰ものことを平等に愛したいし、今まで私の中でそれが普通だった。



でもね、彼女のことが本当に好きが故に、私の中の気持ちが変わっちゃったの。



ねえ、どうすればいいと思う?彼女にとっては私は複数人のうちの一人。平等に愛される何人ものうちの一人。



それが切ないの。私も、彼女の中で”一番”にしてほしくなってしまったの。

こんな気持ちは初めて。私、どうすればいいのかな、
本当にどうしよう。」




悲しそうな、切なそうな、困惑した気持ちも織り交ざった、複雑そうな顔をして
Bさんは私に、わかりやすく丁寧に、自分の気持ちを打ち明けてくれました。



Bさんの中ではジェンダーもセクシャルももうとっくに、はっきりと固まっていたはずだった。
でも予想外のことが起きてしまい、出会わまいと思っていた自分の気持ちにも出会ってしまい、

本当にどうしよう、どうすればいいんだろう。って、すごく切なそうな顔をして困ってた。




私も真剣に、一生懸命になって納得できる答えを一緒に探そうとしたけど、Bさんの心と気持ちを少しでも救えるような言葉を探したけれど、

結局、ふわっとした場所に着地してしまって大してBさんの救いにはなれなかった。

というか、今も、そのことについて考えると何が正解なの?という気持ちになる。



揺るがないと思っていた自分のジェンダーやセクシャルについて疑問符が浮かぶような事象が発生した時、人はどうしたらいいんだろう、何をするのが正解なんだろうって。



いくつか前の記事で、誰かが「自分のジェンダーやセクシャルは死ぬまでわからない。むしろ、死んでからもわからない」って私が言っていたと書いていたと思うけど、その通りで、

ジェンダーやセクシャルって、自分でわかったつもりになっても、本当はずっと答えがないものなんだと思ってる。



私だってXジェンダー無性パンセクシャルを自称しているけれど、それだっていつか揺らぐかもしれない。

ほんの少し前、「私は両性でなく無性なんだ」という答えに至ったように。




3年ほど前の私は、「Bさんとその彼女にとって幸せな答えが見つけられるといいよね」というような意見を言ったと記憶してる。


無責任で毒にも薬にもならないような言葉だけど、幸せになって欲しいと思うのは本心だった。


願わくばBさんの心を少しでも救える言葉のひとつでも言ってみたかったけど、私はどうにも力不足な人間で、それが出来なかったことが悔しかった。


「Bさんはただ話を聞いて欲しかったんじゃないかな」と誰かに言われたとしても、それはそれ。これはこれ。私は、あの時確かにBさんの助けになりたかった。




Bさんとその彼女がどうなったかは、ことの顛末が聞ける前にBさんと離れ離れになってしまったので、私にはわかりません。


たまに思い出しては、懐かしいな、切なかったな、という気分になる。

彼女のことを語るBさんがいつも幸せそうにしていたこと、「この間こんなことをして彼女と遊んだんだよ」と目をキラキラさせながら私に語ってくれたこと、
幸せそうな顔のBさんと、細くて端正な顔立ちの彼女のツーショットの写真を「いいでしょう?」と自慢しながら見せてくれたこと。




元気かな。Bさん。

またいつか会いたいよ。
きっと今のあなたはあの頃よりいくつも歳を重ねたからあの時よりもっと素敵さを増して、周りの人たちを今も幸せにしているんだろうね。

私がBさんに関われて幸せを感じたように。



またいつか会えたら、いつか一緒に語った、宇宙に広がる惑星の美しさについて話そうね。

私はまたあなたに会いたい。会いたいと思ってる人には、きっといつかまた会えるって信じて、今日もあなたのことを思い出しながら、あなたが今を、今日を、どうか幸せで生きていますようにって、そう願って生きてる。





かなりぼやっとした文末になってしまうけど、
私はいつも誰かと関われていることに尊さと幸せを感じていて、その気持ちをずっと忘れまいとして生きています。


この記事に目を通してくれたあなたとも、私は関われて幸せなんだよ。ありがとう。




またいつかお会い出来ますように。
いや、絶対会おうね!





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