何にも覚えていない、というはなし。

いつかの下書きがあったので、追記してみた話。

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私は良く喋る。ものすごく喋る。人を笑わせることが結構好きで、今日は黙っていよう、と思っていてもついつい話し始めてしまうのだ。


話す内容は大体、わたしのやらかし話。毎日何かしらやらかしているので話のネタは尽きない。最近あった面白めのやらかし話は、ウェイトレスとしてお客様にご説明している時の「こちらをおててに…」事件。

あっ。と思った時には時すでに遅し。説明を受けていた女性のお客様は笑いを我慢しているし、使いに座っていた男性はぽかーん。ど、どうしようと思っている間に女性の口角が上がりきって、私も笑い出してしまった。全く、優しいお客様でよかった〜肝が冷えた。

まあ、そんな感じで。面白いかは別として、私はよく話す。話すことが好きなんだ、わりと。

おもしろ話をすることもあれば、
割と真面目に言葉を伝える時もあるし、
適当に話している時もある。

ペラペラとよく回る口から出る言葉ば大体適当だ。そんな私が覚えている会話はごくわずか、ごめんなさい。誰に何を話したか、なんてことはほとんど覚えていない。今週末も1時間前にした話をまた母に繰り返した。

誰かにこの話をしたい、という気持ちが強くて
この話を○○さんにしたい、という気持ちはあんまりない。私と話す誰かが笑ってくれて、元気になってくれればそれでいい。


ただ、実は自分が話した内容を覚えられていない、というのは少し悲しくて寂しいということを知っている。だから本当にすまないと思っている、近しい人には余計に。覚えたくないわけじゃないんだ、ただ、覚えられないんだ。

「あれ、この話ってもうしたっけ?」
「これもう話したか覚えてないねんけど…」
悪気がないように口癖のように言っているが、本当は良くないことをしっている、ごめん。悲しませていたら、ごめん。

思い出せないけど、話を聞くと思い出す。それを何回も繰り返して、ようやく覚える。

人も同じだ。何度も同じようなことを繰り返して、その度に反応を見て、ようやく彼はこれが好きなんだ、彼女はこれが苦手なんだ、と。
明確な悪意ではない、でも覚えていないというのは無関心のように感じてしまうのは私だけか?だから、本当にごめんって思ってる。本質的に、私は他人のことがどうでもいいんだ。だから覚えられない。それもわかってる、それはたぶん大親友でも恋人でも家族でも変わらない、きっと毎回忘れては思い出すのを繰り返す。


覚えていないということは、ギフトだ。辛いこともやな記憶も、忘れられない声も。覚えていなければそれでいいんだ、覚えていなくなって、生きていけるんだ。

私は何にも覚えていない、毎日誰かを、何かを忘れていく。だけどこれからも縁が続くならきっと思い出し続けるはずだ。

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