8月31日が、ただの平日になる日まで
8月31日が、特別じゃなくなったのはいつからだろう。
多分大学1回生の時だ。
大学の夏休みは長い。始まりは高校までより遅くて、確か8月の初旬まではテストがあった。
ただ、後期の授業が始まるのも10月なので、夏休みはほぼ2ヶ月。
8月31日はいわば中間地点であり、何も考えずに夏休み満喫中の日になった。
大学は夏休みの宿題もないから、その進み具合を気にする必要すらなかった。
それでも、夏休みの1日ではあるので、バイトしたり旅行に行ったり飲み会をしたり、はたまた家でゴロゴロしたり、普通に楽しい休日だった。
社会人になって、8月31日はただの平日になった。気がついたら終わってる、そんな日になった。
人生は長い。健康寿命でも、日本人の平均は70歳を超える。つまり、元気に活動できる70年のうち、8月31日が特別切なかったり楽しかったりするのは、せいぜい18年。とはいえ最初の5,6年はそんな感覚なかっただろうから、10年ちょっとということになる。
8月31日を特別な日として迎える若い子は、何を思ってるだろうか。
最後に思いっきり遊べる日、部活を1日中できる日という人も、友達と会えるのが楽しみ、という人もいるだろう。それはとても素敵な事だ。
そんな一日を過ごせる時期は一生のうち、今だけだ。大切にして欲しい。
それに、なにか辛さを感じている人。学校に行きたくない、夏休みが終わって欲しくない人。
こんなこと言われても、救いにならないかもしれないけど、さっき書いたように、8月31日が何の変哲もないただの平日として過ごす人生の方が、遥かに長い。
もちろん辛いことが無くなるわけじゃない。
学生の時の方が楽だった、楽しかった、そう思っている社会人がほとんどだ。
でも、今、8月31日を辛く感じている人、その辛さは永遠じゃない。永遠じゃないからこそ、我慢しなくていいと思う。
逃げたくなるほど辛いことでも、例えば一生毎年続くことなら、逃げずに済む対策を考えたり、克服する必要もあるかもしれない。
でも、何年かすれば感じなくてよくなる辛さなんだったら、我慢するのも、何とか変えようとするのも、やっぱり無理なら逃げちゃうのも、全部いいと思う。
逃げるのにも勇気と行動力が必要だ。
親や先生に説得されることもあるだろうし、人と違うことをして自分がどうなっちゃうのかという心配もあると思う。
残念ながら、私は学生時代に逃げたことがないので、分からない。でも、ある日突然学校に来なくなった友達も、いまではみんな働いて生活費を得ているし、早い人なら奥さんと子どもまで養えている。
私は恥ずかしながら社会人になってから、なんか辛くて休むなんて手法を取ったことならあるが、ルールの中なら別にお給料も減らないし、怒られもしなかった。
突然辞めるまで追い詰められるよりは、限界になる前に1日2日の休暇で何とか続ける方が、自分も楽だし、迷惑もあまりかけずに済んだと思っている。
その時はとても深刻な問題なのに、後から振り返れば些細なことは結構多い。それは、辛いことやその原因ではない。サボったり、転校や転職をして、とりあえずその辛いことから逃げちゃうことだ。
その後、辛く無くなればそれでいい。それは、逃げ出したのではなく、上手くいった進路変更、臨機応変な対応というやつだ。なんかすごいできる人っぽい。
学生の本分は勉強だ、社会人は、働いて社会に貢献して税金を納めるのが役割だ。
そう言うなら、のびのびと集中してその本分とやらに打ち込めることが必要なのだ。
先生や上司や同級生や先輩後輩や、校則や取引先やノルマや、そういったものが心に影を落としてきて本分が疎かになるようではいけない。
だから、辛くない環境で、自分の得意な分野で努力して、いつか自分を誇れるように、大事な人を支えられるように、夢を叶えられるように、8月31日がいつかそんな日々の通過点の一日になるように。
これは8月31日が辛い皆へのエールだし、
8月31日が辛かった皆の、あの時の気持ちや後悔や引け目の供養だ。
8月31日を、やり過ごしたり、逃げたりしながら越えてきたことはすごい、そして、別に恥じる必要も後悔する必要も無い。
願わくば、8月31日が、皆にとって「あぁ、今年の夏も終わるなぁ」くらいの、ただのエモい一日となりますように。