幸わえ給えと願うこころ
家族で旅をしてきた。
お得意の、弾丸で。
あちこちの神社へお詣りして、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、清らかな川に手を浸して、その土地の美味しいものを味わって。
家族みんなで過ごせる貴重な時間。
じっとうちに閉じこもって過ごすのか、太陽の光を浴びて風を受けて裸足で芝生を駆け回るのか、選ぶのはいつだってわたし自身だ。誰になんと言われようとも。
自粛、とは。
『自らあらためて、つつしむこと』だと言う。
正解なんてわからないけど、わたしにとってあらためたいのは、これまでの最適解を探すようなつまらない生き方で。
慎みたいのは、つい遠慮や我慢をしてしまう心の癖だ。
周りは、ひとは、みんなは、どうしている?
どうするのが正解?良いとみなされる?
そういう下らない他人の目線なんて全部とっぱらって、明日死んでも後悔しないように生きる。それこそがわたしのやりたいことで、好きなひとや好きなものをひとつずつこの目と手で確かめて、やっぱりわたしはこれが好きだ!って高らかに言っていきたいから。
明日、いやもう今日になる、大切なイベント。
わたしは、わたしの大好きなひとたちに、会いに行きたい。
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今回の旅でまたひとつ、行きたかった場所に行けて、夢が叶った。
大好きな食べ物、飲み物、雑貨、洋服、そして本たち。
わたしの好き、がギュギュっと詰まった空間にいられて、とても幸せだった。
そして、そんな夢をいつでも叶えてくれるひとたちと一緒に、そこを訪れることができたことが、何より嬉しかった。
うちの家族は、てんでばらばらの方向を向いているので、まとまるのがなかなか大変だ。でも、誰かの好きを大切にしあえるところが、とても佳いと思っている。
みんなが遠慮せずそれぞれの好き、を主張しあって、たとえ自分はそれに興味がなくても、尊重してできるだけ希望を叶えようと歩み寄る。
意見が合わないことも多々あるけれど、その姿勢があるからこそ、こうして楽しく過ごすことができる。個性的すぎるメンツだけど、そこだけは誇れるような気がする。
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この旅で、いろんな神社をめぐってきた。
わたしには神様の世界やしきたりなんかはよくわからないけれど、いつも願うのは、この世界ができる限り佳きことで満たされてほしいということ。
どうか大切なあのひとやあのひとが、笑っていられますように。
いつもでなくてもいい、嵐や雨の日もあるかもしれない。
けれど、できれば晴れやかな心とのびのびした気持ちでいられますように。
この地球に生きるすべてのものにとって、物事がどうか佳き方へ流れますように、と。そう願う。
だから、神様のお社の前に立つとき、最後に必ず『さきわえたまえ』と心の中で唱える。
きっと、大昔からひとびとの想いは繋がっていて、自分の周りのひとの幸せを願う心、というのはずっと変わらないような気がする。
だからわたしは、これからも変わらずただ「さきわえたまえ」と願いながら、いろんな神様に祈るのだろう。
雨の日も、風の日も。雲の日も、晴れた日も。
どうか、あのひとに、幸多からんことを。
サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。