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よばれや通信/川は流れて

ご無沙汰しています。よばれや女将のヒトミです。
わたしはとっても元気です。
実生活が怒涛すぎて、noteの方に全然寄れてません。

ここのところ、予想もしてなかったほど、どんどんといろんなところへよばれすぎて、自分でもちょっと意味の分からない感じになってきました。

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たとえばある日は、友人のアーティストによる河原の演じ舞。

同じ場所で何度かやっていて、この日はわたしとコラボした2回目。

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たまたま予定が合ったから、ということではじめましての人たちが、それぞれ楽器を持ち寄って演奏して、それに合わせて舞ったり唄ったり。

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それを見ながら、河原に敷いた布の上でわたしは珈琲やお茶をふるまう。

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思い思いに持ち寄ったお菓子を食べながら談笑するひと、楽器を教えてもらうひと、お散歩に通りかかった犬と戯れるひと。

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珈琲一杯いくら?とか、そういうお金のやりとりはまったくいらなくて、でももしどうしても気持ちを届けたければそれもありで。

舞をみせてもらったひとが、お気持ちを包んだ袋を手渡して。
舞うひとはそれでまた、次のどこかでみんなに素敵な夢を創り出して魅せることができる。

誰もが思ったこと、やりたいことをそのまんまに、ただしているだけ。
誰にもなんにも、気を遣うことのない自由な時間。
まるで時の流れが止まったような、静かで豊かなひとときがそこにはありました。

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なんとなく『よばれや』という名前は、「みんなでごはんをよばれよ(食べよう)かー」とか「遠慮しないでどんどんよばれて(食べていって)ね」っていうイメージでつけたのですが、いつかは「うちにも来てもらえる?」って向こうから呼ばれるようになったらいいな、という想いもありました。

だけど、こんなに早くあちこちから呼んでいただけるようになるとは、回遊魚のわたしとしてもさすがに想定外でした。

よばれて、ふるまって、みんながそれをよばれてくれて、そこでいただいたものを誰かに手渡すために、また次の場所へよばれる。

よばれやで届けたなにかがまた誰かの周りでつながって、そうやって小さな環が広がるといいな、と願った夢はもう、すでに叶いすぎなくらい叶っています。

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川の流れにただ身体を任せて、すべてを預ける。
ちょっとこわいようですが、それって思い切ってやってみたら、案外一番楽なのかもしれません。

わたしはいま、とっても自然な流れにすっかり身を預けて、よばれやとしての生き方を一日一日楽しんでいます。

マガジンに登録してくださっているみなさん、いちまいごはんの報告もできていないのにこちらを先にあげてしまって心苦しいのですが、今日はどうしても、いまのわたしの想いをおはなししたくなりました。

どうか、みなさんも一日一日を大切に、自分の周りの流れに耳を傾けて、身体を預けていまを楽しんでみてくださいね。

わたしはこれから明日のいちまいごはんの材料を探しに、市場へ出かけてきます。
さて、どんな出逢いがあるのかな。楽しみ楽しみ。

それでは、また。


サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。