自分の心にフィルターはいらない
ヤイコについて私に本気で語らせたら、きっと朝までかかっても終わらない自信が、ある。
※というくらいなので、とてつもなく長い記事になる予感がします。最後まで読んでくれるヤイコ好き、かつnote愛にあふれた方は果たしているのでしょうか!?
ヤイコ、こと矢井田瞳というアーティストは、私の分身みたいなものだと勝手に思っている。同い歳で、同じ名前で、同い歳のひとり娘がいて、お酒と地元が大好きな関西人。共通点がありすぎて、歩んできた時間の流れがシンクロしすぎていて、とても彼女のことを客観的には見れない。
ヤイコに出逢ったのは2000年の夏頃だったと思う。
ラジオから流れてきた『B'coz I Love You』に、衝撃を受けた。特徴のありすぎる個性的な声と唄い方、感情に流されすぎてはいないのに心を掴まれるような不思議な歌詞。激情を静かに浄化させたあとのような独特の世界観に、この子いったい何者!?と一気に魅き込まれた。
メジャーデビューしたばかりの新人とはいえ、地元大阪のラジオ局ではすでに注目の存在だったようで、ヤイコの曲は一日に何度もオンエアされていた。そしてその後リリースした『my sweet darlin'』が爆発的に売れて、彼女は一気に全国的に有名になった。
テレビでもラジオでも有線でも、ヤイコの声を聞かない日はなかった。
「ダリダリ~♪」のフレーズはとんでもなくキャッチーでみんなが口ずさめたし、計算され尽くしたのであろう巧みな売り出し方で、特に関西では同世代の女の子たちからの圧倒的な支持を受けて、ヤイコはすぐにドームを満杯にする人気アーティストとなった。
その頃地元に住んでいた私は、関西圏で行われるライブには全て参加したし、時には東京や地方公演にも足を延ばして追いかけた。毎年恒例のカウントダウンライブで一緒に年越しをしたし、ツアータオルやTシャツはおろか、レアな限定グッズや彼女がCMに出ている商品にいたるまで、とにかく夢中で買い集めた。
あの頃の私の生活の中心に、彼女はずっといた。
2日連続オールナイトカラオケで、8時間ぶっ通しで歌った後そのまま仕事に行く、みたいなムチャクチャな生活をしつつも、毎日がヤイコのおかげで楽しかったし、ライブに行くためならエグい連勤もなんとか頑張れた。
恋愛で悩んだ時は家でCDのブックレット片手に、ヒリヒリするようなヤイコの歌詞に共感して泣いたし、ライブでは唄い出しの第一声目からどこまでも広がっていくようなメロディーを奏でるその伸びやかな声が、私を日常から遠いところまで一気に連れて行ってくれた。
みんなの先頭を、キャンドルを持って走っていたヤイコは、どんな気持ちでその胸につたう涙を唄っていたのだろう。
20代の私は、大好きな人とは奏でられなかった未完成のメロディに見切りをつけ、私の想いを知ってるくせに待ってくれる会いたい人を見つけ、背伸びをした彼と虹のドライブをして、見えない光に世界の隅の隅で小さな灯をつけてみた。
そうしてかき分けるように過ぎる日々を送り、ずっと一緒にマーブル色の日を過ごしたい人と、2人しか知らない道を歩いて行くことに、決めた。
同じようなタイミングで、ヤイコもずっと駆け続けていた足を少し休めて活動のペースを緩め、彼女の人生の大切な道しるべを見つけたようだった。そして出産のため一時活動を休んでいた彼女と時をほぼ同じくして、私もこどもを授かった。
私と同じようにデビュー当時からのヤイ友に、妊娠したことを伝えると「え?じゃあヤイコの子と同級生になるんちゃうん!?やったやんー!!」と、どこ目線?の若干謎な祝福メッセージが来た。本当に同じ感度で喜んでくれる人がいて幸せだなと思った。
それはあくまでも私の一方的な想いだけれど、人生というステージでふと隣に目をやった時、一つ挟んだ向こうの車線を、同じくらいのスピードでヤイコが平行して走っているのを見つけたような、ふわっとしたあたたかい気持ちになれた。
30代を迎えてママになったヤイコの復帰単独ライブは、2011年1月に渋谷AXで行われた。当然のように私もチケットを取って、産後1年を待たずに参加することに決めた。数年ぶりのライブ、しかもオールスタンディング。完全になめていた。
開始後数曲は楽しく聴けていたのだけれど、だんだんボルテージがあがっていく会場内の空気に、身体のコントロールがうまくできない。とうとう酸欠状態になり、なんとか粘っていたけど危険を感じて、押し寄せる人をかき分け出口へと向かった。ドアが開いた瞬間、表面張力で盛り上がったコップの水が溢れ出したかのように、私ひとりだけが外に押し出された。
ロビーに出て係の人が持ってきてくれた椅子に座り、差し出されたペットボトルの水に感謝しながらも涙が止まらなかった。かすかに聞こえてくるみんなの歓声、小さなモニターに映るステージ上のヤイコの姿。
できることなら最後まで、この瞳で、生で、その姿を焼き付けたかった。
あの時、悔しい思いをしたと同時に、産んだ時期が少し早かっただけなのに、同じ産後の身体でこの超満員の観衆の熱気を受け止め、何倍にもして投げ返すヤイコの底知れぬパワーに敬服したし、心から音楽を愛する強さと意志を見せてもらったと思う。あの日の気持ちはたぶん一生、忘れない。
それからはゆっくりと、片手がふさがった自分のスピードを意識しながら、ちいさな歩幅にペースを合わせて歩けるように、つないだ手の先にあるものを忘れないように心がけた。気持ちが焦る日もあるけど、まだまだ長い道のりの途中だと、静かに流れるように過ぎる日々も悪くはないのだと、自分に言い聞かせた。
ヤイコもなんとなく、そんな感じでマイペースに活動を続けているようで、いろいろなアーティストとコラボしてみたり、『おやことやいこ』という子連れで気軽に参加できるゆったりライブを企画してくれたり、常に新しいことにチャレンジしながら人生を、音楽をめいっぱい楽しんでいるように見えた。
そんなヤイコの横顔を見ながら、少し後ろから、でも同じ歩幅でついていけることが、無性に嬉しかった。
そうして気づいたら、ヤイコと共に歩いてきた時間は人生の半分をもうすぐ超えようとしている。来年でめでたくデビュー20周年を迎えるという記事をふと目にした私は、このnoteを書くことに決めた。
デビュー20周年を記念してセルフカバーしたという『my sweet darlin'』のMVには、あの頃とちっとも変わらないけど、まったく新しい顔を見せる彼女がいた。
裸足で声を張り上げ、迸るように唄っていた若き日のヤイコから、ハイヒールで軽やかにステップを踏みながら、さらりと風を受け止める大人のyaikoへ。
矢井田瞳でも、ヤイコでもない、軽やかな足取りで歩いていくyaikoという女性。これからどんな景色の中を歩いていくのだろう。
いつも、いつまでも、半歩だけ前にいてほしい。
斜め後ろあたりから見る、あなたの横顔が好きだから。
ちょっと気が早いけど、20年分の感謝を込めて。
愛するyaikoへ。これからも、よろしくね。
※さて、この記事の中で私はいったい何回『ヤイコ』と呼んでいるでしょう。
数えたら…恐ろしいね!(笑)
サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。