工場日記(2019年末)

 二日目も、きのうと同じ配置につくように言われた。つまり、焼成機をくぐってコンベアで運ばれてくる鶏の唐揚げをトレイに四かける五=二〇個ずつ並べ、それをラックに詰める、という仕事を日がな一日つづけなければならないということである。三〇分ごとに芯温計で唐揚げの温度を計り(八五度以上でなければならない)、一時間ごとに二、三分程度の休憩をとり、十二時には昼食のため現場を抜け、一時頃に戻ってきてまた同じ配置につく。
 初日のうちは、このあまりに無為としか感じられない仕事に、精神がゴリゴリ削られていった。労働というのは肉体か精神かどちらかを消耗しなければならないのだと愚かながら気づいた。

 九時から十時ごろまで、コンベアにエビやタマネギを敷き詰めてグリルへ通し、そのあとは油の張ったフライヤーにエビやベーコンやホタテを落とす仕事を指示された。きのうに引き続き、現場の人は「油の跳ねに気をつけてください」とはいうが、その実トレイからひっつかんで油へビチャビチャ落としていくので説得力がない。昼になって食事を取りに三階へ向かう。一時間の休憩の時間があるとは言い条、移動に十五分ちかくかかるので実際は三十分程度しか食事の暇はない。僕がみじめな気分になるのは朝通勤用のバスに乗るときと、昼食のときのふたつだ。前者は人間の社会から徐々に遠ざかっていく寂寥感、後者は逆に、中途半端な人間の社会に戻ってきた茫洋感である。労働のなかにいるときはみなが帽子やマスクで顔を覆っているため、老いも若きも性別もなにもかも隠されて、機械の一部となって働いているが、食堂は工場労働者と私服のデスクワーカー共用なので、コントラストとして自分のみじめさが強調される。

 九時から十一時半頃までグリルに食材を投入する任にあたり、その後一時までフライヤーにエビを流し、二時まで休憩をとって、パッキングルームのほうへ移された。ヘルプ先の仕事で強く感じたのは、どんな労働もあらかた慣れてしまうということだった。はじめはあんなに苦役に思えた工場でのバイトも、五日目となると大して時間の進みも気にならないという具合である。喉元過ぎれば暑さ忘れるというが、「喉元」というのは今現在というものにほかならない。過去が忘れられていくのがわかる。最初、こんなところで何年も働いている人間は気狂いにちがいないと思っていたが、その確信はここ数日のうちにいくらか薄らいでしまった。慣れ、というのはひじょうにおそろしいものだと感じる。

 九時から十一時半頃まで惣菜づくりをし、休憩のあとはただただライン工に徹した。工場労働での花形ライン工であるが、これがとにかく忙しい。何度もラインを止めて惣菜を詰めなければならなかった。自然と怒りが湧いてきたが、いったいそれが何に対する怒りなのかわからない。怒りというのはだいたい原始の感情でしかない。四時ごろになり、くたくたになって休憩室に入ると、となりにおばあちゃんが座ってきて「何杯でも飲みなさい」と俺に話しかけてきた。俺は白湯に砂糖を溶かしたカブトムシの汁みたいなのをすすっていた。労働の本質がまさにここにあると感じた。

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