あれ?これ初投稿??

ここ最近は、自分の言葉を書き留めておく機会がうんと少なくなってしまっていた。するといつの間にか、考えを体の外に出すことも、なんなら自分の中で言葉として形を与えてあげることすらも、やっぱり少し下手くそになってしまっている気がしてならない。まずい。元々あんまりうまくは無いけど!ということでリハビリも兼ねて、色々書き残していってみようと思う。


ここしばらく、忘れたくない光景に出会い続けていて、一つ一つがまるで夢みたいに実感なく、怒涛のごとく過ぎていってしまっている。夢か現実かが曖昧になってしまう時が実際あるほどで、ずっと不思議な感覚の中に生きている。
そもそも「考え」や「感覚」には、旬があるのだと思う。
熟れすぎた果実は腐りもするし、お酒になるだか土に還るだかなんだかで、何かへの変貌を辿っていく。その果実そのものを一番よく堪能するには、程よく、ちょうどよく熟れている瞬間を狙うしかない。
その時に感じていることや思っていることも、その時ちゃんと味わないとどんどん形が変わっていってしまう。これは本当に寂しい。けど、人間だから多分仕方ないし、日々は「旬」にまみれているから、色んなことが忙しなく過ぎていく。人生の中には四季のような決まったリズムがないからなぁ、一度過ぎた旬は取り戻せない。
その中でも、そのほんの一瞬の煌めきを捉えて、大切に守り抜こうと思えるものに出会う。自分の丸裸の執着心が顔をのぞかせる瞬間。「これはなんとかして少しでも長く覚えていたい。できることなら何度でも味わいたい」と、その時旬なうちに反芻しまくってしまう。そのうちに、旬は「記憶」になる。なんとも人間ぽい営み。けど、そう思えるものに出会えることこそは、多分当たり前みたいで当たり前じゃないんだろうな。こういう「旬」は美しくて儚い。そういう「旬」との出会いが、最近多い、いや、多すぎる…!

忘れたくない記憶とか、この自分の心の中身とか、ジップロックに入れて保管できたらどんだけ楽なんだろうなぁ。鮮度の高いうちに冷凍保存して、取り出したい時にほかほかの状態に戻せたら…。
でもきっと、人はそういう楽ができない曖昧な存在だから面白いんだろう。勝手に自分で取捨選択したり、個人のいいように受け取ったりして形を変えながら「己」を形成していくもんなんだろうな。それがその人の価値観だったり、習慣だったり、性格だったりに繋がるんだろう。
人間にはそれぞれいろんな経験の蓄積があるけど、地層のように時系列で重なっていっているとは限らない。いつだって自分でカスタマイズした地層の上に立っているし、地殻変動は度々起こるもの。その、ある種自分勝手な激しい生命力が呼応しあって、人と人との関係が発展していくんやなぁ、なんて。

いやぁ、人間って不思議よね。他の生き物のことも正直よく知らないけど、人間ほどこんなに分からん存在って、ないよな。毎日何かしらの発見があるもんな、凄い…。自分はきっと、今までもこれからも、死ぬその時までずっっっと人間の研究を続けていくのだろうと思う。自分自身も実験体に。

2023.8.7 深夜1時の戯言でした🐠


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