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帰省虫

どうも、付和雷同うんち人間です。

最近は隙あらば帰省しています。母親の健康的な飯が食えるからです。滋賀に帰る際は、いつもJRではなく阪急を利用しています。阪急電車は座席の色合いやその配置、それから乗る人の雰囲気もなんとなく他の線より穏やかな気がして昔から好きです。まあ一番の理由は、JRと比較すると片道700円も浮くからなんですけどね。

終点の京都河原町駅で降り、そこから京都駅を目指して鴨川を30分ほど南下するというのが定番の流れなんですが、先週の帰省では逆に北上して祖母の家を訪れました。「ハムスターを飼い始めた」と祖母からLINEが来たからです。


昨年の初頭、僕の留学中に祖父の認知症が急激に進行しました。それでもなんとか自宅での生活が続けられるように両親やヘルパーさんが家に通って介護を続けていました。が、いよいよもうこれは限界だなあ、という出来事が先日起きました。なので今祖父は入院しています。

正直祖父のここ数年の変わり様にはかなり驚いていました。定年を迎えた後も勤めていたホテルの仕事から完全に引退したのが4,5年前であり、そこから間もなく認知症が発症。仕事一筋の人生を長く歩んできた人ほど生活の中から急に仕事が無くなると何をしていいか分からなくなるそうで、まさにそんな感じでした。

祖母曰く、祖父には昔からあまり趣味が無かったそうです。ゴルフのイメージがあったので聞いてみたんですが「あれは仕事の付き合いでやってたけど休みの日に自主練をしてた事なんか一度も無かったよ。」と言われました。だから基本的に休みの日はずっと家。

逆に祖母は好奇心が強く、僕が小さい頃は日本画や習字の教室に通ったりしていましたし、一人でもしょっちゅう映画を観に行っていました。僕に西国三十三所巡礼を勧めてくれたのも祖母ですしね。昔から話を聞いていて本当に面白いです。

まあ専業主婦の祖母と仕事三昧の祖父とで趣味の量や時間の使い方が異なるのは当然かもしれません。それでも、祖父にもう少し趣味があれば認知症の発症が先の話だったかもしれないなあとか思います。


まあ、そんなわけで祖母は急遽一人で暮らす事となりました。しばらくは数十年ぶりの1人の生活をそれなりに楽しんでいたようですが、やはり寂しいという本人の希望でハムスターを飼う事になったそうです。我が家では過去に1度飼った事がありその時の用具一式が残っていたため、今回の飼育はとてもスムーズに始まりました。

遥か昔、父親が段ボールに捨てられた2匹のハムスターを拾ってきました。たしか僕が小学4年生の頃です。1匹は父の知り合いに引き取ってもらい、もう1匹は我が家で育てる事になりました。既にセキセイインコを飼っていたのですが、四六時中やかましすぎてうんざりしていたので新しいペットの誕生に大喜びした記憶があります。ちなみにそのインコもペットショップで出会ったわけではありません。

ある土曜日の昼、いつものようにチャリを飛ばして公文から帰って来た僕は玄関先のベンチでちょこちょこと歩き回っている緑の鳥を見つけました。近づいても全く逃げ出さないので不思議に思いましたが、すぐに片足の指先が何本か欠けていると気付きました。そのまま親に報告し、しばらくの間は保護しつつ近所の人々へ聞いて回りましたが、いよいよ飼い主は見つかりませんでした。なので引き取ったという流れです。結局飼っている間もほとんど飛んでいなかったので、まじでどこからどうやって来てんという感じです。

およそ10年ぶりに手のひらへ乗せたハムスターはやはり可愛かったです。
魔女の宅急便が好きな祖母によって、キキと名付けられました。祖母の与えている餌の量がバグっていたので心配ですが、あの家にやって来れたのでこれからもたくさん愛情は注いでもらえるでしょう。


頻繁な帰省の理由は飯以外にもあります。あと1ヶ月ほどで滋賀からいなくなる友達たちの存在です。

その中の1人はお寺の子です。今月末から3年間、山奥のお寺へと修業に出ます。毎年お盆の時期に数日だけは帰ってこれるそうですが、そこに必ず僕が合わせられる確証はありません。今年の夏休みだってそのほとんどをサンティアゴ巡礼に充てる予定ですからね。

ちなみに彼は僕の留学中にはるばるスペインまでやって来てくれました。しかも3週間。「お坊さんになったら寺を留守にして海外旅行なんて一生無理やろうから学生の間に海外に行きたい」と言っていたので、バルセロナやロンドンなど色々な場所を一緒に巡れて本当に良かったです。海外は一人でもめったに行けないので、友達とであればなおさら「死ぬまでこの日の事は忘れへんやろうなあ」としみじみ感じられます。


出会った頃は彼の事を表面上しか知らなかったので「お寺の子ってことは将来坊主にしてお坊さんになるしかないのか~」みたいな同情が正直ありました。僕の人生で初めての存在だったからです。ただ、今はもうそんなことを感じません。本人も「普通に就活をして自分の好きなように将来の仕事を選べるみんなが羨ましい」とは言っていますが、自身の人生に対する覚悟はとうに決まっている様子です。教員免許を手に入れたので、お父さんが元気な間は副業で教員になる道もあるようです。他人が誰かの人生を推し量って勝手に可哀想などと思うのはなんとも的外れな行為だと学びました。

修行中はスマホが没収されるそうなので、手紙を書くしかなさそうです。毎年彼とは年賀状を送り合っているので書簡形式でのやり取りに抵抗はありませんが、ただただ寂しいです。三年後なんてお互い25歳ですからね。良い意味でいつまでも変わらずにいたいです。来週は一緒に北海道旅行へ行くので美味しいものを食べながらたくさん話をしておこうと思います。


先日、滋賀の友達と三人で飯に行った際に一人が「宗教を信じている人は自分に考え方の軸があるから話していて面白い」と言っていましたが、まさにその通りだと思います。留学中はたくさんのカトリックやムスリムの方と話をしましたが、やはり面白かったです。「僕は僕のためにこの宗教を信じている。だからあなたや他の人が信じていない事に何かを思うわけではない。」てな感じで宗教について教えてくれる優しい人ばかりでした。


前述の友達は「お前は相変わらず浅いな」とも言っていましたが、これまたその通りだと思います。ナルトでいうところの「忍道」が僕には皆無です。中学の頃に「八方美人」と言われたり、高校の時に「良いやつぶんなよ」と言われた事もすべてこの「浅さ」が原因だったのだと今なら分かります。

色んな人と仲が良い人間というのは、ともすれば色んな人と波長が合う人間と言えます。しかしながら、根っこの部分が合う人間にそうポンポンと出会えるものでしょうか。これは「単に同じ考え方とか似た境遇を有している」なんてものではなくて「合わせようとせずともなんか居心地が良い」みたいなあまり言語化の出来ない事だと思います。


僕は特に中・高において本当に浅い人間関係を築いてきました。もちろん今にまで続く友達との時間もたくさん過ごしましたが、彼らと比べてしまえばそんなに合っていない人たちとも一緒にいる事が多かったです。ほんで自分から交友関係を広げていったというよりは、なんか気付いたらこの人ともいるようになったなあという場合が主です。

「別に自分に危害さえ加えてこないのなら一緒にいとくか」みたいな曖昧な考え方をずっと持ってました。だから遊びに誘われれば基本的に行ってました。誘われるのはとても嬉しかったので。

そうやって一緒にいる人がコロコロ変われば、当然生き方もぶれぶれになるわけで、色んなノリや価値観がごった返しになります。そしてこれは完全に自己評価ですが、これまでそのほとんどの環境でそれなりに適応はできていた気がします。その結果が今の浅さです。

「あなたを動物で例えると?」という問いがあれば「カメレオン」と即答します。でも貴重な中高生の時間を無駄にした感がすごいです。今になって悔しい。

書いていて感じたんですが、最近は遊ぶ人が本当に限られてきました。そもそも自分から誘う事が少ないのですが、仮に誘われても「もうこの人とはいいかなあ」と感じたら断るようになりました。

この歳になってようやく自分の人生を大切にできている気がします。集団としての繋がりでそれなりに仲の良い人というのは今も残っていますが、自分から1vs1ないしは3~4人での遊びに誘うというのはもう激レアさんですね。


そういう激レアさんたちは、僕が間違った事をした時に「それは間違っている」としっかり伝えてくれる事が多いです。全員が叱ってくれるわけではなくて、軽い注意や軽蔑など人によってその手段は様々ですが、それでもみなさん今日まで変わらずに接してくれています。

「お前の結婚式には行かんで。」と言われたことがあります。
「お前が人を殺すか、おれの家族とかに危害を加えたりせん限りは友達で居続けると思うで知らんけど。」と言われたことがあります。
「こんなに周りの人間から応援されへん恋はしんどかったやろ。良かったやん、これでお前の結婚式行くかもしれんわ。」と言われたことがあります。

まあこれ全て同一人物の電話越しでの言葉なんですが、どれもむちゃくちゃ響きましたね。特に3つ目の電話の後は泣きました。これらの言葉をあえて直接言ってくれた優しさにというより、こんな事を言われる人生を歩んでしまった情けなさにです。でも本当に感謝しています。

分かった風に文章を書いたり、長ったらしく話すのが僕の悪い癖です。この記事も現時点で4000字超えなので本当に長い。「自分であれこれちゃんと分かってますよ~」と最初にアピールして他人から指摘された時の傷を最小限にするための防衛策です。このせいで、告白する時なんかはいつもぐだぐだになります。もっと素直でありたいです。「好きです付き合ってください」以上!!!


昨日はとても穏やかな一日でした。友達から借りた湊かなえの新作『人間標本』がおもしろすぎて気付いたら12時を回っていました。昼飯をすませて昼寝をし、夜飯を食べて風呂に入り、この記事を書いていたらあっという間に深夜の3時半。朝8時から摩耶山に登りに行くと約束していたのにです。

結局9時集合にずらしてもらいました。まじでONINEMUでしたが無事に掬星台へと辿り着き、昼過ぎには下山できました。今日は雪がぱらぱらと降るほど寒かったのですが、それでも登山は気持ち良いですね。最後は家までの帰り道で出会った街中華に入って800円の激美味ランチを頂きました。家に帰って昼寝をし、今こうしてこの記事を書き終える事も出来たので大満足の一日となりました。ちなみに「大陸」という春日野道らへんのお店です。ぜひ。




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