ベビ助の保育園生活
母は無職になったが、ベビ助は順風満帆な保育園生活を送っていた
なぜか先生に可愛がられるタイプだったようで特に問題行動をするわけでもなく楽しくやっていた
お友達を叩いたとかかじったなんてことを言われることもなかった
私は、お腹にいる時から
私の子だしきっと大変な子で問題児になるだろう
と覚悟をしていたので「あら?😯」って感じだった
だが、けっして大人しい子ではない
ジジとお風呂に入って出る時にサッシにつまづいて足の甲をパックリやったり
車庫でストライダーを乗っていて、鉄パイプに顔面から突っ込み鼻パックリ
なんてこともあった
スクスク育ってくれていると思っていたら、3歳児健診の時に耳が聞こえていませんと言われた
😨😨😨なんだと!?ちゃんと会話してるよ!?
びっくりしすぎて、すぐ病院へ行くと蓄膿症で聞こえが悪くなっていると言われた
蓄膿症が治れば耳も良くなるとわかって、ものすごく安心した
小児喘息だと診断もされた
病院がお友達くらい通った
その他は、私にとっては手のかかるようなことはなかった
食は割と細い方で回転寿司に行ったら4皿で終わるような子だった
オムツも私が出張に行っている4.5日の間にババが勝手にやっていてスムーズに取れた
鼓笛隊ではたった1人しか出来ないパート、ドラムをやらせてもらった
鼓笛隊なのにドラム?と思ったかもしれないが、そこは私もわからない
お泊まり保育でも帰りたい🥺なんて全くなく、また行きたーい😆と言っていた
4歳には小児喘息と言われたから、スイミングを始めた
セントラルフィットネスのキッズので、2つのコースをやると少し安くなるのでダンスも一緒に始めた
セントラルでは当時、年1.2回だったかな?写真撮影があり買うことができた
それがめっっっちゃ高い!!
でも、成長の記念だと思って買った
これから何度もそういった写真屋さんが登場するのだが、ホントいい商売だなと思う
そのシステムはいつの間にかなくなった
私は次女なので、基本おさがりばかりだった
それでバカにされたことは何度もある
本当に本当に嫌だった
私の母は、あまり買い物が好きではないので一緒にデパートとかの記憶はあまりない
だから自分の子にはなるべく新しい物を着せてあげたいと思った
小さい服は安いところが沢山あるので、そのくらいは買うお金はあった
だんだんと孫格差も見え始めた
甥っ子は私が中学生の時に産まれた
そう、姉とはだいぶ歳が離れている
面倒を見てくれるとはいえ、ババは甥っ子が優先なのだ
ジジは甥っ子の時はまだ働いていたので、逆にベビ助の方が手をかけてもらった
ある時のバレンタインでは、甥っ子は大きいから2つでベビ助は小さいから1つと言ってくれた
サイズの違いはあってもいいと思うが数はなんかダメな気がした
甥っ子の服はほぼババが買ってあげていた
ベビ助はほとんどが私
甥っ子のことはどんな遠くへでも連れて行った
ベビ助は病院にすら連れて行ってはくれなかった
普段のことは、甥っ子とベビ助では両親の年齢が違うから仕方ないと諦めていた
でも、甥っ子が大学へ行く時にジジババが援助をしたのだがその時に「ベビ助を大学に行かせるお金はないから自分で貯めなさい」と言われた
私への頑張らなきゃダメだという戒めの言葉であって実際にはお金があるのかもしれない
本当のところは私にはわからないし、頼ろうと思っていたわけでもないがなんとも言えない気持ちになった
それでもベビ助はまだそんなことには気づいていないのでそれでも良かった
家庭内ではいろいろあったり、両親とぶつかることもしばしばあったがそれなりに暮らして無事に小学校へ入学する
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