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短編小説 0028不思議な話#012 選択できない問題 8941文字12分読

 「あなたは幸せですか?」

横浜中華街。
可奈とデート中、不意にテレビの取材を受けた。

「はい、幸せです・・・」
可奈は、はにかみながら答えた。
「彼氏さんは?」
リポーターが微笑みながらマイクを向ける。
「は、はい、まあ・・・」
「ああーそうですかあ。うらやましいなあ!」
二人を交互に見ながら、満足そうに感想を述べていた。欲しい答えが得られたのだなと亮太は思った。

可奈といるときは楽しい。今日だって久しぶりのデートだから楽しみにしていた。天気もいいし、最高だ。これは心の底からの本音。
でも『幸せですか?』の質問に『幸せです』と答えたのは正確に自分の状況を答えられていたとは言えない。
会社では酷いもんだ。パワハラ上司の嫌味を毎日聞かされる。怒鳴られる。同僚とは気持ちを連帯しているが、上司の悪口や給料の低さの嘆きを毎日のように聞かされるのは正直うんざりだ。家に帰れば、会話の無い両親がいる重苦しい空気の中で、疲れた体を癒さねばならない。

全然幸せじゃない。

亮太はため息をついた。


「ねえ、あれ食べようよ」

可奈がクレープ屋を指差すので亮太はだらしない顔になって、
「おお食べよう、食べよう」
と手を引かれ列に並ぶ。
並びながらトッピングはああだこうだと、どうでもいい事に集中し、全てを忘れ二人だけの世界に没頭する。
これこそが、この瞬間こそが幸せだ。だから幸せですという回答は、必ずしも間違っていない。
でも人生丸々が『幸せ』というものとはちょっと違う。

どう答えたらよかったか?

大体、世間の質問の類は人の状態や考えを正確に表すような選択肢が用意されていない。

先週の衆議院選挙のアンケート電話で、『あなたはどのような政策に関心がありますか、次の5つから選んでください。①子育て支援、②失業問題、③年金問題、④防衛問題、⑤その他』
全部興味あるし、どれも大事なテーマだ。どう選択したらいい?⑤のその他が適当だったのか?
国語の試験だってそうだ。『作者の意図は以下の5つのうちどれが適切か』みたいな問題は作者にしか分かんないじゃないか。小説の受け取り方って十人十色じゃないの?そもそも作者が誤答するらしいから選択のシステムは欠陥がある。そうに違いない。

選択肢ってものは、選ぶ側の意志や主観を正確に表すものなんかじゃなくって、選ばせる側にとって都合の良い手段に過ぎないのだ。
選ばせる側が勝手に解釈し、思い通りに料理、分析、結論付けするために予め仕組まれたものなのだ。

と亮太は密やかに力強く思う。

「どっちがいい?」

雑貨屋で、不意に、可奈は2種類のピアスを指先でつまみ、亮太の前に突き出す。

「うーん、どっちもかわいいなあ、ああ、ううん、迷うなあ・・・うううん、こっち!」

どっちでもいい。でも選択する。適当に。盛大に悩んでいる事を精一杯表現する。

「あ~やっぱりこっちかあ。私もそう思うんだけど、こっちも捨て難いよねえ」

違う違う。このデートでの可奈とのあらゆるやり取りは幸せだ。幸せの一環としての選択だ。超楽しい。ああ最高。だから可奈と一緒にいること自体が目的で、どちらのピアスを選択すべきかとか、そんなことはどうでもいい。でも俺が全力で悩み選択している事は、可奈に本気で感じてもらねばならない。それが優しさであり、幸せの創造だ。適当に選択していることを知られる事は、可奈に対する侮辱と同じ事だ!

つまり、目的に向かって順調に歩いているのであれば少々の寄り道は問題にならない。自分の意志を正確に表現できない事に納得がいかない人生を自分は生きてはいるが、その事が自分の本心や自分の人生の本質に悪影響がなければいいのだ。
もっと簡単に言えば、今この瞬間の幸せが直線的に人生の幸せの本質に向かっている、光が真っすぐ進んでいるならばいいのだ。

と亮太は面倒臭いこと考え、誇らしげに思う。

「やっぱりやめた」

おお、買わないのか!
ズッコケそうになるのを亮太はギリギリこらえた。

「ねえねえ。あそこで手相占いやってるよ。見てもらおうよ」

俺は、占いは嫌いだ。と言うか信じてない。だって何の科学的根拠もないのに手のしわの特徴だけで、金運がどうだとか恋愛運がどうだとか、どうして人生の重要な事がわかるのか?もしわかるのならば、美容整形のように、手相整形をして強制的に運勢を上向かせたらどうだ?手相占い師が美容整形の業者と結託して、金運のしわを伸ばしたり、恋愛運を上げる手相に変えたりと、そんなサービスがどうしてないのか?うーん我ながらいいアイディアだ。

と亮太はちょっとズレたことを考えながら、可奈に引っ張られるまま手相占いのおばさんの前に座った。

「すいません。お願いします」
「はいはい。いらっしゃいませ。それではお手を拝借しますね。両手を見せてごらんなさい」

占い師のおばさんは、化粧は濃く、薄茶色のサングラスは顔の半分を覆うほど大きく、髪の毛は紫色にところどころを染めていた。

「ふんふん。あらあ、あなたは安産ね。最低二人は産むね。もしかしたら三人」

おばさんは可奈の要望を聞かず、勝手にしゃべり出す。でも好意的な回答なので俺たち二人はまんざらでもない。

「えーそうなんですかあ」

二人は顔を見合わせ、思わせぶりに笑う。

「何歳で結婚するんですか?」

亮太は照れを隠すように、続けて質問した。

「来年と出ているね」
「えっ来年ですか?」
「私来年はまだ大学四年生だけど・・・」

今現在、亮太は新卒一年目の社会人。可奈は二つ年下の大学三年生だ。

「それって授かり婚ってやつですか?」

亮太がおどおどして聞く。まるで可奈に赤ちゃんができた事を告白された瞬間のような様子で。

「そうかもしれない。結婚と出産が同時のタイミングだね」
「ええー!大学卒業できるの?私?」
「大学生なのねあなた。ちゃんと卒業しなさいよ。卒業してからやることやんなさい」
「ははは」
「でもそれって自分でコントロールできるってことですか?手相には来年って出ているのに?」
「あのね、今の今日の時点では来年結婚と出産と出ているけど、また時間が経つと変わるのよ。手相は変わるの。だから自分でコントロールするっていうのはちょっと違うけど、でもまあそう理解していいよ」

ふーん。と亮太は思った。じゃあやっぱり手相は非科学的だ。ただの迷信、遊びだ。エンタメだな。後付けの結果論だ。

「私、赤ちゃんができるのね・・・」
「誰の子なのかなあー」

亮太の鼻の下が伸びる。

「亮ちゃんに決まってるでしょ!」
「でへへへ。でも学生結婚はまずいよなあ」
「そうだよねえ」
「はいはい、それで、彼氏も見る?」
「亮ちゃん見てもらいなよ!」
「えー俺はいいよお。いま幸せだしさあ」
「仕事運見て下さい」
可奈は亮太を無視して手をグイっと引っ張り、占い師の目の前に差し出す。
「ほいほい、どれどれ・・・」

イカついサングラスをしていても、ほんの少し占い師のおばさんの目の動きが見える。おばさんの目はじーっと止まっていると思ったら、一瞬カッと目を見開き、急にきょろきょろと視線があっちこっちに泳ぎ始めた。

「どうですか?この人?」

なかなか言葉を発しないので可奈が先に聞いた。

「お金は要らないわ。あなたの分もいらないわ。もう帰んなさい」
「え、どういう事ですか?何で?ちゃんと見て下さいよ」

亮太はそもそも占いを信じておらず、適当に見てもらうつもりでいたが、さすがにおばあさんの意味の分からない態度に腹を立てた。

「おばさん、無責任ですよ。そんな態度取られたら気味が悪いじゃないですか。悪い手相が出てるんですか?」
「違う違う違う!いいからもう帰ってよ!」

二人は追っ払われるようにその場から追い出された。

「何よあのおばさん!すごく感じ悪い。せっかく楽しくデートしてるのにー。ねえ亮ちゃん」

亮太は気になった。おばさんがなぜ手相の結果を話してくれなかったのか?プロなんだから悪いなら悪いなりの言い方があるだろうに、金も返し、追い出すってどういうことだ?

「別のところで見てもらおう」

亮太は適当に選んだ別の手相占い屋に入った。

「どんな結果でもちゃんと教えてください」

次の占い屋は頭のはげたおじさんだ。

「いきなり迫ってくるねえ、お兄さん。わかったよ、どれどれ・・・」

またもや占い師は沈黙する。おじさんは渋い顔になり唇をゆがめる。

「何て出ているんですか?」
「・・・・」
「さっきあそこのおばさんに見てもらった時もあなたと同じで、黙っていました。挙句に手相の結果を教えてもらえぬまま追い出された。あなたはそんな卑怯な事はしませんよね?さあ僕はどんな人生ですか?」

亮太は手相占いなど迷信だとバカにしていたのに、ムキになっている。

「ダメだ。言えないよ。お金は要らない」
「ええっ!あなたもですか?プロなんだからしっかり教えてくださいよ。お金はちゃんと払います」
「・・・・」
「手相は変わるんでしょ?今現在の手相を教えてください。もし悪い結果ならそれを避ける努力をすればいい。だから手相も変わってくるんでしょ」
「ああ、そうだよ。手相は変わる。でもここで話すわけにはいかない」
「どういう事ですか?」
「彼女には聞かせられない。言えるのはここまでだ。さあ帰ってくれ。申し訳ない」

「ねえ亮ちゃんもう行こうよ。大丈夫だよ、たかだか占いだよ」

可奈の言葉には、真実があり、でもそんなもんじゃないとか、得体の知れない詐欺めいた胡散臭さの中に本物が隠れているような、相反する価値が同時に存在している事を、頭の中で肯定的に理解していた。これは亮太にとっては不思議な事だった。まるで非科学的で今までの人生でバカにしてきた類の出来事なのに、信じている自分がいる。いや完全にではないが恐らく五十%位は信じられると思っている。

「もう一回、一人だけで見てもらう。可奈はちょっとここで待ってて」

胸騒ぎが収まらない亮太は、可奈を近くに置いて、覚悟をもって手相を見てもらう事にした。
怖い結果を聞くことになりそうだという予感がする。でも聞かないわけにはいかない。なぜならば可奈と俺にとって重大な何かがこれから起こるのだ。恐らく聞かなければその運命をただただ受け入れるだけになりそうだ。でも聞くことで俺たち二人の意識や行動が変わるからきっと違う二人になる。
そう確信した。
ついさっきまで占いなぞ全く興味がなかったのに。

「お願いします」

亮太は三人目の占い師を選んだ。導かれるように選んだ。
不思議と三人目の占い師は、まるで亮太が来ることをずーっと長い間待っていたかのような落ち着きで、迎え入れた。

「彼女も一緒に座りなさい。二人でないと意味がない」

占い師はなぜか可奈が側にいることを知っており、亮太は可奈を呼んだ。そして可奈を招き入れ、亮太と並んで座らせた。そして二人の手相を見た。




十年後。

二人は結婚して、二人の子どもを授かった。



あの時、三人目の占い師は、子どもとの別れ、死産や流産を連想させる手相だと二人に説明した。だから一人目と二人目の占い師は何も話さなかったのだろう。

二人は動揺した。

「もし僕たち二人の組みあわせでなければ運命は変わるのですか?」
「恐らく変わります。だからといってあなた達が別れる事が賢明な選択とは言えません」
「どういうことですか?」
「人生において、あなた方も私も、あらゆる物事に対して常に何かを選択して生活しています。日常的に選択と決断の連続です。例えば朝食時にお米を先に食べようか、お味噌汁を先に飲もうか、とかいった些細な事も含めこの無数に突き付けられる選択を経て、運命を作り上げていく。今、まさにあなたが、私がみた手相の結果でどのように生きていくべきかと、あなたなりに考え始めている。つまりいかようにもなるあなたのこれからの人生はあなたが選び続けるという事です」
「運命を作る?子どもが無事に生まれるような運命もあるんですか?」
「その認識は半分合っていて、半分間違っている。残酷な事を言うようだが、子どもの運命はどうなるかわからない。一つ言っておくが、運命とは作っていくものだ。選択していくものだ。はなから決まっているものではない」
「よくわかりません・・・。それで、どうすればいいんですか?」
「世の中には流産や、無事に子どもが生まれてもまだまだ小さい内に亡くしてしまう親はごまんといる。その親たちに何か至らぬ事があったのかと言うと全くそういう事ではない。関係ない。ただ子どもがそういうことになったというだけだ。だから手相が不幸と出ているとあなたは感じるかもしれないが、そういう結果になってしまったら、ただそういうことであるということだ」
「何を禅問答みたいなことを・・・。そんなこと受け入れられませんよ。あなたは手相占い師でしょ?もっとちゃんとアドバイス下さいよ!」
「私は手相を読むだけです。それを受け入れて頂いて、その上で自分でどうするか決めるしかないんです。選ぶんですよあなたが」
「流産とか子どもが亡くなってしまうことはどの親子でも可能性のあることだから、誰にどう相談したって心配しすぎだと一蹴されちゃう。それに手相にそう出ているって事なら尚更だ」
「そう思うのならそうしたらいいでしょう。ただ一つ言いたいことは、あなた方でしっかり確信をもって選択することです。相談して人の意見を聞いても、結局決めるのは自分です」
「どういう選択がいいのですか?全くわかりませんよ!」
「自分の人生がどのようなものになるかなんて誰にも分らない。だからこそ、もし夢や理想があるならそれが実現するように考え、行動するだけです。あなた達のこの手相の結果が受け入れられないのであれば、受け入れないよう、違う人生になるような生き方を選択すればいい」
「そんなことコントロールできるんですか?それができるなら誰しも人生楽勝じゃないですか!そんな世界になってない!」
「そうですか?全て人間が現実を作っているのですよ。どういった世界にしたいか、どういう人生にしたいのか、全てあなたの思った通りに世界はあなたの目に映ります」


釈然としないまま、いや、半分は理解できるような気がする、半信半疑の気持ちで店を出た。手相とか占いというものが胡散臭いのであって、でもあの人が言っている事の全てを否定する気にはなれない。ただ、表現力がしっくりこないだけで、同じことを言葉を変えて表現することができれば、例えば科学的に証明されるみたいに腑に落ちるような気もする。
亮太は、自分でも不思議に思う位、この占い師の言葉を何度も反復し、自分なりに解釈しようと一生懸命考えていた。


あの手相占い師の件は二人の絆を強くした。
お互いをより深く、大切に大事にするきっかけとなった。
他愛もない、いつもの休日のデートのはずであったのに。



可奈が大学を卒業して一年後に結婚した。
その翌年、長女が産まれた。
母子ともに健康で、なにも問題ない安産だった。
更に三年後二人目を妊娠した。

お腹の赤ちゃんが三か月の頃、可奈に問題が見つかった。

卵巣にガンがある、と。

この三か月のタイミングでガンの治療を始めれば、可奈の命は高い確率で助かる。だが、赤ちゃんは諦めることになる。
更に、卵巣ガンの手術では、通常は例え片方の卵巣のみに腫瘍が見つかったとしても、両方の卵巣と子宮を摘出するため、これ以上子どもは作れなくなる・・・。


「手術を受けよう。俺たちにはあやがいるんだ。あやには母親が必要だよ。まだ三歳だ。それにお前のいない家族なんて考えられない。赤ちゃんには申し訳ないが、そうすることが一番いいと思う」

亮太は断腸の思いで言葉を発した。二人とも何とか無事に生きていて欲しい。そんなの当たり前だ。できればそうしたいに決まってる。それしかない。でもそんな選択肢はない。
それに可奈だけに辛い決断をさせるわけにはいかない。亮太は自分が先に可奈の命を優先すると言った。それは、まず先に言葉するのは絶対に亮太の役割だと思ったからだ。決断の主体が亮太であることにすれば、そう可奈が感じてくれれば、俺のせいにすれば、少しでも気持ちが楽になれば・・・。

「私、抗ってみる」
「え?抗う?」
「うん。これが私の運命なら、抗ってみる。赤ちゃんは産むよ。そして私も生きる。私は死なない。全身全霊で何が何でも産むわ。私ね、不思議と確信があるの。子どもたち二人とも大きくなって、家族四人でどこかの有名スイーツ店で特大パフェ食べてるシーンがリアルに頭に思い浮かぶの。だから大丈夫よ。本当に自信があるの。フフフ」

可奈は本当に楽しそうに、穏やかな笑顔で話した。悲壮感なんかまるでない!

「お、おい。そんなの危険だ!可奈が死んじゃうよ!絶対にダメだ!」
「亮ちゃん違うの。大丈夫なのよ。見えるの」

亮太は可奈の落ち着き払った、確信に満ちた顔を見ると言葉に詰まった。
そして、あの時の手相占いのことを思い出した。手相占いの通りになっている。子どもを犠牲に、という言い方は正しくないが、死が伴う未来が予言通りになりつつある!

抗う。
運命に抗うというのか。
たしかに、手相占い師が予言したことが運命と言うならば、子どもを生かすことが、可奈にとって、俺たちにとって運命を変えることだ。

可奈の命と引き換えに・・・。

いや、そんな事無い。何かが変わるかも知れない。それに手相占い師の見立てなんてただの偶然だといえば偶然だ。

何にせよ、これはリアルだ。間違いなく事実だ。だから覚悟を決めなければいけない!やるだけやってやる!ああ、可奈のあっけらかんとした態度を見ていると泣きそうだよ。

亮太は次第に元気が出てきた。

「本当に産むのか?」
亮太は恐る恐る聞く。ちょっとでも触れたら崩れ落ちそうな砂の山を触るように。
「うん。頑張ります!」
亮太はもう泣いていた。明るい眩しい笑顔でそんな事言われたら泣くしかない。
本当は、亮太は頭の整理がついてない。可奈にかける言葉も沢山あり過ぎて、確認したいことも沢山あって、自分の考え自体まとまってなくて、とにかく支離滅裂に言葉が頭の中に渦巻いていて・・・。
でも、可奈のさっぱりとした、我がカミさんながらあっぱれな覚悟には惚れ惚れした。

「オレが泣いてどうする!」
亮太は自分と可奈を鼓舞するように吠えた。
「キャハハハ!何言ってるのよ、亮ちゃん!ガン泣きじゃん!」
そう言ってる可奈も泣き笑いだった。

十週、二十週、三十週、四十週と順調に赤ちゃんは大きくなった。卵巣のガン細胞は新しい命の育みとは反比例に、可奈の命を蝕む。
可奈の体の中の劇的な変化とは裏腹に、子どもと三人で、毎日を愛おしく愛おしく、大事に、淡々と穏やかに過ごした。

いよいよ予定日が迫ってきた。

「亮ちゃん、私ね、夢を見たの。子どもを無事に産んでから、私のガンもいつの間にか消えてるの。治療を続けている中で、ある日の検診で、お医者様に「ガンが消えてます!」って言われるのよ。それで、亮ちゃんも一緒に聞いてて、二人でウソーって言って大泣きして抱きあってるの。素敵でしょ」
「ああ、ああ、スゴイなそれ。でもそうなるよ。必ず」
「うん」

二人目の出産ということもあり、とてもスムーズに典型的な安産で元気な男の子が産まれた。
看護師はベッドに横たわった可奈の顔のそばに、タオルできれいに包んだ赤ん坊を寝かせてくれた。

「ねえ亮ちゃん、私すごくいい名前考えたの。『ちから』って書いて『りき』って読むの。力ちゃん。どう?」
「おお、うん、いいよ、いい名前だよ。力強く生きる。自分の力を信じて。人の力も借りて。力を合わせて。うん、スゴイいい名前だよ!」
「嬉しい。リキちゃんこんにちは。よく産まれてきました」

この世に産まれるための、人生でまず最初の大仕事を終えた、この小さな命に、無限大の可能性を確信する。そして今ここにいる可奈と亮太には全く疑いのない無敵感のような、究極に穏やかな怖いものなしの空気が二人を包む。

でもガンが消えることはなかった。
運命というものがあるのならば、人生が既に決まっているものならばそうなるよう決まっていたのかも知れない。でも自由に選択できるような気もする。
手相占いのおばさんの予言はちょっと間違っていた。
可奈は抗うと選択し、自分自身の人生を切り開いた。

例えどう抗おうとも結果が同じであるとしても、そんなことはどうでもいい事だ。意志を持ってこうしたい、こうなりたい自分や未来像があり、そこに向かって突き進む。その事自体に意義があるのだと亮太は思う。

可奈は抗って子どもを二人も産んで、自分で人生を選んで死んだ。

ガン治療を優先し、子どもを殺してしまう事を選択することもできた。仮にそう選択したとしても可奈の命が百パーセント救われるかと言われればそうではない。やってみなければわからない。あるいは、結局可奈は治療がうまくいかず死んだかもしれない。

そんなことを考えても意味がない。
可奈と亮太は子どもを産むことを選択し、結果として元気な赤ちゃんを産み、可奈がその後死んだ。

とても辛い。
可奈と一緒に年を取って人生を寄り添いたかった。
もっともっと、四人で家族を作っていきたかった。
もっともっと笑ったり、ケンカしたかった。悩みたかった。素晴らしい景色を共有したかった。感動的な出来事を共有したかった。一緒に苦労を共にしたかった。
一緒にいること、ただ一緒に生活すること、それだけが望みだった。

でも可奈は死んでしまった。
立派に自分の人生を生きた。
自分で選んだから本当に立派だよ。俺のカミさんとしては出来すぎでもったいない。
俺と結婚してくれてありがとう。

ああ、そう言えば可奈は四人でスイーツを食べているイメージの話をしてくれたことがあったな。確かにその通り現実になったな。家族四人で入った店で、特大パフェを目の前にした時は二人とも感激したな。



まだまだそっちに行くのは先になりそうだが、子どもが大きくなって、うまくいけば孫でも見て、死ぬまで生きたら俺の人生悪くなかったなって思えるかな。

子ども二人も産んでくれてありがとう。
可愛い子ども達がいるから寂しくないよ。

今しあわせかって?
百パーセント真っすぐ素直に、即答できるよ。
「超絶幸せです!」って。

じゃあね、またね。





おしまい。


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