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短編小説0008怖くて不思議な話 #003 産む女   後編/三部 6326文字 8分読

後編

youtube朗読やってます。
https://youtu.be/2zUHW7Buvnc

男の心臓がバクンと鳴り、目をおかしいほど見開き、あやを凝視した。男は頭の中であやとの情事と上司に関係がバレたことを生々しく思い出した。
何を企んでいる?また俺を翻弄するのか?いやこれはチャンスか?いや一時の遊びか?ならばのってやろうか!

ベッドの上で男はあやの体を貪る。
二年ぶりだ。思い切り楽しんでやる。
「愛してる」
あやが男の耳もとで喘ぎの吐息を吹きかける
男はゾクリとした。鳥肌が立っている。
恐怖に感じた?
いや違う。あやの悪魔的な魅力に震えたのだ。
よくまあ愛しているなどと!ああ、やはりこいつは最高の女だ。

男はシャワーから出るとベッドに横たわったままのあやを横目で見ながら、髪をタオルで拭いた。時計を見るともう二時間も過ぎていたことに気付き、男はにやりと笑う。
「ねえ、うちの娘たち、二人ともあなたの子よ。だって二年間、毎週ちゃんとシテたのに子どもができなかったんだもん。うちの旦那はたぶん無精子。生殖能力がないと思う」

二人の娘は俺の子?そうか、ダンナは種無しか。でもしっかり家族を養っている。フッ、俺は稼ぎのしょぼい仕事のできないダサい男だ。どっちがマシか?種無しなんか関係ない。明らかにあっちだろう、と腹の中でつぶやいた。
「おまえは俺の何が魅力なんだ?ダンナの方が断然男前じゃないか?」
「あなたは最高の二番なの」
あやは本気でそう思っていた。
「ハッ!二番ねえ。まあ言われるまでもないけど。悲しくなるねえ」
「どうして?そのままでいいのよ、あなたは」
「俺はみじめに一人で独身生活して、お前は俺の子を別の男と育て、家族を作って生活している。どういいっていうんだ?お前もどういうつもりだ?」
「私にはあなたが必要なの」
「じゃあ旦那と別れてくれ。子どもだって正真正銘俺たちの子だろ?本来俺たちで育てるべきだ。結婚してくれ!」
「そういうのじゃないのよ」
男も正直だった。本気だった。
あやも本音でウソはなかった。
でも二人とも全くかみ合っていない。

「近くに引っ越して来て」
あやは男といるときは完全にマイペースだ。男の言葉を無視しているように振る舞う。まるで幼い子どもをあやしているようでもある。
「は?」
「いつでも会えるくらいの近くにね」
軽く、いたずらっぽく舌をペロッと出す少女のような無邪気な笑顔で言う。
再び、男は震えた。
掴みどころのない、かなりヤバイ女だ、こいつは。
それにしても俺も俺だ。さっさと別れりゃいいのにできない。悪魔の女だな。おれは悪魔に取り憑かれた。完全に魅了されている。
あやと初めてホテルに行ってから、ずっと虜だ。あれから殆どあやの言う通りにしてきた。このままあやと関係を続けたら俺はどうなってしまうんだろうか。でももう別れられない。

男はあやの家と目と鼻の先にあるアパートに引っ越してきた。

あやは子ども達を一時保育に預け、返す刀で男のアパートに向かった。
そんなことを週一~二回、二ヶ月程続けると、あやは妊娠した。これで三人目だ。

「もういいわ。しばらく会うのは辞めましょう」

もういい?あやは俺を種馬だと思っているのか?『しばらく』とはまた会おうってことか?あやはまだ子どもが欲しいのか?
突き放されたのか?いや飼われているのか俺は?情けないと思いつつもあやは生き甲斐だ。あやにしがみつかなければ俺は生きていけない。

三人目が産まれた。元気な女の子だ。
これで三人とも女の子だ。
山本先輩は子どもは三人で満足していた。

あやは違った。
子どもが何人欲しいとか具体的なものを思い描いてはいない。ただ三人連続で女の子であることがあやの胸を騒ぎ立てた。

「男の子が必要だ」

あやは山本先輩にお願いした。もう一人男の子が欲しいと。
でも山本先輩は了承しない。三人で十分だ。三人育てるのだって大変なのに。無理だよ、と。
それにあやも山本先輩も親には頼れないし、経済的なことを考えれば三人が限界だろうと判断していた。
「でも、母親が原因で本当に辛い思いを私たちは経験しているわ。女ばかりの家はよくないのよ。だから男の子がいた方がいいのよ」
「よくわからないな。俺たちの娘たちだ。俺たちで自信をもって真正面から向き合って育てていけばいいじゃないか。だから女の子ばかりだろうが、男の子がいようがいまいが関係ない。俺たちの子どもは俺たちの子どもなのだから。母は関係ない。母のようにはならない」
「私たちにはお父さんがいないわ。だから男の子はいなければいけないと思うの。そうでなければ子ども達に対して辛い思いを繰り返してしまう気がするわ。お願い、男の子が欲しいの」
「おい、あや、それはどういった理屈だ?子育てに何か関係あるのか?この子たちの父親は俺だろ?たしかに俺たちの父親はいない。でも子どもは俺たちが育てるんだ。親は関係ないだろ。どうしたんだ?」
あやの中では、山本先輩の代わりを設けることと同じように、男の子も複数欲しいと直感的に思っていた。その理屈は、誰であっても到底理解されないだろう。
そんなことをストレートに言えるわけがないし、理解してもらえるような言葉を操る能力があやにはない。

あやは焦った。
また男と連絡を取り、男は間男の関係を再開した。本当に種馬として利用しているだけのような関係だ。
それでも男はあやを待ちわびていた。
そんな中で問題があった。山本先輩との夫婦の営みがないのだ。どうしたことだろう。あやが求めれば求める程遠ざかっていく。疲れたとか、その気じゃないとか、なんだかんだ言って断られる。
このままでは妊娠してしまう。当然浮気を疑われる。そんなことありえない。でも早く産みたい。男の子が欲しい。
次は男の子に違いないと、なぜだかあやは確信している。
でも急かせば急かすほど、焦れば焦るほど、山本先輩は反応が鈍い。

山本先輩と全く交わることなく、とうとう四人目を妊娠してしまった。
どうする?
もうばれてしまうのは時間の問題だ。
あやは自ら山本先輩に告白した。
山本先輩は体を震わせ、あやを平手打ちする格好でパッと手を上に挙げた。
あやは思わずぎゅっと目を伏せ、叩かれる事を覚悟した。
しかし山本先輩の手はあやに振り下ろされず、不格好に中途半端にぎこちなく、降ろされた。
その勢いのまま山本先輩は家を出て行ってしまい、一晩帰ってこなかった。



山本先輩が朝帰りすると、すぐにあやに謝った。
「辛うじて止められたけど、叩こうとしてごめん。おなかに赤ちゃんがいるのに俺は・・・。あやが浮気していたのは俺が不満だったからだろう。だから俺の方にも責任があると思う。もう別れよう。俺、実はお前が浮気しているの何となく知ってたよ」
あやの歪んだ愛の形は終わりを迎えた。あやは何となくいつかこうなる事は予感していた。でも自分を抑制できなかった。自分が招いた結果だとは思う。
あやの思い描く理想の家庭と、自分のやっていることの矛盾に薄々気づきつつも、腹の奥底から湧き出るものが矛盾を加速させる。不安を解消する手段として他の男を求めろとうごめく。

素晴らしい夫、山本先輩を失う悲しい気持ちはあったが、あやは冷静だった。いつもあやは冷静だ。

「あの男がいるからよかった」

果たして、男は思いを叶えた。

どこまで行っても山本先輩は山本先輩だった。
マンションのローン残高約一千万円は山本先輩が払い、あやと子ども達はこれまで通り住むことを許され、山本先輩が出ていく形となった。更に養育費月五万円を三人の子が二十歳になるまで支払うと自ら申し出た
打ちのめされているのは山本先輩の方なのに、自分よりも、あやと子どもの生活を優先に考えてくれた。

山本先輩が本当に出て行ってしまった。
ああ、結局一番大事なものを失ってしまった。大事なものを守るために準備したものがいつの間にか優位になり、立場が入れ替わってしまった。本末転倒だ。




あやは、あやの実父が亡くなった時の事を思い出した。
父が亡くなってしまったのは仕方のないことだ。父との思い出はいいものしか残ってない。だからと言って、もちろん悲しさや寂しさは、中学二年生当時は強烈なものがあったが、今はしっかり割り切れる。
死んでしまったものはもう二度と戻ってこないし、残された人にとってはただ受け入れるだけのことだ。そういう結論に至ったはずだが、母の、異常な夫に対する執着、次々と夫を連れてくることには我慢がならなかった。
父の存在は、穏やかに、ひっそりと、心の奥に住ませてあげることを、あや自身がコントールできたはずなのに、母がかき乱したのか?
あやの方に何かがあったのか?本当に父の死を健全に乗り越え、受け入れたのか?
夫や男の子、男をあやに執着させたその影響力は、母が何かおかしかったことからくるものなのか?
継父をイヤイヤながらも、受け入れる努力、理解しようとする努力を怠ったあやに、根本原因があるのか?
思い返せば、心当たりがなんとなくあるが、母との関係など今更どうでもいい。とにかく男の子が欲しい。

山本先輩が出て行ってから、しばらくは子ども達とあやの四人で生活した。
産婦人科の検診で四人目の子は男の子であるとわかり、あやは心から喜んだ。妊娠した体で三人の幼い子どもを育てるのは骨が折れた。
出産直前にあの男と正式に結婚した。男は複雑な心境を持ちながらも喜び、同居生活が始まった。遺伝子検査はしていないが恐らくこれで正真正銘の親子関係の家族が全員揃った事になる。こんないびつな歴史をもつ家族が世の中にあるのだろうかと、あやは人ごとのように思った。

男の子が産まれ、六人家族の新しい生活がまた始まる。
あやはもう一人男の子が必要だと確信し、子どもを更に作る。
そして五人目が産まれた。また女の子だった。
そして六人目が産まれた。また女の子だった。
そして七人目が産まれた。また女の子だった。
そして八人目が産まれた。また女の子だった・・・。

とにかくどうしても男の子が欲しい。
それがあやにとっての生き甲斐と自分の存在を認識する、アイデンティティのようなものになった。
子どもがこれ以上増えたら生活が困窮するとか、子ども達に不自由を与えるかもしれないとか、できることが縮むかもしれない恐れに対する不安よりも、「男の子が二人欲しい」ことの欲求が病的に大きく勝っている。

あやの正義だ。
夫は経済的に無理があると当たり前のこと伝えるが、あやは聞き入れない。
五人目を妊娠したときに、産むか、堕ろすかでケンカになった。
「もう亮太がいるからいいだろ。いい加減にしろ。おまえも働くことになるぞ!」
「そんなこと全然構わないわ。働く!だから産むからね」
「だめだよ。子どもの世話はどうするんだ。これ以上産んだら子どもたちだって不自由な思いをさせることになるぞ。金がないんだから!」
「産む!」
「堕ろせ!」
「そんなに言うなら別れよう!私一人で育てる!」
「な、な、何てこと言うんだ?おまえは?」
「男の子が、もう一人できるまで私は産み続けるからね。あんたと別れたって他の誰かと作るから」
これには夫も絶句した。
この、男の子を求める、あやの執念は一体何なんだと。
夫はあやも、子どもたちも愛していた。だから離婚することなどはあり得なかった。
あきれつつも、意外とすぐに産まれるかもしれないという希望と楽観。そしてこのまま女の子ばかり産み続けた先にある混沌と恐怖。
楽と哀の未来を交互に描き、もうやめないとまずいと理性では言っているが、あやの気持ちに逆らえない。
結局、全く根拠なく、「なんとかなる」と自分に無責任に言い聞かせ、納得したつもりになる。
何の根拠もないが、次こそは男の子に違いない!と思い込まないとやってられない。

五人目も、自分にそう言い聞かせた。
六人目も、自分にそう言い聞かせた。
七人目も、自分にそう言い聞かせた。
八人目も、自分にそう言い聞かせた・・・。

ああ、また女の子か…。
一体何人産むんだ?

夫の絶望とは違う角度であやは残念がった。
『男の子が、亮太一人ではみんながかわいそうだ。私みたいに父を失ったときの様に、亮太を失ったらみんな絶望してしまうかもしれない。誰にも私と同じ思いをさせたくない』
そんなふうに思っていた。

あやの母は、独特な感性で、次々と新しい夫を呼び寄せた。そうせざるを得ない何かが母にはあったのだ。今になってようやく母のことが理解できる気がする。あんなに、あの時は気持ち悪くて、嫌で嫌でしょうがなかったのに。
あやは、八人の子を産んだ親となり、はじめて母のことを理解しようとしている自分に驚いた。
それと同時に、自分と母は同じような人生を歩んでいる気がしてきた。

あやは、男の子に固執した結果、子沢山になった。
母は、夫に執着し、結果として三人目の夫を設けた。

あやのこだわりと、母のこだわりはそれぞれ自分の子どもに大きな影響を与えている。
実際、中学三年生のあやの長女は、家事全般を行い、家族を支えている。
部活や、遊び、勉強など中学三年生らしいことはあまりやってない。
親思いのためか、家族思いのためか、文句一つ言わず、黙々と妹たちの世話や家事を行う。
そんな娘を見てあやは、とても誇らしい気持ちになる。子どもの頃から大人と同じような経験をさせることは、本人にとってはとても有意義だと考えている。
だから私がやるべきことは、しっかり男の子を産むことなんだと改めて確信する。

この思考構造はあやの母ととても似ている。

母はあやのことを大事に考えた結果夫を探して求めてきた。
あやは、娘たちを含め、家族のためと男の子を求める。
あやも母も、自分なりの理屈と情熱で、概ね、周りのことを肯定的に捉え、独特のフィルターを通して客観的に判断していると思っている。
母に、いくらあやが「嫌だ」と強く訴えていたとしても。
あやが、中学三年生という人生で大切な時期にいる娘に対して、家庭に対する膨大な献身を毎日毎日見ていたとしても。

身近な本来信頼のおける、夫に対してだって同じだ。夫の論理的な意見をあやの頭の中で、自分の論理に変換し、結局全く受け付けない。

あやにとって、家族とは何だろうか?
あやのやっている事は家族のためなのか、自分のためなのか、もはやなにがなんだか分からなくなる。

意地かもしれないが、信念に近い。
強いて言うならば、体になくてはならない機能のようなものかもしれない。例えば、呼吸をしないと生きていけないように、男の子を求めること、それ自体が呼吸のようなものかもしれない。

夫は時々、猛烈に、恐怖で思わずうずくまってしまうほどの考えで、頭がいっぱいになることがある。
それは、あやが、もし、二人目の男の子を産んだとしても、三人目が欲しいと言うのではないか?そうしたら俺はどうするんだ?これまでのあやを見ていると、俺の心配が当たるかもしれない。もう今だって限界を超えているのに、あやは、無頓着だ。底抜けの楽観なのか?今更一人増えようが、二人増えようが変わらない。いや下手したら閉経するまで産み続けるのではないか?

あやは、二人目の父が亡くなってから三人目が来るまでの間に経験した、穏やかな生活を喜んでいたのに、今は全く逆の生活をしている。

自分の思った未来を信じてひたすら突き進んでいる。
客観的な自分を自覚しているつもりであるが、大いに主観的だ。
でもそれは間違っているも正しいもない。
純粋なあやの正義、あやの理屈だ。
何を恐れているのか?
肉親の死別はとても辛くて悲しいことだ。
だからたくさん子どもが欲しいというのは少々おかしい発想だ。
そうなのか?
実父を失った時の過去の自分自身に対する慰めなのか?
母に対する当てつけなのか?

今日は産婦人科に検診に行く。
九人目がおなかにいるかもしれないから見てもらうのだ。



おしまい


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