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「諦めること」「受け入れること」クラクラめまいがする資本主義世界 1967文字 3分読

「諦める」の意味をずーっと限界の果てまで延長するとどこにたどり着くのか。

恐らく「無視」「無関心」にたどり着くのではないだろうか。

「諦める」とは仏教では「つまびらかにする」「明らかにする」の意があるそうだ。つまり真理、道理を意味する。
だとすると、「無視」「無関心」というなんだか突き放す、二度と期待しない、ような意味とはだいぶニュアンスが違ってくる。

物事が成されなかったり、うまくいかない理由が明らかになり、それを自分なりに納得して手放すような意味が含まれるから、必ずしも悲しみや怒りが伴うものとは限らない。

では「受け入れる」を延長した先の終点は「認める」と「尊重」あたりだろうか。

とすると「受け入れる」と似ている。

突き放す、縁を切るようなちょっと強烈な絶交の意味が含まれるならば、「諦める」を使うのは適切ではないかもしれない。

資本主義が横たわると「諦める」のか「受け入れる」のか、訳が分からなくなる時があった。 つまりお金が絡む場面では、七色の解釈ができる「諦める」を感じざるを得ないことがあった。

それは、僕の会社に仕事ができない人がいたからだ。

普通、会社という組織では社員を教育し、会社の戦力として使えるような仕組みを作っている。
そんな中で、成長せず、むしろ損失を作るのが彼だった。

そういうできない人に対して手を差し伸べるのだけど、どこまでやったらいいのか?隣にいた僕は結構悩んだ。

上司がいい加減な奴で、彼をほったらかしにしているのが一番悪いのだけども。

それは置いといて、資本主義の、金を儲けることが会社組織の存在目的なのだから、それを達成できない人がいることは会社としては問題だ。

では、福祉の精神で手取り足取りサポートして、それでだめでも方法を変えつつ寄り添うのがよいのかそんなことしてられないのだ。

だって目的はお金儲けだから。
コストは極力削って利益を最大化することが当たり前。
コストは金だけではない。
時間も有意義に使わなくてはいけない。

彼にどれだけの時間を奪われたか。
休日出勤する羽目になったりしたこともあった。

そう、「奪われた」と感じるのが適切なんだ。
「ちょっと手伝ってあげた」と変換できそうだが、資本主義社会ではそうはならない。

だってそれは欺瞞だから。

僕は悩んだ。無駄に悩んだ。

「なんだこれは」と。
「こいつを諦めて受け入れるのか?」
「そんでこいつの仕事をできるだけサポートしてやるべきか?」
「別にいいじゃないか、できる人がやっても」
「給料分働いている・働いていないとか、僕が余計な仕事をボランティアでやっているとかどうでもいいじゃんか」

とか、ぐるぐると頭が毎日回った。

だいぶ彼にもきつく言った。

「仕事には一つ一つ理由がある。なぜこれをやるか?細かいつまらない事にも理由があるんだよ。最終的にはお客様に届く。それをよく考えればおのずと今やることがわかるよ!」

メモしない、覚えようとしない、根性で乗り越えるようなガッツも見せない。そうなってくると、あまりよくないかもしれないが、

「自分(僕)がやっちゃった方が早いし、ミスがないし、お客様に粗相が無い」

と短絡的に考えるようになる。

 そのことに関して本人も悪びれる様子がない。
要はグレーゾーンの発達障害の方なのだ。恐らく。

前向きに、例えゆっくりでも
「何が何でも仕事を覚えて自分ひとりでできるようになるぞ」
という意気込みが見えれば全く違う対応になる。

「ああ、よし、全力でサポートしてやろう!」って思える。

でも違うんだ、こいつは。
自分の仕事のできなさを棚に上げて、すぐしかめっ面するし、他人事のように自分の仕事を扱う。
記憶力も悪いし、自分のことをよくわかっていないんだ。

だから困った。本当に困った。どうしたらいいんだと。
ずっと困って手を差し伸べつつ、訳のわからない罪悪感を感じつつ、上司の無能を恨めしく思いつつ、彼と付き合った。
そして様々なプレッシャーや全ての人からの叱咤に耐えられず、ようやく彼は辞めた。その間7年はいたと思う。

 ようやく というのが正直な感想だった。

彼も僕もよくやったと思う。

ああ思い出すと腹が立つ。


彼にじゃない。
上司にだ。無能すぎて腹が立つ。

なんでかって状況を正確に見ようとしないから、部下に何が起きているかわからない。だからトンチンカンな指示が日常茶飯事だった。

 資本主義社会自体が残酷なのではないが、どの社会やコミュニティーでも、そこの核となる価値観や文化を認識して実践できないと本当に苦しい戦いになる。

「無理して戦うもんじゃねえぞ、資本主義世界なんぞは」と思った。

僕にとっては、厳しく対峙する。

彼にとっても強烈に資本主義が突き付けられ。これからもずっと突き付けられる。
どうかもっと違う場所で、資本主義とは遠い、彼自身が輝ける場所にたどり着いて欲しい。



おしまい

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