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短編小説0013明朗会計ホスト(感呪性より抜粋改編) 後編/三部作 2813文字 3分半読

でも客の心が丸裸になるにつれて、おれ自身の感受性のおかしな部分が徐々に『これ以上金を使わせるな』と主張してくる。
客に対して謎の同情心が育ち、どうにもこうにも抑え込めない。

これには困った。変な正義感と罪悪感が同時にやってくるんだ。

『ホストクラブ』というこの場所でしか得られないサービスを求めて客は自らの意志で来店するわけで、当たり前だがどのようにお金を使うかの決定権は客自身が持っている。
もちろん悪いホストはいる。うちの店にもいる。客を半ば脅迫的に金を使わせて、借金させ首が回らなくなったら風俗に売り飛ばすような奴もいると聞く。
誤解を恐れずに言えば彼女の多くは心に隙がありすぎる。
言い換えると、優しさに飢えており、理性的な形での優しさを得る術を知らない。自己コントロールが効かない、優しさ欠乏症だ。
健全な優しさに触れた時間がないか、極端に少ないので優しさの感受性が独特だ。これが自己コントロール内に収まっていればいいのだが、程度の差があれ完全に暴走している。

また彼女らは担当のホストに対して『私があなたをナンバーワンにさせてあげる気持ち』を最大限に膨張させ、一本数十万円から百万円オーバーのシャンパンやブランデーを惜しげもなく注文する。もちろん彼女らの自らの意志で。

もはやこの関係を何と表現したらよいのか?

客観的に見ればかなりおかしい。ちょっと狂ってるんじゃないかと思えてくる。そんなこと思うおれがおかしいのか、客がおかしいのか?
ホストクラブというステージで繰り広げられる愛情の大きさと深さを金で計測する、どう表現したらよいのか。誰が誰をだましているのか?だまされたふりをしているのか?あるいは自分自身をだましているのか?

目に見えて万札が狂喜乱舞する舞台だから、あたかも、人間のむき出しの欲望が明らかにされるがゆえにその勢いに圧倒されたり、嫌悪したり、恐れおののく。
でもホストクラブで繰り広げられるドラマは、実は日常的に誰しも経験しているんだとある時気が付いた。

例えば、熱狂的なアイドルファンはどうだ。推しのアイドルに何百万円、何時間、何日も自分をつぎ込むのと同じではないか?そのアイドルが『何百万円も貢がせるなんて酷い奴だ』なんて言われる事はまずない。あるかもしれないがホスト程は責められない。そもそも責められるような責任はアイドルにはあるはずもない。

あるいは自動車の宣伝販売はどうだ?おれには本質は同じ構造に思える。
欲しい人の購買欲を煽り、いかに気持ちよく買わせるか?いかに客自身で、客の意志で数百万の買い物をさせるのか?一生懸命手練手管で売り込もうとも、決定権は客にある。毎年のように車を買い替える客がいたとしても、『無駄遣いをさせた』と自動車販売業者が責められるのだろうか?

欲望むき出しにストレートに訴求するのか、あるいは表面的には上品に穏やかに訴求するのかの違いだ。

原則として客とホストは個人的な付き合いをしているわけではないのだ。
あくまでもホストクラブという『お店』で『サービス』を提供しているだけだ。そこでどんなやり取りがあろうが、全て客が主導権を握っているのだ。金を払うも、払わないも全て決定権は客にある。『だからホストはクソだ』などの批判は全くの筋違い。全然批判になっていない。そもそも嫌なら店に来なければいいだけの話なのだ。
疑似恋愛的な大人の遊びをする場所だとわかっているが、どっぷりはまる客がいる。はまる客がいるから何百万、何千万と稼ぐナンバーワンホストが生まれる。
ホストを長くやっていると何を競っているのかよくわからなくなる時がある。ホスト同士でナンバーワンを競わせているのは、結局は客に大金を払わせるための演出に過ぎない。

あるアイドルの総選挙イベントはホストクラブのナンバーワンを競わせる毎月のイベント、つまり客に大金を使わせるビジネスモデルと同じ構造だ。
これを民法のテレビ番組で放映しつつ、かつ視聴率も確保できる構造はちょっと見ていて恐ろしかった。
『何とか頑張れば推しのナンバーワンに直接的に支援できる』構造が危険なのかもしれない。実感としての距離感が近ければ近いほど、理性的な判断力を狂わせる魔力があるのかもしれない。


・・・・・・・
「ジュンってさ、あんまりガツガツ売り込まないよね。イベントだからドンペリ入れてとか聞いたことないよ」
「わかる?おれの美学だよ。お前らに自ら酒を注文したいと思ってもらわないとホスト失格だろ?おれからいくらでもドンペリ入れてくれとか、ルイ13世入れてくれとかさ言ってもいいかもしれないけど、それはおれにとって最悪なんだよね。かっこ悪い。他のホストがやっていても別にかっこ悪いとは思わない。むしろやったほうがどんどん売上順位は上がるさ。でもおれのポリシーとしてダメだね。おれのスタイルっていうのかな。わかってくれるかなあ」
「ふーん、そうなんだ。金あんまりかからなくていいけど、なんか物足りないなあ」
「え、なんで?こんなに明朗会計なホストないでしょ?いつでも会える安いホストっていいじゃん」
「うーん、確かにそうなんだけど。でもなんかこう物足りないんだよね。逆に安上がりだから特別感がないっていうかさ」

まさにこの言葉が、おれのスタイルがホストとして致命的であることを端的に説明してくれている。それは彼女たちは、実はお金を惜しげもなく使える対象を無意識に探している。一生懸命稼いだ金額が大きいほど、その大金を一円残らず推しに注ぎ込めば注ぎ込むほど自分が満たされる。
おれの明朗会計な営業戦略は、そんな彼女たちの欲求を満足させられない。それどころかそのうち違うホストに乗り移ったり、違う店に行って適当な推しを見つけ稼いだ金ほぼ全額を貢ぐ。そうだ、貢ぐという表現がぴったりだ。ホストクラブでお金を使うんじゃなくて、まさに貢いでいる!
おれにはそうしか見えない。
彼女たちにあまり金を使わせないように、楽しませよう満足させようとするのは、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなもので矛盾することだ。ちぐはぐな振る舞いだから中途半端な満足感だし、彼女たちの自尊心は満たされない。

客が喜ぶこと=ホストが喜ぶこと

意識的か、無意識か。この構造に気付いた彼女たちがホストにどっぷりとはまるのだろう・・・。
そんなことを分析したところでおれは徹底的にプロになり切れない。
彼女らの優しさに飢えた心の中が見えてしまった瞬間に、客として見ることがどうしてもできないのだ。
ホストとして、プロであるならばこういった客は『金脈が見えたり』としたり顔になるべき。
何ということだ、ホストとしてあるまじき思考。職務怠慢。

こうした中途半端なホスト稼業は、なんだかんだと十年続けられているが、いまだに摩訶不思議な理解不能な事が多すぎる世界だ。

いつまで続けられるのか?
決してナンバーワンになれない、明朗会計ホストは今日も出勤する。


おしまい

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