短編小説0037 あやのいる世界とは 6619文字 9分読
あやが死んだ。
朝、いつものよう家を出たあやが、車にはねられた。
通い慣れた駅までの道中で、信号の変わり際、横断歩道を自転車でスピードを上げ、渡り切る際、左折してきた車とぶつかった。
会社に到着すると同時に、妻からスマホに連絡が入り、急いで上司に事情を説明して返す刀で病院に向かった。
集中治療室に入っていたあやは、車に轢かれてから3時間後に死亡と診断された。
茫然としているのか何も考えられない。
どんな表情をしたらいい。
どんな感情でいたらいい。
どんな振舞いをすればいい。
悲しいけど、不思議と後頭部当たりが冷えている感覚で、自分でも残酷だなと思うくらい冷静だった。落ち着いていた。
反対に妻は号泣し、身体はまるで支えが無いと床に崩れ落ちる位乱れていた。
あやの顔は美しいままだった。
その後のことはまるで現実味がなく、どう過ごしたのかハッキリとは覚えていない。
家に帰ったのか?
それともあやの側で一晩寄り添っていたのだろうか?
翌朝、目が覚めた。
ベッドの中だった。
病院ではない。
「・・・家だ・・・」
パジャマを着ていた。
不思議な感覚のまま、寝室から1階のリビングに降りると妻の可奈子が朝食の準備をしている。
「おはよう。今日は遅いのね」
そういわれて時計を見ると6時だ。俺はいつも可奈子より早く、5時には起きてランニングしたり、洗濯をしたり、庭の手入れをしたりしていた。
違う!そんなことはどうでもいい。なぜ俺は家にいるんだ?可奈子もだ。いつの間にか帰ってきたのか。
「可奈子・・・、あやは・・・?」
「あや?寝てるよまだ」
「えっ、だって轢かれて、病院にいるじゃないか・・・」
「はい?病院?フフフフッ。もうパパったら寝ぼけてるんじゃないの?ハハハ」
妻の様子はいつもの通りだ。でもあやが死んだんだぞ。あんなに号泣して取り乱していたじゃないか。それが一晩で冷酷にも立ち直ったというのか?
俺は腹が立ってきた。可奈子のそばまで近寄り、怒りの言葉を投げかけようとしたその時、
「おはよう・・・」
あやがリビングに入ってきた。
心臓が飛び出そうになった。
可奈子にぶつける言葉がのどまで登ってきていたが、あやの姿を見て一瞬で消えた。
「あ・・や・・・」
俺はあやに走り寄り、抱きしめた。
「キャー!」
あやは俺を押しのけ後ずさりした。
「何よパパ!気持ち悪い!やめてよ朝からもう!マジキモイ!」
「そうよパパ、今日はどうしちゃったの?なんか変よ」
可奈子とあやが肩を寄せ合い、俺に対して軽蔑のまなざしを向けている。俺は泣いていた。
「あらやだ泣いているわ」
俺の涙を見て、哀れに思ったのか可奈子が自分にかけているエプロンを使って俺の涙を拭いてくれる。
俺は両手で顔を覆い、しゃがみこんで泣いた。
おんおんと泣いた。
「どうしたのパパ?」
二人とも心配そうに今度は逆に肩を叩いたり、背中をさすったり、俺の体を触ってくれる。
「ああ・・・あや・・・生きてたんだね・・・よかった・・・」
俺は嬉しくて、ホッとして、昨日の悲しいどん底の気持ちが思い出されて、でもそれがリアルな幻だったんだと、あやが正真正銘生きて目の前で笑っている姿を見て、生まれてから四十数年の人生で最高の出来事だと思った。
俺はしばらくすると落ち着きを取り戻し、3人で朝食を食べた。
人生で一番幸せな瞬間だと思った。
あやが産まれた時も世界がキラキラ輝いて見えたが、今日はもっと輝いている。
あれは夢だったのか?
朝食が終わり、あやがテレビをつけた。いつものニュース番組のお天気コーナーを見て家を出る、俺のルーティンができあがっている。
『さて今日は夏休みが終わって最初の月曜日ですねえ。皆さん休み疲れが溜まっているのではないでしょうか。今日の天気は・・・・』
あれ?これ昨日も聞いたセリフじゃないか?月曜日?今日は火曜日だぞ?あれ?おかしい。あれ?テレビに表示されている日付が昨日だ!
ちょっとまて、ちょっとまて!
あやが車に轢かれたのは昨日、月曜日だ。だから今日だ!
今日あやは交通事故で死ぬ!
俺は『キッ』と顔をあやに向け、鬼気迫る表情で訴えた。
「あや、よく聴け。パパの一生のお願いだ。今日は学校を休め。一日中ずっと家にいろ。一歩も外に出るなよ。パパからのお願いだ。いや命令だ!絶対に自転車に乗るなよ!」
「え?何言ってんの?は?私、文化祭の実行委員だから絶対に今日行かないとダメなんだよ。気合入ってるんだから」
「だめだ!休め!」
「何でよ!おかしいよ今日のパパ。学校に行くなってそんなこと言う親ってどういうこと?私は行くよ」
「ダメだ!!!」
大声で叫んでしまった。
あやも可奈子も驚いて固まってしまった。
落ち着いて、俺は穏やかに話し始めた。
「可奈子も聞いてくれ。今日だけは、今日だけは頼む。文化祭の準備もとても大事だろう。でもあやの命があってのものだ。落ち着いて聞いてくれ。俺は不吉な体験をした。いや夢かも知れない。あやが今日車に轢かれるんだよ。だから頼む!今日だけガマンしてくれ」
沈黙が流れた。
可奈子とあやは顔を見合わせている。
俺は今まで適当な親と夫をやってきたが、今日ほど魂を込めた願いを娘にぶつけたことは無い。
可奈子が先に口を開いた。
「こんなパパ初めてみたわ。あやちゃん。パパの言う通りにしようね。今日だけでしょ?ね、パパ」
「ああ、そうだよ。今日だけでいいんだ」
「えー、もう、しょうがないなあ。わかったよ。私が車に轢かれるよりはマシだよね」
「じゃあ俺も会社休む」
「えー!」
今日は3人で一日、家の中で過ごした。
お菓子をつくったり、家の隅々まで掃除したり、洗濯したり、トランプやら花札したり。
あやを守るための使命感と、安心感、少しの罪悪感を3人とも感じつつ、それでも楽しい一日を過ごしたと全員が心から感じていた。
俺はこの日を忘れない。
神様からのプレゼントだったんだ。きっと。
一日巻き戻してやるから大切に使いなさいと、タイムリープしてくれたんだ。
いや、ただの幻想だったのか?
ともかく、神様!ありがとう!うまくいったよ!
あやはまだ死ぬ運命ではなかったんだよ!
そうだ、そうに決まっている。あやが死ぬなんてことあるわけがない!
「おはよう」
「おはよう。今日は遅いのね」
昨日と同じように寝坊してしまった。おかしいな?とは言っても出勤時間まで1時間以上あるから余裕だが。
「おはよう」
あやも降りてきた。
朝食を終え、あやがテレビをつけるといつものテレビ番組が放映されている。
『さて今日は夏休みが終わって最初の月曜日ですねえ。皆さん休み疲れが溜まっているのではないでしょうか。今日の天気は・・・・』
何?月曜日?間違ってる。今日は火曜日だよ。アナウンサーもたまには間違えるんだなあ。
「なあ、この人、曜日間違えてるぞ。ハハハ」
「パパ何寝ぼけてるの?今日は月曜日だよ。やば!もうボケちゃったの〜?」
「あらやだ、パパお疲れね」
なんだと・・・。俺は昨日と一昨日の事を思い出した。
サーっと血の気が引いた。
「また同じ日だ・・・」
実際には昨日なんだか一昨日なんだか分からないが、とにかく繰り返してる・・・。
「え?なに?なんか言った?」
可奈子とあやは呆れたようなバカにしたような顔で、俺の顔を覗き込む。俺は焦点がどこにも合わない。
「ってことは・・・また交通事故に会う!」
「びっくりした!大きな声出さないでよ!」
「あや、よく聴け。今日は学校を休んでくれ。休まないと交通事故で死ぬぞ!」
「は?交通事故で死ぬ?なんてこと言うの!ヒドイ!パパやばいよ!学校は行くよ。今日は大事な文化祭の準備があるから行くよ。休むなんて考えられない。ダメダメ!」
ああ、いかんぞ。昨日も同じシチュエーションだったから同じように言えばよかった。雑になってしまった。畜生!昨日程は感情の高ぶりが無い。ああ、伝わるのか!涙が出てこない。頼むよあや。
なんだかんだで、あやと可奈子を説得し、昨日の様に一日3人で家の中で過ごす事に成功した。
翌朝・・・。
「おはよう」
「おはよう。今日は遅いのね」
嫌な予感は当たった。
また月曜日が繰り返されている。
これ永遠に続くのか?
「あや!頼む!聞いてくれ。お前は今日交通事故で死ぬー!・・・」
翌朝・・・・
「おはよう」
「おはよう。今日は遅いのね」
「あや!頼む!聞いてくれ。お前は今日交通事故で死ぬー!・・・」
今日でちょうど100日目だ。
同じ事を何度も繰り返してきたからコツがわかってきた。
あやが交通事故にあったその日のことをリアルに詳細に真剣に話すことで、納得してくれる事がわかった。その伝え方も芝居がかっておらず、あくまでも自分の言葉でだ。でもくれぐれも本気で言葉に魂を乗せないと伝わらない。仮に、俺の代わりにプロの俳優がやっても伝わらないだろうと思う。体験した俺だからこそ伝わるんだ。
183日目。
しかし、これもつらくなってきた。
セリフを完璧にマスターしてしまったのだ。だから逆に芝居じみた魂の乗り方に違和感が出始めた。
あやたちもその違和感には気づく。
さすが親子だなと、呑気に思えればいいのだが、命がかかってるから俺も必死だ。
だから同じ事を言わないようと、少しずつ言葉を変えるように意識することにしたら、あやと可奈子の反応はマシになった。
記念すべき300日目。
全く同じ朝を迎える。
ふと、気付いた。
「ヒゲ剃ってない・・・」
そうだ。この同じ日を繰り返し始めてからヒゲを剃っていない。て言うかヒゲが伸びない!
髪の毛も伸びてない・・・。
でも俺の記憶だけは上書き更新され続けている・・・。
「おはよう。今日は遅いのね」・・・
541日目
もしかしたらもう一度あやを学校に送り出せば、時間は元通り進むのではないか?あの交差点を渡る時だけ注意すればいいんだ。いやそもそも自転車に乗せなければいい。俺が車で駅まで送ればいいかもしれない。なんなら学校まで・・・。
でも、でも、映画にあるように、例え交通事故を避けたとしても別の原因で死んでしまったりしないか?
そういった映画では『死』が執拗に主人公たちに襲いかかってくる。『死』が運命だから。『死』が決まっているから、どんなに工夫しても避けられない。
あやもそんな運命だったらどうする?
急に恐ろしくなってきた。冷汗が出てきた。
いやいや。あえて危険を犯す必要はない。ずっと同じ日が繰り返されればあやは死なない。例え同じ日が永遠に続こうとも、ずっとあやといられる。ずっとあやを感じられる。
でも亮太だけが変化している。
亮太以外の全ては全く同じことのくり返しなのに、亮太だけが記憶が上書きされ続ける。
1日目の俺と関わったあやと可奈子がいる。
その1日目を経験した俺が、2日目のあやと可奈子と関わる。
それをずっと繰り返し、541日目を迎えた。
541通りのあやと可奈子の関わりが俺の自分史に積みあがる。
それでも、無情にも、朝起きると全く変わらない朝が始まる。
人だって、人の言葉だって、その音の強弱、タイミング。風や、太陽光、雲の形、動きでさえ寸分違わず同じなんだ。
亮太が関わる、繰り返す毎日は、亮太にとっては全く違う日々だ。繰り返す同じ日々でもそれぞれ違う亮太がこの世に関わる事で、世界が変化する。亮太が影響力を与えている。この世界に、この宇宙に。地球上の人類が一人残らず影響し合っている。
でもリセットされてまた同じ日が繰り返される。
永遠に。もしかしたら永遠に。
初めは嬉しかったが、段々と苦しくなってきた。
変化し続ける自分の影響力が全く反映されていないからだ。
ようやく気づいた。
こんなくだらない俺でも、世界に関わっていたんだと。
1年、2年、3年、5年、10年・・・。
10年間、全く同じ世界を毎日繰り返した。
世界で、亮太たった一人だけが全く同じ一日を365日、10年間、ずっと繰り返した。
自分というものは変化し続ける、世界に影響を与え続けるという本質に気付いた時から、辛くて苦しくてしょうがなかったが、あやに会いたい、あやと別れるなんて考えられない。もはやあやの命は自分が握っているような気になってくる。
そんな呪いのようなものが少しずつ、少しずつ俺の胸の中で大きく、巨大化していった。
仮にもし、あやの命を天秤にかけるのならば、自分の辛さなどたかが知れている。あやのかわいらしい、若々しい、俺の命に変えても全く惜しくない、愛おしい娘がずっといてくれる・・・。
いやそれは違う。違うんだ。そんな感覚が体から少しずつ湧き上がってきた。
亮太にとっては毎日が違う日々だ。たしかに同じ毎日を迎える。でも亮太にとっては、亮太という一人の人間としては全く違う一日を、毎日迎えているのだ。亮太にとっては毎日が、昨日とは違う一日なのだ。亮太自体がアップデートされているから。
ああ、何という事だ。
気付かなければよかった。
この世界で、俺だけが日々変化している。
俺だけが・・・。
この変化した俺をただそのままに見てくれる人がこの世にはいない。家族でさえ、だ。
可奈子も、あやもすばらしい。俺のかけがえのない妻と娘だ。愛している。俺の命に代えても惜しくない。
でも違う。
そういう事ではない・・・。
これは、俺は、『可奈子』という一人の人間と、『あや』という一人の人間と関わってくべきなんだ。
結局のところ人間は一人ひとり独立している。
会社とか学校とか、家族といえど、本質的には孤独なのだ。一人ひとり独立しているのだ。これは哀しいとか、嬉しいとか感情的なことでもなく、ただただそれだけの事実だ。嬉しいも辛いもない。
誰しも影響力は与え、与えられる。それは独立しているからこそだ。
もちろん人間は一人では生きていけるはずはない。だからこそ他人を大事にして尊重して、自分も大切にする。寄り添う。想いを共有する。100%出来なくてもそうしたいと思う。
家族なら尚更だ。
だからこそ、だからこそ、俺はもうこの世界から卒業しなければならないのだと確信した。
そう確信することは怖かったし、辛かった。
だって、それはあやとの別れを意味したから。
でもそうしなければならない。俺は直感的に運命的に確信したのだ・・・。
最期の日はどうやって迎えたらいいのだろうか。
あやは苦しむのにどうして送り出せるのだろうか?
いっそのこと俺が苦しまずに殺してあげればいいのか。俺も可奈子も一家心中すればいいのか・・・?
そんなわけあるはずない。バカ野郎!
覚悟が決まらない。
でも覚悟しなければ・・・。
更に10年も経ってしまった。
精神的に辛い。辛いはずなのに体は健康そのもの。意識もハッキリしているし、思考できる、脳の動きも冴えている。
俺の時間では20年も経過しているのだ。本当ならば65才になっている。体力も思考力も衰えて然るべきなのに、45才のまだ体力気力思考力がある、そのままだった。
ただ、20年経って、ふと覚悟が決まった。
なぜだろうか?わからない。でもやり切った感があった。やるだけやったと。
不思議と涙は出ない。哀しい気持ちがない。
明日は穏やかな気持ちで迎えられそうだ。
落ち着いて、自分らしく。感謝を込めて。
「おやすみ」
「おやすみなさーい」
目が覚めると長椅子に座っていた。可奈子も横にいる。ここは何処だ?見覚えがあるぞ・・・。ああ、病院だ。あやが担ぎ込まれた病院だ。
戻ったんだ・・・。
可奈子の目は泣きはらして真っ赤になっている。疲れ切って、寝ながら泣いている。
涙が溢れてきた。
俺の20年は幻なんかじゃない。本当にあった俺が体験した事実だ。
でも現実を受け入れるのは辛い。
あやがいて欲しかった。
でもこれが運命というものならば受け入れるだけだ。
悲しいし、寂しいけど淡々と受け入れるのみだ。
悲しみは時間が癒してくれる。何よりもあやと過ごした時間を、素晴らしい時間を大切にしようではないか。いなくなった辛さよりも、これまで幸せをくれたあやに感謝しようではないか。
あや、素晴らしい時間をありがとう。
ママはもうしばらくだけ、寂しくて落ち込むと思うけど、大丈夫。必ず元気になる。パパがいるから安心してくれ。
あやには多くの事を教わった。親は子どもに育てられると誰かが言っていたが、まさにその通りだ。
俺は父親としてどれくらいあやに良い影響を与えられたのだろうか?こればかりは全く持って自信がないが、まあ少しはあるだろうと笑ってごまかすことにするよ。
ありがとう。心から感謝するよ。
涙を流しながらも、亮太は優しい微笑みになっていた。
おしまい
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