なぜ文字を書くのか?なぜ小説家なのか?この動画全盛期の現代に文章を書くべき理由 835文字 1分半読
僕は小説家です。
小説家なので文章を書きます。
書くと言ってもパソコンでキーボードから文章を紡いでいます。
文章を書く、文章を創るうちに分散していた点が繋がり、思いもよらない素晴らしい組み合わせで、物語が出来上がる事や思いを正確に言葉に変換できる素晴らしい瞬間があります。
小説に限らずですが、仕事や日常生活の中で考えがまとまらず、どうにもこうにも納得のいかない支離滅裂な行き止まりに迷い込んでしまう。そんなことがあります。
そんな時程、とにかく文字を書き文章を繋いでいくと、突然稲妻のように降りてくる、例えば新天地に辿り着くような、しかもたどり着いた島が、素晴らしい砂浜と美しい景色の見たことのない場所だったりすることがあります。
そういう宝石のような場所は、年に数える程しかないですが、小説家なんだから自由自在に毎日創造しなさいなって感じです。
まあ創意工夫の日々は死ぬまで続きますっと。
さて、紡いだ文章が、やがて物語になる。
書けば書くほど、文字の重みと表現色の種類が増えてゆく。
でもChatGPTちゃんにお願いすれば、誰でも売れっ子小説家に成れてしまうのに、日本語を知らない人でも素晴らしい物語を、完璧なアカデミー賞レベルの脚本を創ることができる。
そんな残酷な時代が時間の問題でやってきます。
言っておきますが、残酷な思いをするのは小説家ではありません。
エンターテイメントを楽しむ側の人々です。
エンターテイメント性が高い作品を、全人類誰でも創れるようになるのならば、要するに想像力、創造力が劇的に貧弱になります。
心が揺さぶられるにはそれを感じ取ることのできる能力が必要です。
感受性が鍛えられていない限りどんなに素晴らしい物語に触れたとしても、その感動は不完全燃焼となる。
不感症の、中途半端な消化不良の後味の悪さが残る。
結局、
「よくわかんないね」
のごまかしで感受性の乏しさを作品の悪評にすり替え、徐々に徐々に軽薄な物語が圧倒的に増えていく。
そんな悲しい残酷な予測を
僕はしております。
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