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親密さの森

今まで付き合った人とは親密にならないまま離れていったように思う。それはある意味私に安息をもたらしたのかもしれない。傷付きながらも、ほっとしていた部分もあった。

誰かと一緒にいることは安心できることだけど、一方で相手の森に足を踏み入れていくような怖さがある。そして、相手も私の森に入ってくる。お互いどこまで入ってきてもいいか些細なサインを出し合うんだろうか。

出会うとき、私たちはお互いに自分の森から出て、社会的な「私」を演じている。その時、森の中の「私」は森に残されたまま。

森の入り口まで連れてきても、立ち話をしていつまで経っても自分の森には入らせないこともあるかもしれない。親密になっていけば、社会的な「私」以外の部分をすこしづつ見せていくのか。

私は私の森の深さを知らない。どこまでの奥行きがあるのかも。歳を重ねていくほどに森は深くなっていくのだとしたら、自分の森がどこまで続いているのか結局わからないまま死んでいくのだろう。

私も足を踏み入れたことのない「私の森」のある場所に腰を下ろして、私に語りかける人もいるかもしれない。それは通りすがりで出会う人かもしれないし、これから共に働く人かもしれない。

森。

木漏れ日が気持ちいいときもあれば、日が落ちてあっという間に暗くなって恐怖を感じることもある。

誰の中にもある「私の森」。

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