私が、体現することが大事。ずっと考えているニワトリのこと。
自分一人で生きるんじゃなくて、誰かの思いに触れながら生きることへの希望みたいなものを感じた。自分が経験していないことを他人は経験し、何かを感じ、何かに気付き、そしてまた生きている。それ自体に励まされるし、勇気をもらえる。
二年半前に参加した「さとのば大学」というプログラムの報告会に昨日、今日と参加してきた。現役生の子たちの発表を聞いているときも、その発表に対するみんなからの感想を読んでる時も、涙が止まらなかった。
人の思いがこもった声や言葉に触れるとこんなにも心が動くのか。勇気をもらったと同時に、「私もやっと今再び動き出しているぞ…!」という自負と、本当はニワトリを殺したくないし、そのために人に頼って、負担をかけるのは本当にいやだと思っている自分もいる。
今回も自分でやるって言い出したんだから、自分でいろんなこと決めて動いて、頼る部分は頼ったりしなくちゃいけないし、人と積極的にコミュニケーション取らなくちゃいけないし。
何度も何度も思うこと。私がやることは正しいのか?これをしたことでどうなるのか?わからない。「私にとって一番大切なことは、きっとここから生まれる」という確信だけはあったけど、他人の「正しさ」「正義」に反するようなことを私はしようとしているんじゃないかという批判される怖さがあって、やりたいけどやっていない状態が続いていた。また同じ場所に戻ってきたような気もしている。でも、今私が考えられることはこの「手段」なんだ。
千春さんの本、また読んで泣いてしまう。本当は殺したくないし、見たくない。でも、向き合いたいと思うし、自分が普段食べているお肉について考える機会がほしいと思っている人にとっていい機会をつくることが、今私にできることなんじゃないか?と友だちと話して改めて自分のやることの意義は感じられた。
畜産業、養鶏業界などの大きな業界(組織などの大きなもの)に対して何か働きかけることではなくて、まず私個人が身の丈に合った行動を起こすこと。それが今の段階では、大事な気がしている。
やりたいな、やりたいな、と思いながらもできていなかったこと。起業とかそういうのじゃなくて、もっと私、個人としてやるのが私らしいと思っていること。
「自分がやっていないことを、誰かに広めることはできない。」
と口にした活動家の言葉や、
You must be the change you want to see in the world.
「あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。」
というガンジーの言葉にしっくりきている。
私が、体現することが大事。
私は、私を含めた多くの人があたりまえのように享受しているお肉を日常的に口にしている(前よりも食べる量は減ったけど)。私だけがお肉を食べることをやめてもあまり意味がないように感じたし、実際今までおいしく食べてきたお肉を今後一切食べないということは、今はまだむずかしいと思っている。(ヴィーガン※レストランで働いてるけど。)
※ヴィーガン:肉や魚だけでなく、乳製品など動物性のものを口にしない完全菜食主義
だから、誰かと一緒に考えたいと思ったし、向き合ってみたいと思っている。一人で考えているとよくわからなくなって、考えること自体放棄してしまうけど、誰かと一緒になら向き合えて、今、これから何をすべきなのか見えてくるんじゃないか?
私は私のやり方で現実に向き合おうと思う。そして、その過程は一人じゃないんだ。きっと動いた先で出会う人たちとのつながりがさらにどこかにつながっていくような気がしている。
【おしらせ】
2022年3月6日(日曜)に千葉県の蓮沼で、ニワトリを絞めて、解体して、調理して、食べて、ディスカッションをするワークショップをします。友だちの範囲内で少人数で開催する予定ですが、今後もいろいろな場所で継続してこのワークショップを開催していきたいと考えています。
こういった活動を主催者として一緒に開催していくことに興味がある人がいたら、ぜひ気軽にFacebookなどからメッセージください。今後、何かしらの形でご一緒できればうれしいです!!
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