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カルロス・クライバーとマウリツィオ・ポリーニ ---「湖上の美人」の隠れたエピソード

Barber著「カルロスとの交流」

かねてより欲しかった「Corresponding Carlos  A Biography of Carlos Kleiber(カルロスとの交流 カルロス・クライバー伝)」Charles Barber著(英Rowman & Littlefield)を手に入れた。思ったよりわかりやすい英語だったので面白そうな箇所から読み始めていたところ、ポリーニに関するエピソードが目に留まった。

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幻の指揮者カルロス・クライバーと巨匠ピアニストのマウリツィオ・ポリーニ。
生前「この業界には友人と言える者が少ないんだ」とこぼしていたクライバーが友情を以て親しく付き合っていたのはポリーニだった。

1986年東京でのクライバーとポリーニ

私がこの二人を偶然にも見かけたのは1986年クライバー率いるバイエルン国立管弦楽団来日公演の初日、東京文化会館の楽屋口だった。
その目撃談については以下のブログにて詳しく記しているのでご興味あったら是非読んでいただきたい。

私はてっきり偶々の出会いを見かけたのかと思っていたのだが、クライバーと親交のあった広渡勲氏の「マエストロ、ようこそ」(2020年 音楽之友社)を最近読んで、この二人はこの時点で既に交友を深めていたことを知ったのである。

そしてその交友の一端がBarber著の「カルロスとの交流」に書いてあったのだ。

カルロスの実姉ヴェロニカの証言

「カルロスは本当に彼(ポリーニ)を愛していて親友でした」とクライバーの実姉であるヴェロニカ・クライバーが2008年イタリアのRAI3の放送で語っており、その友人関係が確かであったことがわかる(Barber「カルロスとの交流」p.137)
更にその証言では最初に二人が出会った頃?のポリーニ、彼が大きなケーキを携えてクライバーの家を訪ねて、クライバーの音楽への取り組みについて興味津々と尋ねている様子をクライバーの手紙から紹介している。

1981年ペーザロのロッシーニ「湖上の美人」

1981年、マウリツィオ・ポリーニは指揮者としてペーザロのロッシーニ音楽祭に登場しオペラ・セリア「湖上の美人」を指揮する。
これは後に1983年同音楽祭にてCBSソニーが録音、ポリーニのレコードにおける指揮者デビューともなり発売当時は話題になったディスクである。

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このプロダクションを引き受けることは「全く新しい経験」と感じていたポリーニは自ずと心に浮かんだのはクライバー だったらどのようにアプローチするのかという事で、実際に彼はクライバーの前にロッシーニのスコアを差し出して意見を聞いてみたのである。そしてそこでクライバーの「驚くべき重要な特徴」を知る事になるのである。
クライバーは瞬時にスコアから音楽の内実を汲み取り、如何に表現すべきかを示すことができ、ポリーニはその驚異的な読み取りの速さと理解に感嘆したのだ(Barber「カルロスとの交流」p.137)
ポリーニは恐らくこのクライバーとの交流を糧にして、1981年の歴史的な復古上演にその鮮烈な音楽を添える事になったのだろう。
そして1年後にはカルロス・クライバー自身も音楽祭を訪ねてポリーニの成果を確かめたのである(Barber「カルロスとの交流」p.137)

「友情を大切にしたい」

ポリーニの希少な指揮者活動の裏にカルロス・クライバーの存在があったのだが、しかしこの二人は決して共演することはなかった。
1978年ベルリン・フィルのインテンダントだったヴォルフガング・シュトレーゼマンはカルロス・クライバーの指揮でベートーヴェン・プログラム(「エグモント」序曲、ポリーニ独奏の「皇帝」そして7番交響曲)を企画したが、高額なギャラを以てしてもクライバーは頭を縦に振らなかった(Barber「カルロスとの交流」p.123)
この時の拒否の理由は今となっては不明だが、ポリーニとの共演については少なくとも根拠がありそうなのだ。
それを窺わせるのが広渡勲氏の「マエストロ、ようこそ」にあり、上掲の「この業界には友人と言える者が少ないんだ」に繋がる言葉なのである。

「彼(ポリーニ)はその貴重な友人だから、仕事より友情を優先させたいのだよ」(「マエストロ、ようこそ」p.45)

この偉大なアーティスト同士による共演は結局実現しなかったが、
クライバー にとって友情は音楽より重かったのである。
そしてこのことは彼の音楽を厳しく突き詰める姿、時には共演者との軋轢も厭わない音楽への求道を示している事になるのだ。

これについてはまた別に書きたい。

この項、了

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