カルロス・クライバーが愛したリング ---グッドールの指環
1.神が愛した神
先日購入した「Corresponding with Carlos A Biography of Carlos Kleiber カルロスとの交流 カルロス・クライバー 伝」Charles Barber著(英Roman&Littlefield 2011年)を読んでいて、ある本のタイトルを思い出した。
「クライバー が讃え、ショルティーが恐れた男 指揮者グッドオールの生涯」山崎浩太郎(洋泉社2002年)
この本の中でクライバー がグッドールを尊敬しており、繰り返し彼の指環を聴いていたという下りが出てくるのだ。
似たような記述がBarberの著作にも出てくる。
しかし、あの伝説的な指揮者カルロス・クライバー が尊敬した指揮者あるいはディスクとなると「神が愛した神」なわけで誰もが関心のあるところだろう。
Barberの著作には既によく知られている話ではあるが、カラヤンに対してその才能はもちろん父性的な想いも抱いていた事など興味深い人物そして逸話(ミトロプーロスの録音を高く評価していたクライバー は、彼のヴェルディを知らない人のためにわざわざ「仮面舞踏会」のディスクを探してきた話など)がいくつも出てきて、時に意外に思ったりもした。
しかし、ことグッドールに関しては私は大学生の頃から聴いていて、とりわけその指環は私の好物だったので、私はさしずめ神と同じものを愛食していたことになると鼻高々になってしまう笑
2.グッドール愛
さて話をBarber氏の著作に戻そう。
クライバー はグッドールの指環だけでなく、彼の指揮ぶりにも感心していたようだ。1996年にBarber氏はBBCのドキュメンタリー映画「The Quest of Reginald Goodall レジナルド・グッドールへの探求」のテープを送ったところ、クライバー は大変な感動を受けた。
3.たとえば「ラインの黄金」
ところでクライバーのグッドール愛を私が少し引き受けるならば、このコロシアム・リングは往年の指揮者の息遣い ---現代のような整然としたテンポと洗練ではなく、言葉に即したテンポと呼吸の揺れや豪胆な響きを今に蘇らせたようなワーグナーであったと思う。
この録音が英語版であることで忌諱する向きがある事は承知しているが、だとすれば勿体ない話であり、例えば指環の出だしである「ラインの黄金」の冒頭だけでもつまみ聴きでもいいから聴いていただきたい。
テンポは冒頭から遅い、しかしラインの乙女の滑らかさがアルベリヒが登場すると瞬く間に淀んで鈍い響き(バスクラやチェロのうねり!)を演出しながらドラマを動かしていく。
あるいはラインの乙女の黄金讃歌の燦燦とした壮大さに対して「愛を断念した者は黄金の指環を得られる」でのドス黒い響きとティンパニーの不吉な粒立ち!
一方でワルキューレ2幕のヴォータンのモノローグやジークフリート全般などは音楽に抑揚がなくもたれてしまい、全曲を見渡すと欠点や粗はあることは事実だ。
それを認めた上でもこのコロシアム・リングは捨てがたい。
(私見だが、そもそも完璧なリングの録音というのはあるのだろうか?)
4.神に匹敵する指揮者たち
山崎浩太郎氏はグッドールの長年の夢だったトリスタンの録音を晩年に実現できたことを彼の幸福とした。コヴェントガーデンでの不遇など決して順調満帆な指揮者ではなかったが、彼は最後の最後で「《至高》のトリスタン」を遺しただけに「終わりよければ」の人生だったとしている。
そしてクライバーは間違いなくカラヤン同様にグッドールを尊敬していた。
これもグッドールの人生にとってまたとない祝福だっただろう。
ところでグッドールはこう言ったという。
この3人の指揮者、やはり「神を愛した神」なのである。
この項、了
(グッドールの指環は英CHANDOSからCDが出ているが、元々は英EMIから出ていた。私は英EMIの録音の方が圧倒的に好みなので以下を紹介している。)
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