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虚像。

8 時 出勤。
17 時 退社。

週休二日で、残業はしない。

帰宅したって、別段 誰が待っている訳でもないのに…
今日も私は、最寄りのスーパーに立ち寄って 家路を急ぐ。

代わり映えのしないこの日常を、人は、つまらないと揶揄やゆするだろう。
私だって、平々凡々でオール 3 の毎日を、特に楽しいとも思っていない。
だけど、ベネフィットも無ければリスクも無い日々は、安定をこよなく愛するが故、最も心地が良いものだった。

   今夜は、何にしよう。

私に選択権のあるものは、夕飯のメニューくらい。
後は、与えられたことを卒無くこなしてさえいれば、何も問題なく時間が過ぎていく。

誰に迷惑をかけるでもなく、誰にも、迷惑をかけられない。
仲の良い友人は居るが、彼氏と呼べる人は、もう、数年は居なかった。

それでも私は、幸せな方だと思う。

幸不幸は、誰かと比べるものではない。
SNS で、自らの幸せを一生懸命拡散している あの子だって、人知れず誰にも言えない苦悩があって…
見えているものだけを、盲目的に信じるなんて ナンセンス。
ましてや、それを羨むなんて、浅ましいとさえ思っていた。

とは言いつつ、誰に言われるでもなく始めた SNS には 連日の夕食を載せ、『 いいね 』がつくと細やかな幸せを覚える。
ワンクリックの『 いいね 』は、私の少ない承認欲求を満たしてくれるに 十分過ぎるものだった。

『 今日も、美味しそうですね。』

5 分も経てば、記憶にすら残っていないくせに…
─  嘘吐き。

成りたい自分と、フォロワーの憧れや嫉妬を食べて膨らんで大きくなった ' 私 ' は、カースト上位の仲間入りをした。


真面目で几帳面な性格のおかげか、フォロワーは瞬く間に増え、毎日 沢山の『 いいね 』とコメントがつくようになった頃…
そういえば、毎日コメントをしてくれていた男性が、今は、『 いいね 』すらしてくれなくなっていることに気付いた。

年齢も近く、律儀で丁寧なリプをしてくれる彼に 私は好印象を覚え、就寝前に、DM でお互いの一日を振り返ることが日課。

彼は、私に よく似ていた。

派手や、目立つ事を好まず…
帰宅道、いつも会う野良猫が、次第に懐いていく様を喜んだり…
休日は、行く宛もなく散歩をしたり…
当たり前の風景に、スマホのカメラを向けたり…
不意に目に止まった事柄に心が震えて、思わず、涙を流してしまう。
似ているからこそ、居心地よく感じると同時に…
どこか 冴えない自分を見ているようで、腹立たしさや、唾を吐き捨ててしまいたい衝動に駆られることが稀にあったことも 確かだ。
そんな、ひとつも垢抜けない彼を見て、私は違うんだと自分に言い聞かせていたのかもしれない。


そんなやり取りが、半年程続いただろうか。
私の腹のうちを見透かされたせいか、彼からのアクションは無くなり、私は、それにすら気付かないでいた。


   彼は、どうしているだろう。

ふと思い立って、夕飯を作りながら、過去の tweet から彼を辿る。

     『 このアカウントは存在しません 』

想像もしえなかった、無機質なメッセージ。

どうして…
彼に、何かしただろうか。
いや…
私のせいでアカウントを削除してしまったなんて、思い違いもいいとこだ。

それでも、大きな消失感と共に、私の手は止まっていた。


どれくらいの時間が経っただろう。

部屋はすっかり薄暗くなり、鍋から漂う焦げ臭い匂いに気付いて、急いでコンロの火を止める。
今夜の夕食は、見た目も悪く、お世辞にも美味しいとは言えないものの形に成り果ててしまっていた。

お鍋の ' それ ' は、彼と一緒で、もう 取り返し等つくはずもなく…
似ても焼いても食べれない 私の影が、香ばしく佇むだけだった。


︎︎◌ 補足
取り返しがつかないのは、今夜の夕食と、『 彼 』と表記していますが…

もしかしたら彼だけでなく、作り上げられた虚像を、すっかり自分自身だと錯覚した『 彼女 』も また、そうかもしれない。
そして、それに、彼女は気付いているのか。

ただ、はっきり明記しなかったのは、『 彼女 』にはこれからがあり、今後どう生きていくかに、一抹の光を持たせたかったからです。

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