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努力とは何か

とある歌手の公演で、一部のオーディエンスから「実力不足だ」という批判の声が上がったのに対し、歌手側が「あれは最高のステージだった。本番に向けて努力を重ねてきたし、結果的に賞賛してくれる人もいた」という見解を示して賛否両論を巻き起こしたらしい。

私は公演を見ていないので、本人がどうこうという話をするつもりはない。ただ、それって「努力」なの?というシンプルな疑問が湧いたので日記として書き留めておく。なんせこの話題、歌手側の考えが若手時代の自分とそっくりなのである。

①ステージは観客ありき
②受け止める力
③プライドと向上心
④努力は目標達成のためにある

①私自身もかつてバンドをしていたので、こういうステージの類で「成功」と呼ぶかどうかは、本人の満足度とは別に観客の反応によるところも大きいと思っている。
演者がやりきって気持ちよかったからと言って、オーディエンスが満足してくれていなければ独りよがりな達成感だし、単に自分の演奏に酔いしれていただけという可能性が出てくる。ミスをしないのはもちろん、ミスしてもうまくフォローできるように立ち回ったり、場の雰囲気に応じてアレンジを加えたりコール&レスポンスで盛り上げたり、そこはエンターテイナーとしての腕が試される。
ついでに言えば、アレンジは基礎ができてこそ。雰囲気だけで出来てる風を装っても、見る側にとって演者の実力は一目瞭然だ。

②観客にもそれぞれに感性があり、すべての人の心を満たすのは難しいかもしれない。だからこそ、演者側はオーディエンスからの感想がさまざまであることを覚悟しておかなければいけないとも思う。ただ、自分にとって都合のよい意見だけを受け入れて、それ以外を排除するようなスタンスでいると、自分の伸びしろを狭めてしまってもったいない気もする。

③自分を卑下せずに「努力してきた」と言い切る肝の座りようは、プロとしてのプライドが感じられて素晴らしいが、結果として成果に表れていない骨折りを「努力」と呼ぶのだろうか。報酬を得て公演を行うプロである以上、オーディエンスの期待に応えないと顧客ニーズは満たすことができていないはずであり、そうなると期待に答えられないレベルであるのに「自分はこれだけやってきたから十分だ」という信念を貫くのは、少し向上心にかける気がする。それこそ前述の伸びしろ殺しにも繋がってしまって、実にもったいない。

④本人の目標とオーディエンスの期待のベクトルは合っているのだろうか。さっきと同じ話になるけど、独りよがりな自己評価・賞賛だけを栄養とする心・己の熱意を「努力」と過信する気持ちは、いずれも長い目で見ると本人のためにならない。

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結局何が言いたいかというと、(自戒も含めて)マイナス意見にも学びはあるから、共感できなくてもいったん耳を傾けてみるのはアリだよね、ということである。
マイナス意見ばかりに気を取られて心をむしばまれてしまったら元も子もないけれど、耳が痛い話からも自己実現に結び付く何らかのカギが見つかる可能性はあるので、伸びしろを大切にしつつ色んな声を受け止める寛大さも持っていたほうがいい。渦中の歌手でいえば、人から見られることがビジネスなので、顧客とのコミュニケーションも大切にしたほうがいいんじゃないかなという想い。(とんでもないおせっかいだけどね。)

若かりし頃の私は、なんでこんなに頑張っているのに認められないのだろうという考えが常にあり、やがて「認められるために生きてんじゃねーし。もういいほっとけ」という思考になって我が道をひた走ることになった。これだと自尊心と自己愛がやたら高いだけで、結局のところ誰も寄り付かなくなってしまうのであまり良くなかった。

気づけば1,500字も書いている。何やってんだろう。ハイハイおわり!