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りみちゃん

今でも。
写真を見たり
過去投稿が上がってくると、胸がきゅっと苦しくなって、認識するより先に涙が勝手に流れ出す。

りみちゃん。
もういないんだな。
不在の寂しさを実感する。

りみちゃんは、わたしの一回り上なのに何だか小さな女の子みたいに手のかかる人で。
不思議な魅力にあふれた人だった。

あんなに心通わせて、色んな話をした気がするのに。プライベートの時間を共に過ごした記憶は数えるほど
一緒に遊びに行ったり食事をしたりの記憶がびっくりするほどない。

だからこそ、数えるほどしかない思い出は鮮明だ。

一度、我が家に夕飯を食べに来たことがあった。いつも漁師の旦那が持って帰る魚や作る料理の話を、いいなぁいいなぁって言って、
「なおこさんちにいきたい!ご飯食べたい!」
ってさんざん言ってたのに
いざ我が家に来たら、借りてきた猫みたいに大人しくなっていた。
好物なはずの刺身も、何でだかほとんど手をつけなかった。
今でも何であんな遠慮していたのか分からない。 

わたしはグチばかり話していたのに、話の最後には
「なおこさんはいいね、幸せだね。」
何かあるごとにりみちゃんはポツリと言った。

随分病状が進んでから、初めて約束してランチに行った。レストランでは、いつもより沢山食べれたとカキフライを美味しそうにほおばっていた。
そのあと、ずっと行きたがっていた「ひこうせん」に行った。
りみちゃんは、楽しい嬉しいとしきりに言って、ママがサービスで出してくれたゴーヤジュースを美味しい美味しいと全て飲み干した。

「なおこさんとこんな風に出かけるの初めてだね、もっとあちこち行きたかったな。」
まるで最後みたいな言い方をしたから
「また、行こう!あちこち行こう!」
って急いで寂しい気持ちを打ち消した。

りみちゃんは、靴をしゃがんで履いたりがもう困難になっていて、気づかず座敷のお店を選んでしまった自分を恥じた。
靴の脱ぎ履きを助けるわたしに
「なおこさん、ごめんね、ごめんね」
って何度も謝るりみちゃんに下を向きながら言葉も出ず泣きそうになった。

りみちゃんの弱った現実を見せつけられるたび、生活やお金のこと、もっと助けたい気持ちと、自分の家族との生活を壊されたくない気持ちが常に闘っていた。
わたしにはりみちゃんより大切な家族があって、どうしても優先順位をつけて、できることできないことに線を引く必要があって苦しかった。
病院費用も生活費も、工面が苦しかったりみちゃんは、あちこちの友人知人にお金を借りまくっていた。
でも、わたしにはなぜか一切お金の無心をしなかった。

一度新しい職場に突然訪ねてきたことがあった。
今の仕事について、辛いことも悩んでることも色々話したのだけど、
「なおこさんすごいね、どんどん話してた未来に近づいていってるね!」
と自分のことみたいに喜んで「またね!」と帰っていった。
自分のことを話すのに夢中で、その時は気づかなかったけれど、今ならあの時お金を借りたかったのかと予想がつく。
わたしには、わたしが思うきれいなりみちゃんでいたかったのかな?
りみちゃんが亡くなったあと共通の友人たちとそんな話をした。

理想の未来を語り、人のうわさ話をし、身につけてるものを褒め合い、あれは、あの一緒に働いた日々は、わたしたちの青春だったな。

りみちゃんがもういよいよ危ないとなって、急いで会いにいった。
最後に会った日から1、2ヶ月経っていた。
その会わない間、LINEにメッセージや着信があってもメッセージで中々行けなくてごめんと返すばかりだった。

最後に会ったりみちゃんは、骨と皮ばかりの別人になっていた。
夢うつつの意識の中、わたしを認識してくれたようだけど、わたしには分かってもらえてる確信がなかった。
手を握っても、顔を見つめても、そこにりみちゃんがいる確信が全然もてなかった。

まるで家族のように献身的にお世話をするりみちゃんの友人がいてくれて色々話した。
わたしの見ていたりみちゃんと違うりみちゃんがそこにいた。
知らないりみちゃんがいっぱいだった。
りみちゃんが話してわたしが信じていたことすら揺らぐこともあった。

りみちゃんが亡くなって、心にぽっかり穴があいてしまった。
ひとりぼっちになった気がした。
友達ってなんだろう。
人生を全て共にあゆむことはできない。

同じ気持ちでいるように感じてたけどそれすら幻想だったのかと思う時もある。

りみちゃんの家から処分を頼まれた手紙やらを回収した日、
「りみちゃんは月みたいだったね。」
と共通の友人が言った。

「人によって、日によって、見せる顔をくるくる変える月みたい。わたし、多分月を見るたびりみさんを思い出す。」

りみちゃんにたくさんのお金を貸していたその友人は、晴れ晴れとした顔をしていて不思議と恨みはなさそうだった。

あぁそうか、りみちゃんはお月様か。そうか。
ストンと気持ちが落ち着き納得がいった。

わたしもきっと、月を見るたび思い出しちゃうな。佐喜浜に行くたびに、海を見るたびに、虹がでるたびに、神祭がくるたびに。
何度でも思い出す。

りみちゃん、会いたいよ。
今なら、二人で思い描いていたこと、たくさん実現できるよ。
同じような気持ちを持って、頑張ってる仲間もたくさんできたよ。
淋しくなくなったけど、でもりみちゃんがいたらなぁ、りみちゃんに話したり見せたり、一緒にやりたかったなぁと思うことたくさんあるよ。
毎日、海を見て、朝日や夕日を見て、美味しい魚を食べて、子どもたちはすくすく育っていて、ここにいれて幸せだなぁって感じる。
これからも、わたし、ここでがんばる。
空から、そらとはると一緒に見ててね。

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