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コンプレックスは唯一無二の才能や魅力かもしれない

私はよく他人から「変わってるね」と言われることが多く、ちょっと頭がおかしい人、みたいな扱いを受けることもありました。
自然体で振る舞えば振る舞うほど、変わっていると言われる。でも、自分では何がそんなにおかしいのか分からない。

それが割と最近までコンプレックスで、いわゆる「普通」の人が好きそうな話題を話してみたり、「普通」の人っぽい振る舞いをしてみたり、とにかく素の自分を出さない努力をしていました。
本心を伝えるのではなく、相手が欲しそうなことを言ってみたり、変に浮かない言葉選びをしてみたり。

それでも、自分の振る舞いが変じゃないか、一般的な振る舞いから外れていないかが心配で、相手の反応や顔色ばかりを伺っていました。
「大丈夫かな?変じゃなかったかな?」そんな不安が頭から離れなくて。
自分らしくいることが怖くて、人と会うことがあまり好きではなかったんです。

今もまだ、若干その癖は残っているけど、
そのままの自分を認めて、自分だけの魅力を見つけることにフォーカスし始めたら、変わっている自分でいいし、変わっている自分こそが魅力なんだと思うように徐々に変化しています。

そもそも「変わっている」って何でしょうか。

「出る杭は打たれる」という諺があるように、「みんなと同じがいい」「標準的」「平均的」を無意識に好む日本社会では、ネガティブな表現に捉えられがちで、生きづらさを感じやすいのかなと思います。

もう少しフラットに考えると、いわゆる「普通」という概念に当てはまる人が社会の9割だとして、「変わっている」人が1割だとする。
9割の人間の価値観や考え方が、社会の常識を作ります。

9割の人間が、誰かに対して「変わっているな」と思う時って、一般常識では考えられない、珍しい価値観や世界観、雰囲気を持っている人を見て、そのような感想を持つのだと思います。

少し話が逸れますが、最近、億単位のお金を稼ぐ起業家さんの考え方や意識の持ち方に触れたくて、発信を読んだりYouTubeを見ています。

様々な発信を拝見する中で、起業家さんの意識の持ち方や考え方が、自分の持つ意識や考え方にわりと近いことに気がつきました。

たしかに、日本で億を稼ぐ人なんてそうそういないし「普通」ではない。
いわゆる普通の価値観や思考の枠に収まっていたら、到底実現できない。おそらく、普通の人からみたら「変わっている」部類に入るのだと思います。

その時、あることに気がつきました。

あれ?もしかして、「普通じゃない」=「変わっている」=「常識の枠を越えて、凄いことを実現できる才能を持っている」のでは?

そのことに気がついた瞬間、私のコンプレックスが、ものすごい才能と魅力の原石に見えてきたのです。

普通の人の中にいると、頭がおかしくてちょっと残念みたいになるけど、本当はみんなに合わせて小さくなるようなそんな小さな人間じゃないかもしれない。

自分の魅力を堂々と開花させて、周りに遠慮せず突き抜けることで、「頭がおかしい」と言っていた価値観に、今度はみんなが合わせてくるかもしれない。

これからは風の時代でもあり、自分の個性を抑圧するよりも開花させるほうが、何倍も人生が加速していく時代です。

人間に欠点なんてひとつもないです。
世間では障害とされていることも、立派な個性です。
それぞれの光を誰に遠慮することなく好きなように放っていれば、それが誰かにとっての光になります。

自分のここが嫌だな!と思うことは、もしかしたら唯一無二の才能や魅力かもしれない。
その原石を見落とさずにピカピカに磨いていきたい、そんなふうに思います。


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