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休むことへの罪悪感について

休職や離職など、仕事を長期間休むことについて、罪悪感や不安を抱く人も多くいるのかなと思います。

働かないといけないと頭では思っているけど、休んでしまう自分がいて、理想と現実のギャップに辛さを感じてしまう。働いていない自分に価値を感じられず、休むことに罪悪感を感じる。

他の人は卒なく頑張れることが、自分にはできない。自分はなんて根性なしなんだろうと自分を責めてしまう。
この先社会で生きていけるのだろうか、という不安、など。

こんなふうに思われている方も、もしかしたらいるのかもしれません。
罪悪感や不安を手放す在り方について、私なりの考えをお伝えできたらと思います。

  • 罪悪感の正体について知る

「働かないといけないのに、休んでしまう自分への罪悪感」について、もう少し補足してみます。
()太字部分が補足部分です。

「働かないといけない
(と、頭では思っているができていない)
(良くないと頭では思っているが、つい)
休んでしまう」

頭では働きたいと思っているが、
心は休みたがっている。

頭、つまり思考は自分の本心ではないことが多いです。
本心は別のことを望んでいるのに、周りの目を気にして、無意識に世間的に正解とされる方に寄せていたりします。

「つい、◯◯してしまう」
の◯◯は、自分が心から望んでいることです。
人は自分にメリットがあることしか、行動に移せません。

ただ、その◯◯が世間的には良くないことだったり、常識から外れている場合、頭では別のことを望んでいるフリをします。
「本当は◯◯は望んでないけど、仕方なくそうなってる」というテイにして、世間から白い目で見られることを避けながら自分の本心の望みを叶えているのです。

つまり、罪悪感の正体とは、
「世間的には良くないとされているが、自分はやりたいと思っている」時に出てくる感情なのです。

だから、罪悪感をなくすには
他人からの評価や一般論は横に置いて、
自分が本当に望んでいることを認め受け入れることです。

「私は今、休みたいと思っているんだな」と、
そこに良い悪いのジャッジをせず、自分を責めず、あるがままを受け入れてみる。

そして、頭での望みを叶える努力ではなく
心からの望みを叶えてあげる努力にシフトしていきましょう。
休職・離職中の場合、思いっきり休み、思いっきり遊ぶことを全力で許可するのです。

  • 休むこと=進歩である

休むことを不安に思う理由の一つに、「休む=停滞」というイメージがあるからかな、と思います。

でも、私は「休む=進歩」だと考えています。
なぜなら、「いつもと同じ思考・行動」こそが停滞だと思うからです。

いつもと同じ環境で、いつもと同じ思考をし、いつもと同じ行動をしていると、精神的な成長の幅は限られてくると思います。

休まず働くことは良いことのように見えますが、一方で、環境を劇的に変えない限りは、思考パターンや行動パターンに変化もなく、人間性を高めるという意味では停滞しているとも捉えられます。

一方、今まで休まず働いていた人が、休むという選択をした時、大きく環境が変化し、考えること、付き合う人や1日の使い方が変わります。
様々な変化から、今までのルーティン・安心領域の外側に出ることになり、人間としての幅に広がりをみせてくれます。

キャリアを積むという意味では、休むことは停滞のように見えますが、人生という括りでみると、休む時こそ、自分の人間性の幅を広げる機会であり、進歩であると思っています。

何の肩書きもない、ありのままの自分は
何が好きで何が嫌いなのか。
本心ではどのように生きたいと思っているのか。

眠っていた感性を思い出し、
自分らしく生きていくための大切な時間として
休職・離職期間を過ごしていけたらな、と思います。

自分の中から罪悪感を無くし、
ありのままの自分を認め、心地よく生きていきましょう♪

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