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親を見て看取り、そこから得られたこと②

大変苦しいことなのだけれど
親の死をもって、一つ成長するということはあるかもしれません。
また、救われることもあることに気づきました。

1)死ぬまでの過程

目の前の人が死にゆくとわかっている時、
何ができるか?
それが、私には最大の課題でした。

結果
母が話せる時は、母のしたいことや願いに耳を傾ける
最大限にできることをしていく、に尽きます。

亡くなる7日前に、看護師をしている私たちの従兄弟に会いたいと
ひたすら言うのです。
新潟で仕事をしている従兄弟に、願いをきいてもらい、
来てもらうことが叶いました。

母にしてみたら、家族とは少し距離のある頼れる身内だったのだと思います。力もないのにひたすら2時間ほど話をしていました。

次に、訳あって距離を置いていた、兄弟に会いたいと言い出し
これも新潟から足を運んでもらいました。

そして、2日後に亡くなったのです。

2)役割がある

私の妹は、力と頼りがいがあります。
しかしながら、繊細です。
彼女は、仕事を辞めてまでして母を看病しました。


実は
私は、それができませんでした。
自分の中で「仕事よりも親でしょ?」と言う自分と
「まずは自分も大切にしなくちゃだよね」と言う自分。

ですから、精神状態も悪くなり
わがまま放題の娘のようになっていく母に対して
あまりに辛く感じ
「もう、私たちを手放してくれないかな」
そう思ったのです。
客観的にみたらなんて酷い、と思われても仕方ないのですが
そこまで、辛かったのです。

何が辛かったか・・と言えば、
長女として何ができるのかわからなかったからです。

しかし、母の死は、異変に気づいた私がみる形となりました。

母の身体を綺麗にした後
母が病になるまで
ほとんど向き合ったことのない妹と
語り合いました。

「私は何にもできなかったよ。本当に申し訳ない」と
謝りもしました。

妹は
「お母さんが、最後に食べたものは、お姉ちゃんが剥いた
リンゴだったよ。
お母さんの最後を看取ったのも、お姉ちゃんだったじゃない。
お母さんが選んだんだよ」

そう言う妹の言葉が、今でも忘れられません。

同じ娘でも、役割があるのでしょう。

一つの命の節目と向き合うことで
それぞれの心の中で育つものもある、そう思うのです。

親を自宅で看取ることが、全て良いとは思いません。
そうした方がいいとも言い切れません。
私たち家族は、そういう選択をした、と言うまでです。

数日後に、母の5回目の命日が来ます。

なぜか、一つの節目と感じていて
マンダラを作成しています。
母の好きだった、
マゼンタを沢山使いながら。



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