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まだまだPSAじわじわ上昇中

毎年恒例の秋の健康診断の結果が送られてきました。
夏のはじめに指摘された前立腺がんの腫瘍マーカー、
PSAの数値がまたじわりと上がっていました。
(夏のはじめの話はこちらをご覧ください
 https://note.com/mimeguminoah/n/n0e93942ddb3e )

PSAの標準値は一応の目安として"4.0"未満といわれます。
私の場合昨年の秋が"3.2"、今年の夏のはじめが"4.2"、
これを見て1か月後に前立腺生検をしましたが、
この時は結局がん細胞は見つかりませんでした。
そしてこの秋が"5.3"。かなり順調に上昇してきています。

先の生検の結果を聞いたときにも医師はこういいました。
「がんではないとはいい切れません。
 まだ小さすぎて生検で拾えなかった
 ということもありますから。
 これからも、経過観察していきましょう。」

今回またPSAの値が上昇していたということは、
やっぱり私はがんなのでしょうか。
なんだか不安ですね。
この先どうなってしまうのでしょう。

不安を感じるというのは心理学的には
先が予測できないということなんだそうです。
なので、この先どうなるのかいろいろ考えてみましょう。

先ずはインターネットでいろいろ調べてみたのですが、
このページがいちばん参考になりました。
https://www.kato-hinyoukika.com/subject/psa.html

この記事によると、前立腺生検で
がんが見つかる割合は40~50%だそうです。
50%~60%の人はがん細胞が見つからないのですね。
私もこちらのひとりでした。

この人たちのうち約70%はその後の経過観察を経て
最終的にただの前立腺肥大症という結果になりますが、
残りの約30%の人にはその後がん細胞が見つかるそうです。
この人たちは、この時の生検では
がんがまだ小さくて拾えなかった人ということになります。

このような場合には通常生検の後にもじわじわと
PSAが上昇していくそうです。
生検後2年以内にPSAが生検前の2倍以上に上がったら
がん細胞が隠れていた可能性が高いということです。

ふむふむ、ぼんやり先が見えてきましたね。
ということは、わたしにはこの先
3つの筋書きが考えられるのではないでしょうか。

【筋書き:その1】
今回のPSAの上昇は一時的なもので、
やがて一定の値に落ち着く。
ただの前立腺肥大症でした。
これならば、めでたしめでたしのハッピーエンドですね。

【筋書き:その2】
この後もじわじわPSAが上昇して、
やがて生検の再検査をすることになります。
そしてこの時にはがん細胞が見つかり
前立腺摘出の手術を受けます。
そしてその後転移もなく完治します。
手術のリスクとして尿漏れの後遺症が残ることもあるそうで、
その後の生活に不便を感じることもあるかも知れませんが、
これならば、取りあえず命は助かりそうですね。

【筋書き:その3】
やはりこの後がん細胞が見つかりますが、
この時点ですでに転移していて、
その後、闘病生活を送ることになります。
前立腺がんは骨に転移することが多いそうです。
骨転移はものすごい痛みを伴うそうです。
考えただけでも嫌ですね。
闘病生活の長さは数か月から数年まで定かではありませんが、
やがてはがんで天に召されることになります。

では私がこれらの筋書きをたどる確率は
それぞれどれくらいなのでしょうか。

前立腺がんの可能性を探る要因として、
PSAの値の他にF/T比というものがあります。
この値が高いと前立腺肥大症、
低いと前立腺がんの確率が高いと言われています。
生検の前の検査では、F/T比はやや低い値を示していました。
なので医師も先のような発言をしたのかも知れません。

ですので、【筋書き:その2】をたどる確率は高そうですね。
ある程度覚悟しておく必要があるでしょう。

しかし、しっかりと経過観察をしていれば、
【筋書き:その3】をたどる確率は低いのではないかと思います。
かかりつけの泌尿器科は医師の腕は確かなのかも知れませんが、
待ち時間が長い上に、陰鬱な雰囲気で職員の態度も悪く、
受診することを思うだけでとても憂鬱な気分になります。
それでもめげずにきちんと受診しなくてはいけませんね。

いろいろ思いをめぐらせてもこの先の不安は尽きませんね。
でも私は、神に愛されている神の息子です。
私を愛しているお方は、天地を創られ、
統べ治められておられる、全知全能のお方です。
私を愛しているお方の許しがなければスズメ一羽も
地に落ちることがありません。
(新約聖書「マタイの福音書」10章29-31節)
(新約聖書「ルカの福音書」12章6-7節)

であれば、やがて私がどの筋書きをたどることになっても、
それがたとえ死であったとしても、
それが私にとってのいちばんの幸いに違いありません。
私は神に愛されているのですから。
(新約聖書「マタイの福音書」7章9-11節)

どうか、この神の栄光がみなさんにも見えますように。
この世のすべてのひとがこの神の栄光を崇め賛美する、
そのような世の中になりますように。
どうかみなさんにも限りない神の祝福がありますように。

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