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本能的に旅人 第七話

ケニアを感じろ

何日くらい船に乗っていただろう。

相変わらず辺りは見渡す限り海。

しかしさっきからカモメが周りに増えてきたということは、港が近いということなのかもしれない。そう考えていると、甲板で誰かが叫んだ。
「大陸だ!」
それを聞き、目を凝らして遠くを見やる。

本当だ。
青の世界にようやく、ひとかたまりの土色が加わった。

アフリカ大陸だ。

船のスピードが、だんだんとゆっくりになってゆく。
今まさに、太陽に照らされたケニアの港に向かっている。

船が港ぎりぎりまで近づくと、色とりどりの花を抱えた褐色肌の美しい女性たちが、船を出迎えてくれているのが見える。
彼女たちは眩しそうに船を見上げて手を振ってくれている。

ケニア国民のほとんどは、農業で生計を立てているという。
中でも、観賞用花の栽培が盛んらしい。
彼女たちは自慢の花々を手に集まってくれている。

色鮮やかに出迎えてくれたことが嬉しくて、思わず大きな声で彼女たちに伝えてしまった。
「ありがと~!」

すると隣に居たサアヤも全く同時に同じ言葉を叫んだから、二人で可笑しくなって笑った。

船から港にはしご階段が架けられ、サアヤと降りていく。
乗客八百人が順番にその細い階段を下りていかなくてはならないので、全員が降りるには結構時間がかかる。

そうして自分たちが下りきった頃には、お花の女性たちはもういなくなっていて、どこから来たのか、元気いっぱいの男女が民族ダンスと太鼓の音で歓迎してくれていた。
切れ目がない独特なビートに合わせて、大地をかかとで何度も蹴る激しい踊りで。
アフリカでは、踊りは歓びの表現なのだ。

船の揺れから突然解放されると、「陸酔い」になることがある。
揺れている感覚に体が慣れすぎるあまり、揺れていないのがおかしい、と脳が思ってしまうのだ。

太鼓の音が大気を伝って、陸酔いをしている私の心臓に響く。

熱風のような空気を思いきり吸って、大きな太鼓の音を体中で感じながらアフリカの地面をぎゅっと踏みしめる。
 
近くで待っていてくれた六人用バンに乗り込み、これから「マサイ・マラ国立保護区」のサファリを目指す。

「ラマです。よろしく」

元気な運転手のラマさん、こちらこそよろしく。

私はラマさんの後ろの席で、窓を全開にしてサファリにつくまでの移り変わる風景を存分に楽しんでいだ。
ずっと海の上にいた分、地面の上にいることに安心もしていた。

それにしても人はどのようにも暮らしていくことができるのだなぁと、感嘆たる思いで茶色い大地に時々見られる町を眺める。
この辺りにはスーパーなどは無さそうで、代わりに路上で果物や帽子などを売っているお店が集まっているところがあるだけ。

コンビニが無いとか自販機が無いとか、売り物の種類が少ないとか、なにも大騒ぎすることではなく、ものが有れば有るなりに、無ければ無いなりに人は生きていける、ただそれだけのことなのだ。

逆に便利なものが溢れていてモノに囲まれて育つと、それによって生きる力が弱まってしまうような気さえする。

港から離れれば離れるほど、広い大地から少しずつ住居を見かけなくなっていき、ひたすら見渡す限りの地平線が続く。


いつの間にかサファリの門をくぐっていたようだが、景色はそんなに変わらない。
これでは民家の近くで野獣が出没しない保証なんてどこにもないだろう。
むしろ動物の住む大地に人間が住まわせてもらっている。

考えてみればどこの地であろうと人間が動物の住処を奪う権利はないのだが、私たちは我がもの顔で山を切り開き、高速道路に車を走らせ「動物注意」の看板を立てている。
人間こそが破壊をする要注意生物だというのに。
 
このバンの屋根は全体的に上昇して五十センチほど開く仕組みになっていて、顔を出すことができるようになっている。

上から顔を出して動物を探していると、運転しながら鋭く動物をみつけたラマさんが教えてくれた。

「右にキリン!」

本当だ、キリンが長い首をさらに伸ばして高い木の葉っぱを食べている。

「あれも届かなくなってきたら、益々首が長く進化していきそうだね」
サアヤが冷静につぶやいた。

私は答えた。
「そうだね。ここだと進化していけそうだね。日本で時々動物園に行くけど、コンクリートの上での生活を強いられて、狭い檻の中に閉じ込められている動物たちの気持ちになると、帰りにどうしても苦しくなってしまうんだよね。でもここの動物の厳しさや自由さを想うと、本当に清々しい。動物もそれぞれ自分たちらしく進化していけそう」

ただ、こんなに広いところでも、自分が立つ範囲は同じだということを不思議に感じていた。

あまりにも狭いと生命の危機を感じるけれど、心の中に自由さがあれば、どこでも自分らしく生きていくことは可能なのかもしれないと思った。

どちらにせよ扱えることは、自分の周り三メートルくらいにしかなく、どんなに大きなビジョンを描いても、未来や遠くに連動はしているとしても今できることは手が届く範囲のなかにしかないから。

大自然のサファリでは、シマウマの群れやライオンたちが、あるべき姿で生活をしていた。

空気も光の色も、野生の世界ではとても濃い。大地も動物も、ほとんど原色のような力強さを持ってきらめいて生きている。

赤道が近い分、太陽が普段より近くで輝いているからなのだろうか。

私は何かそれだけではないようなパワーを大地から感じていた。
ケニアでは土地のちから、というものがあると思わずにはいられない。

この力が人々や動物の行動にも影響を及ぼしているのは間違いないと思う。

バンの天井から顔を出して外を見る。

近くで白いお腹と茶色い背中を分けるように黒く太い線の模様が入ったトムソンガゼルが跳びながら美しく走っていく。

向こうに見えるのはシマウマの群れ。
顔から足先、しっぽに至るまできれいに白と黒のしましまが入っていて、団体でいると草原に表れたモノクロの大きなモザイクに見える。

サバンナの真ん中でなんだか野性的な気分になり、五感が妙に冴えてきた。

姿が見えないほど遠くでサルのような動物が興奮して鳴いている声や、遠くの木々が揺れてさわさわと葉っぱ同士が触れる音さえ聞こえてくる。

ときおり現れる風が渦を巻く様子も見える程だ。

そして空がとてつもなく広い。
降参するしかないような広さ。

こんなに広い空の下でも、もちろん自分のサイズは変わらないはずなのだが、少なくとも縮こまっている必要はなく、深呼吸をするたびに体の中の自分がのびのびと広がっていくように感じられる。

夕暮れの中、コンロで焼かれた動物の肉をありがたく頂く。

濃厚で固めの肉を前歯で噛み切り、もぐもぐと奥歯ですり潰して飲み込んだ。

生まれてから今までの日々、いろいろな生命を食べて体内に取り込み生かしてもらっている。

だからこそなおさら、自分の命を絶対に無駄にしてはいけない。

転んだりもがきながらでも、与えられた分を最後まで。

大丈夫。
失敗や後悔すらも許されていることに安心して、ただただ、生ききったら、大成功。
 

夜は、動物が来ないように作られた囲いの中に設置されたテントで星に包まれて眠る。

ところがしばらくして、テントの中が暑くて目が覚めてしまった。

外に出ると、一日運転をしてくれていたラマさんが暇そうにしていたので話しかけた。

「テントが暑くて虫だらけだよ」

するとラマさんは、笑って言った。
「それを体験しにきたんじゃないのか? 寒い日本を離れて、自然を体験するために。空調がちゃんときいた部屋の柔らかいベッドじゃないと眠れないのか」

はっとした。
そうだ。
日常から離れて自然にかえろうと、船に乗ったんだ。

生きていることを、大自然を通して実感したくて。

ガイドのおじさんたちは、なにやら草をむしゃむしゃ食べている。
なんの草か、薬草か、気になって聞いてみた。
「なに食べてるの?」

「君も食べてみるかい?」
郷に入れば郷に従え、の信念のもと、そこら辺に生えている草をむしってもらってかじったが、苦く雑草のような匂いで吐きそうなくらい不味かった。

「まず!」
そのままの感想を述べると、ラマさんは笑った。
悪いと思ったけど口に残っている汁も苦くて、べッと出してしまった。

キャンプファイヤーの火を見ながら、煙草をふかすラマさんと語り合う。

私は事務で時給八ドル、おじさんたちは一日働いてやっと八ドル。

しかも仕事が慢性的に不足しているそうだ。

この貧しさがどのようにしてはじまったのか、ラマさんに聞いてみると、ラマさんは嫌がらずに答えてくれた。

「オレらは土地を持つという考えがなかった。むしろ土地に人が属していた。少し前まで黒人はお金も使わず自給自足で、幸せに暮らしていた。ところが突然やってきた白人に、すごく安い値段で土地をとられ、街へおいやられてしまったんだ。ひどい話だろ。君はこの現実、どう思う?」

ふぅーっと長い息で煙を吐くラマさんにそう聞かれたが、私にはその時返す言葉が何一つ見つからなかった。

私も先進国の一員だからだ。

ラマさんは続けた。
「冬のために食料を蓄える、ということを知っていた北の住人は、お金を貯める必要のある都会でもちろん有利だよな。このことが貧富の差を生み、その差は今も拡大中だ。街の生活に馴染めない黒人は、『スラム街』を作ることになってしまって、そこを簡単には抜け出せずにいる」

怒りというより諦めの表情で、ラマさんは煙草を胸いっぱいに吸い込んで肺に溜めた。

満天の星がまたたく夜空に、ぷか~っと吐き出された煙草の煙。
ぽこん、ぽこん、ときれいな輪になったかと思うと、ふわふわと空気に交じり合って消えていく。

私はラマさんがそれを繰り返す様子を、飽きずに見上げていた。

現代では当たり前のこととされている「モノを所有すること」や、「モノを買うこと」に、疑問を感じながら。

実際には自分の体を含めて全てのモノをレンタルしているに過ぎないのに、自分のモノだと勘違いするから色々なことが複雑になって辛くなる。

自分のものだと言えるのは、はたしてあるのだろうか。

もしあるとすれば、心のずっと奥の方にある「こうやって生きたい」という本当の願いだけだろう。
 
サファリを出発する朝。

空にはまだ白い月が残っている。

ラマさんの運転するバンに乗って、砂埃をたてて草原を駆け抜けていく。

地平線の向こうから太陽が今にも昇ってきそうだ。

土の茶色と草の緑しかないようにみえる景色から、いつも誰よりも早くラマさんは遠くにいる動物を見つける。

「左前方を見てごらん。カバがこっちを見ているぞ。君ら、この大地を、俺の自慢の国を、目に焼き付けて帰れよ」

ラマさんが言うようにこの光景を忘れないようにと、バンの窓から祈るように遠くをみていた。

地平線の向こうに、最初はろうそくの光がふっと灯ったかのような、ほんの少しの太陽が顔を出した。

だんだんと光の面積が大きくなって膨らんでいき、瞬く間にサングラスをしていても直視できないほど眩しい輝きになっていった。

強い光が広い大地をまんべんなく照らしていく。

木々からは長く黒い影が伸びていて、その光と影の対照が絵画のように美しい。

「ラマさん、ケニアの朝は、最高だね。世界一!」
運転してくれている彼に話しかける。

「そうだろ。当たり前だ」
ラマさんはそう答えてから、黒い肌に映える白い歯を見せて、少年のようにニッと笑った。
 

船に戻り、船旅という青い日常が再び始まった。

ある朝デッキに出てひとり海を眺めていると、絵描きのたまこちゃんがやってきた。

「ハイジ、やっぱりここに居た」
気が合う人とは、自然によく会うものだ。

同じ空気でも出しているのだろうか。

ふたりほとんど何も話さず、「無」のような状態で海を見ていると、白い波に紛れて、波のようにポコポコと規則正しく出てきてはすぐに消える白っぽいものが複数見える。
なんだろう、と目を凝らすと、それはイルカの群れだった。

「イルカだよ」
たまこちゃんに教えてあげた。

「すごーい! かわいい~。野生のイルカって、あんなにたくさんの数で行動するんだね」

たまこちゃんは目をうるませて感動して驚いていた。

十五~ニ十匹ぐらいのイルカの群れは、だんだん船に近づいてくる。
この船と一緒に泳ぐことを明らかに楽しんでいる様子だ。

私と彼女の波長がいつもよく合うように、イルカたちともぴったり一致したにちがいない。
そういえば、この前は傷ついた海鳥の子と同じ密度の空間を共有したな。
 
たまこちゃんはいつでも絵描きセットを持ち歩いていて、これはと思うものがあったらどこでも描きはじめる。
今はイルカの姿を一生懸命とらえて紙にペンを走らせている。

心に響くものを見つけたとき、じっくり対象に向き合うことは、旅を自分なりに味わうのにぴったりだ。

だいたい旅とは到着することではなく旅をすること自体が目的なのだから。生きることの目的が、ただ生きるためであるという事と同じように。

彼女が描く絵は強く何かを訴えるものがあり、何が言いたいのか感じるためにずっと見ていたい気持ちになる。

それにしても遊びや好きなことをやる事は、命の大事な営みのひとつに違いない。
食欲や睡眠欲などの基本的な欲が満たされたら、今度は遊び欲が満たされたい!と叫んでいる。

大人だからといって強がってこの欲を無視しすぎないで、時にはたまこちゃんやイルカみたいに、心のまま堂々と主体的に好きなことをやりたい。
その時は何の為にとか役に立つのかなど、理屈を気にすることは全くない。

よく見てみると、中にひときわ小さい体の子どもイルカがいた。
大人たちと同じようにポコ、ポコと水面に出てきて、懸命に泳いでいる。
それを見て思わず声援を送った。

「がんばれ、赤ちゃんイルカ。私らがついてるよ!」
 
明日は、『星の王子様』に出てくる、あの上下さかさまになったような不思議なバオバブの木が辺り一面に生えている、マダガスカル島に到着する。

地球が逆さまなのか、自分が反対なのか、分からなくなるような光景があるらしい。

思い通りになっていない部分に注目して、不平不満を言うのはとても簡単。

だけど、物事を逆に考えてみたら、恩恵を受けている部分を改めてみつけたり、なにか新しいことが分かるかもしれない。


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