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本能的に旅人 第十七話

 

甘いサモア


南太平洋の国々は、ミクロネシア、メラネシア、ポリネシアに分けられる。今回のサモアはポリネシア地域にあり、他にはイースター島、タヒチ、ニュージーランドなどが含まれる。

サモアは日付変更線の西側に位置しているから、世界で日付が変わるのが最も早い国のひとつ。

面積は東京都を少し大きくしたくらいの小さな国だけど、住んでいる人のほとんどは大柄で、私の倍くらいありそう。

サモアの人は、男も女も巻きスカートを履いている人が多い。ズボンは暑いし比較的治安が良いからなのか、警官までスカートにサンダル姿だ。

 

首都アピアの市場にいくと、食べ物はのびのびとそこに陳列されていた。

日本のスーパーのようにぴっちりと規則正しく配置されているわけではない。

日本には「お客様に買っていただく」という表現があるが、なんとなくサモアのお店の人からは、「欲しいでしょ? うちの野菜」という堂々とした姿勢がある印象を受ける。

幼い子をベビーカーに乗せてあやしながら店番をしている若いママ。

お腹がすいたらレジの前で食事をしながらお客さんを待つおばあさん。

ビーチサンダルを売っていた女の子に、お店の商品と日本からずっと履いていた赤いサンダルを交換してもらった。彼女は造花をあしらったサンダルを手にして喜んでくれた。

平日の朝だというのに、誰も急いでない。時計を付けている人も見かけないし、遅刻を気にして走る人もいない。

みんなゆったりと朝食を取ったり、どっしりと椅子に座って話したりしている。人々はとにかくにこやかだ。

店が儲かろうが潰れようが関係ない、そんなことよりとにかく今日の日をできるだけ楽しもうよ、みんながそんなメッセージを発しているように思える。これこそが人としての本来の在り方ではないだろうか?

地球の恵みから切り離されてお金を集めるのに必死な日本の都会人は、はたして本当に豊かなのか?

 

市場から海岸に続く道路脇に、スコールよけの憩所があった。

屋根は木の皮などが器用に組まれて作られている。並べられたベンチに座るだけでも気持ちよさそう。

休憩所では体の大きなおばさん達が大きな声で笑いながら、お皿いっぱいに盛られたアイスを美味しそうにほおばっている。

その豪快な様子にほれぼれとして微笑んでいると、おばさんの一人が緑と真っ赤の二色アイスをこんもり盛って差し出してくれた。

「あんたも食べる?」

「わぁ、きれいな色。こんなに沢山いいんですか? ありがとうございます!」

食べ物の色ではないほどの鮮やかな色味。

一体何味なんだろう、と一口食べてみると、味は意外なことに両方ともバニラだった。

大きなおばさんたちは、箱に残ったアイスを段ボールの切れ端ですくって口に運んでいる。

“Always happy, Always!”

ガハハハと大きな口を開けて笑いながら、全部たいらげていく無敵なおばさんたち。その光景を見ていたら、こっちまでなんだか嬉しくなった。

そんなふうにしていることが許されるのなら、中高年になるのが少し楽しみにすらなってくる。

食べたいものを食べて死んでいく喜び。清々しいほど今という時を謳歌して生を全うしている。

あれは健康にいい、これはダメ、そんなことばかりを気にして生き続けるより、私は断然アイスおばさんたちに憧れる。

 

海岸沿いには、平たく大きな家が並んでいるが、中には壁のない家もあった。高温多湿な気候だけど、これならかなり風通しがよさそうだ。

地面に置かれた物干し竿に、カラフルな洗濯物が気持ちよさそうに揺れている。こんなに広い青空の下に洗濯物を干せるなんて、きっと気分がいいだろう。

浜辺まで来たので、温度や感触を確かめようと海の水に足を入れてみる。

まるでぬるめの温泉のようにあたたかい。

水はひかりを増し、空はすぅっと透き通り、時は足音をたてて消えていく。

今という時は目の前に現れてはすぐに終わり、一瞬の時を捕まえようと手を差し出してみても、桜の花びらみたいにはらはらこぼれ散っていくだけ。

毎瞬ゼロに戻って別の一秒が始まるけれど、たった今あった一瞬は見事にもう過ぎ去っている。

海水に足を浸して一粒一粒の瞬間を愉しんでいると、「魚つりにいく」と言う一人の少年に出会った。ペットボトルと太い糸で作られた竿、あとは「その辺にいる貝をつぶした」と言うエサを持っている。

今から魚がいる岩場に行くというので、ついていくことにした。

泥のようにぐにゃぐにゃの浜で、じっとしていると足がどんどん沈んでいく。

同じ場所でゆっくり足踏みをしていると、次第に足首まで埋まってしまうのが面白く、少年と何度もちゃぽちゃぽと同じことをして遊んでいた。

生きているだけでいつの間にか周りは私をきれいに汚していくけれど、その心の汚れのようなものが、少年とシンプルな遊びをしているとみるみるうちに落ちていくような気がしていた。

岩場に着いたものの、おもちゃみたいな道具で本当に釣れるのだろうか? もし釣れなかったらどうやって慰めようかと心配しながら、少年がエサのついた糸を投げるのを見守っていた。

 

「見て、釣れた!」

五秒もしないうちに少年が竿を引きあげると、なんと先っぽにフナのような魚がくっついているではないか。

「すごーい! 立派な魚が釣れたね」

にんまり誇らしげにしている子を見ていると、嬉しさがビリビリ伝染してくる。

ふと後ろを見ると、低めの木が植えられた広場にハンモックがかかっているのを見つけ、そっと乗った。

ゆるく風に身を任せていると、少年がさっきの魚をリリースしてからハンモックを揺らしにきてくれた。

木漏れ日から入ってくるちいさな光の子たちが肌に触れてくすぐったい。葉っぱと葉っぱの隙間から次々に飛び込んでくる光たちがいっぱい集まってきて私の上で遊んでいる。

少年がかわいくにこにこして言った。

「こっちに来てごらん。面白いところがあるよ」

私がハンモックから降りる時、少年は小さな手のひらを上に向けて差し出して、手伝ってくれようとした。

外国の男子には当たり前のように身についているこの紳士な態度は、いつからどのように育つのだろう?

それはやはり紳士的な大人たちを見て学ぶのだろう。そういう意味では、日本の男子たちは一度くらいみな海外に修行に行くべきだ。

 

ハンモックを降りてついていくと、低木が集まっているところにおとぎの国への入り口のような穴があった。

少年は大事な竿が引っ掛からないように器用に調整しながら、かがんでその穴に入っていく。

私も背中を丸めて穴に入ると、あれ? こちら側にも海がある。いや、そうではない。道が半円を描くようにぐねりと曲がっていてさっきの海へと続いている。生垣で区切られた、不思議な空間。

紫色のベレー帽をかぶったいかにも絵描きっぽいおじいさんが、キャンバスに向かって細かく筆を動かしている。本当に絵にしたいくらい美しい海を見ながら。

おじいさんから少しだけ離れたベンチには、大柄な男性ふたりが寄り添って座っていて、えらく仲睦まじげだ。片方の男性がもうひとりの男性を見つめながら、手の甲までびっしり生えている腕毛を優しく撫でている。

目の前に広がる海は偽物のようにとても穏やかで、波がザザーッと引くと鮮やかな赤色をした小さいカニが三匹ポコポコポコと出てきて、同じ方向に横歩きをしていく。

そして竿を持った少年と、緑色のワンピースを着て真っ黒に日焼けしている東洋人の私が一緒に、海から吹いてくる南国の風を全身に浴びて立っている。

全く別のところから来てたまたまこの空間に集っているのだが、全てが調和を持って優しい光に包まれている。

半目をつぶって潮の心地よい香りをかいでいると、なにやら気配を感じたので目を開けてみて驚いた。ベンチに座っていた男性二人が突然、熱いキスを交わし始めたのだ。

少年は照れながら「これは見ちゃだめなやつ」と私の耳元で内緒話のようにささやき、竿を持った片方の腕で自分の目を隠し、もう片方の手で私を出口へ引いている。

私も「確かにこれは見ちゃだめなやつ」と思い素直に少年に連れられて、さっき入ってきた穴からくぐり出て、不思議な空間を後にした。

 

旅というのはいつでも、入ったところから出ることになっている。


なんだか誰かの夢にふと入り込んでしまったかのような、素敵なサモアだった。


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