本能的に旅人 第十話
本能ダンス
この先は、アフリカ大陸からアメリカ大陸に向かって大西洋を横断していく。
甲板に出てひたすら青ばかりの世界を見つめていると、光る何かが海の表面を高速で飛行している。
「トビウオだ!」
誰かが叫んで、その正体がトビウオなのだと知った。
一匹のトビウオがぴょんと海から出てきて、三十メートルくらい羽をパタパタさせて飛んでからまた水に潜っていく。
トビウオたちがうろこを反射させながら飛んでいる様子を飽きずにずっと見ていた。
船には、様々なことを得意とするパッセンジャーが乗っている。
DJマヒロもそのひとりだ。彼はDJの機材を持ち込んでいて、彼のペースで時折DJナイトを開催していた。
マヒロは船内でも寄港地でも首に大きなヘッドフォンを下げて、黒いキャップ帽を深くかぶっている。
私は船内にいる人達のムードを陰で支配しているのは、すばらしい選曲で人を盛り上げていくのがとてもうまい彼なのではないかと思っている。
今からデッキで待ちに待ったDJナイト! 今夜は喜んで、思い切り彼のペースに巻き込まれよう。
こういったイベントは好きな時に誰でも開催することができる。
船内新聞という情報誌で全てのイベントのお知らせがなされるので、気が向いたものどれでも参加可能だ。
他にも、ギターを練習しよう会や、地理クイズ大会、語り場、バスケット練習会、ダンス部など様々な催しがある。
今夜のDJナイト開始まであと三十分もあるが、私のようにすでに待ちきれない人たちがデッキに集まっている。
マヒロは大きなDJセットを机に並べて準備をしている。スイッチを入れたり、大きなヘッドフォンの片方をずらして曲の変わり目を調節している。
海に浮かぶこの船の上で、今夜はどんなグルーヴになるのかとても楽しみ。
始まるまでの間、海の音によく合うダウンビートをかけてくれた。
私はゆったりとした気分で、波の揺れと低音のリズムがいつのまにか歪んでいた心と体を正しい位置に戻してくれるのを、ゆらゆらと楽しみながら感じていた。
見上げると、空にはまんまるの月。
まるで、生きることに対して空から出されたOKサインのよう。
時間になったようで、いつの間にかたくさんの人が集まっている。
マヒロはトランス音楽からはじめた。
ドン、ドン、ドドドド……。
途端、デッキ会場は一気に大興奮の渦。
低い音が海の底から響いて突き上げてくる。
空に吸い込まれていく透明の音の余韻が金色の粉になりぱらぱらと降ってきたかと思うと、美しくきらめいて消えていく。
むずがゆさを解消したいような衝動で、ほとんど自分の意図とは関係なくリズムに揺れる体。
私のでなければ、誰の意識? 海の妖精か、それとも、音楽の意思?
音に共鳴して肉体が踊りたいと叫んでいる。
「本能ダンス」と名付けられたこのイベントで、私たちは今ここに生きているという事を歓んで、この夜に捧げるように踊り明かす。
その間にも真っ暗な夜を抜けて、船は大音響で南米へ向かって大西洋を突き進む。
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