【映画】『泣きたい私は猫をかぶる』 映画批評(※ネタバレあり) 5/10点
さいしょに
こんにちは
今回ご紹介する映画は『泣きたい私は猫をかぶる』です。
Netflix独占配信の長編アニメーション映画になります。
私がこの映画を見ようと思ったきっかけは
Youtubeで広告が流れてきて、猫がめちゃくちゃ可愛いかったから
ケモナーとしてはぜひ視聴しなければ(๑• ̀д•́ )✧
ということで、まずは軽い映画の情報から
映画情報
監督は『佐藤順一』監督。私はお名前を存じあげなかったですが、劇場版の「ケロロ軍曹」などの制作を過去に手掛けていたようです。
脚本は『岡田麿里』さん。代表作は『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』
主人公「ムゲ」の声優を務めるのは「借りぐらしのアリエッティ」でアリエッティ役を務めた『志田未来』さん。
主人公の想い人である「ヒノデ」を演じるのは「花江夏樹」さんです。
あまり声優を意識してアニメを視聴することは無いのですが、
物語のキーとなる、主人公に猫のお面を渡したお面屋さんの猫(以下「デブ猫」)は「山寺宏一」さんが担当しています。
ポケモンっ子としてはどうしても山寺宏一さんの声はわかってしまう(笑)
配給:東宝→コロナで公開未定→Netflixで独占配信
制作:スタジオコロリド
スタジオコロリドは以前パズドラのCMを手掛けていた制作会社さん。
YouTubeでCMの動画を改めて見てみたら0:31~から白猫が!!
さてはスタジオコロリドは猫が好きなんだにゃぁ(ΦωΦ)♢キラーン
【批評】映画を順を追って
①導入
映画の導入は、主人公のお母さんが主人公に今の家庭の状況を(執拗に)聞くシーンからスタート。
どうやら両親は別居していて、主人公はお父さんと一緒に住んでいて、家には別の女性もいるらしい...
夫の浮気なのか、妻の不祥事なのかわかりませんが
”子供に親の問題を押し付けるなよ”と同情したくなります。
そんな状況に主人公「笹木美代」(通称:「ムゲ」)は
「こんな世界は嫌いだ」とつぶやいてしまう。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
陰鬱な気分で灯篭道を歩いていると、猫のお面を売っている怪しい太った猫に遭遇。
自分の中で速攻でこの猫のあだ名は「デブ猫」に決定。
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②学校生活。「ムゲ」と「ヒナタ」の関係
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
タイトルを挟みシーンは一転。主人公の登校シーンになります。
主人公は中学2年生という設定。
ちなみに主人公のあだ名が「ムゲ」なのは「無限大謎人間」の略、ここから「ムゲ」の奇行の数々がお披露目されていくわけです。
少し余談ですが”中学2年生”って扱いが非常に難しい年齢ですよね、
考え方や物の見方は新鮮。学校生活にも慣れて一番青春を謳歌できる年齢である一方、思春期で気持ちのアップダウンが激しかったり、感受性か高いせいで必要以上に傷つくことがあったり...
「自由」「希望」「未来」というのがある一方で、心身はまだ成長途中で不安定。
いかにそれを上手く描写できるかどうかが見どころになります。
作品の中でも、中学2年生という時期の心理描写が随所に使われていたと感じました。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
ここで登場するのが、主人公の想い人「ヒナタ」。
「ムゲ」がちょっかいを出すものの、軽くあしらわれてしまいます。
ここからしばらく、「ムゲ」の「ヒナタ」へのちょっかいが続くのですが、
完っっっ全に空回り。
この辺は男子が女子の気を惹くために(痛い)アタックをしている描写ではなく、女子→男子なのでまだ見てられる...かも?
ちょっとプッシュしすぎて主人公に感情移入は難しいです(苦笑)
どうして、こんなに「ムゲ」は「ヒナタ」のことが好きなんだろ...
ムゲ「いまの(ヒナタの言った)「待・て・な・い」なんかセクシーくなかったぁ~?」
(本編のセリフより引用)
「声」が好きなのかな??
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...と思って見てると。急にこんなシーンがっっ!
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
おいおいおいおい(; ・`д・´)
もぉ2人はできちゃってるんかい!!
まぁ後になったらわかるんですが、これは主人公の妄想補正が入った映像。
初見時はめっちゃびっくりしました。
いわゆる、学校では恥ずかしくてお互い付き合ってることを隠しているカップルなのかなぁと、勝手に想像してしまいました。
ここで、悲しいお知らせ。
映画全編の中で個人的にこのシーンが一番ドキドキ♡しました。
この後1時間30分はこれ以上のドキドキは訪れません。
ただ、初見ではそんなこと知らないので....そんなに味わうことはできず話は進んでいきます。
ちなみにもう一回このシーンは出てくるので覚えておきましょう。
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③猫に変身した「ムゲ」と私生活の「ヒナタ」
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
開始10分くらいで、話のキーとなる猫のお面が登場。
すごいあっさりと「ムゲ」が猫になるので、猫になるまでの心理的な過程や、複雑なミステリー要素はない模様。
掴みとしてはアリかなぁと思います。
いったん「猫⇔人間」という摩訶不思議な現象を置いといて、
主人公が猫になって「ヒナタ」と親密な関係性を築く
というステップに視聴者も集中できるので、そのあたりはスッと話が入ってくる仕組みとして良いと思いました。
反作用として、話が薄くなっていないか?というのは感じました。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
どうやら「ムゲ」は猫に変身した姿で「ヒナタ」に会いに行っていたようです。
いや~私は男ですが、そりゃ学校で冷静クールを装ってた男子が、家に帰って野良猫と遊ぶのにメロメロって...ギャップ萌えしちゃいますよね。
ただ、それ故に若干「ムゲ」が「ヒナタ」に想いを寄せている動機が弱いように感じてしまいます。
別に主人公と強い繋がりや、幼馴染補正などがあるわけでなく、
偶然猫の姿でヒナタに出会って、私生活覗き見るようになったら好きになっちゃいました。
っていうのはちょっと話としてはどうなんですかね?
これ、男子が猫なら変態猫の汚名を付けられる案件ですよ(笑)
一方で、中学生が異性に感じる自然なときめきってそうゆうので良いという感じもします。
ある意味、見終わってから”弱いな”って感じただけで、作中では違和感なく見れたので、中学生の初心な恋としては正しい描写なのかもしれません。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
ちなみに「ヒナタ」の家には陶芸の工房があるらしく、ヒナタも陶芸の道に興味があるようです。
そうして話が進むうちに「ムゲ」は「ヒナタ」の学校以外の側面をどんどん知るようになります。
そして「ヒナタ」も猫である「ムゲ」を相談相手に、いろいろなことを話すようになっていきます。
そんな過程を通じて、「ムゲ」の「ヒナタに好きと伝えたい」という想いはより一層強くなっていきます。
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④スカイダイビング!!
ある日、『ムゲ』は昼休みに渡り廊下の屋上(多分3階)を歩いていると、中庭で昼食を食べながら「ヒナタ」と「ムゲ」のことを馬鹿にしている男子2人を見つけてしまします。
「ヒナタ」を馬鹿にされたことに怒った「ムゲ」は、自身のいる場所から(3階から)
「ヒノデに対する今の言葉。取り消してもらおう!!!!」
と戦国時代の名乗りのような宣言をしたのち、
スカイダイビングを決行します。
ちなみに、右手に持っている弁当も一緒にフォール!!
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
中庭に生えている木をクッションにして「ムゲ」は脚を負傷しつつも地上に着地。
一方で右手に持っていた弁当はおじゃん。
ちょっとここのシーンは理解に苦しみました。
「ムゲ」の行動が破天荒すぎてついていけません。
クラスメイトから「無限大謎人間」と言わしめるだけあります。
というか、ここらへんで完全に「ヒナタ」の方に同情してしまいます。
常にちょっかい出される上に、昼休みに全校生徒に響き渡るように自分の名前出されて...
正直自分が「ヒナタ」の立場なら「ムゲ」は嫌いになると思います。
もしかしたら、お面を使って猫化することの代償として”使うたびに知能も猫レベル下がっていく”みたいな裏設定があったりするのでしょうか。
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(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
自分なら正直「ムゲ」を好きになれないですが
しかし、そこはイケメン「ヒナタ」君。
スカイダイビングを決行した瞬間に中庭に一目散に駆け付け、「ムゲ」を保健室に連れていきます。(逆にほかの女子が惚れそう)
しかも、ダメになった「ムゲ」の弁当の代わりに自分の弁当をあげる聖人君主「ヒナタ」。
なんて言ったらいいんでしょう...ここら辺から、勤勉で賢い「ヒナタ」と馬鹿で破天荒な「ムゲ」があまりにも釣り合わなく感じてしまいます。
関係性が存在していたとしても、「ヒナタ」は恋愛感情というより、面倒をみたあげたいという感情を持っているように感じます。
ある意味、人間とペットの猫みたいな関係性を感じます。
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⑤「ムゲ」の告白
お弁当を分けてもらったことがきっかけで「ムゲ」は「ヒナタ」に言葉にして自分が好きであるということを伝えようと決心します。
家で自分の想いを手紙をしたため、朝登校一番に「ヒナタ」に手紙を渡すことを決行します。
しかし、手紙を渡そうとしたところをクラスの男子に横取りされ、クラスの前で発表するという茶々を入れられます。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
一悶着の後、とうとう「ヒナタ」が手紙を奪いに向かいます。
手紙を奪った「ヒナタ」は、迷惑だ、恥ずかしいんだよ!と言い
「ムゲ」に対して「大嫌いだ」と言い放ちます。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
「ムゲ」の決死の告白は玉砕に終わったわけです。
この批評を書く前に、いくつかこの映画のレビューを見ましたが、
このシーンを問題のシーンとして挙げている人は多かった。
見ている時に自分が疑問に感じたのは
・なぜ「ムゲ」はラブレターを朝、みんながいる前で渡したのか?
・ラブレターを朗読している男子を「ヒナタ」や周りの生徒はなぜ(ガチで)止めないのか?
見終わってから考えてみると
・「ムゲ」の後先考えない性格の結果。
・そもそも「ヒナタ」は「ムゲ」の行動をまともに取り合っていない。or単純に描写が上手くなかった?
という説明になるのかなと思います。
なんとなく感じたのは、「ムゲ」の周りの人は「ムゲ」の行動を
”大した意味を持っていない、その場限りの奇行であると思っている”
ということ。
実際に「ムゲ」も思慮深くないですよね。
このシーンを通じて感じたのは2つで
①普段から「ムゲ」が奇行をしすぎて、このラブレターを渡すというのも軽い行動に感じてしまう。
3階から急に飛び降りをするぐらいですから、”視聴者”として手紙を書くまでの過程を知っていても、一過性の思い付きのように思ってしまう部分が拭えません。
②「ムゲ」が幼稚すぎて、やはり「ヒナタ」が恋愛対象としてみるのは無理があるなぁと感じてしまう。
視聴者ですら、奇行についていけないのに、過程を知らない周りの生徒は今回のラブレターも軽い思い付きの行動と考えますよね。
朝みんなの前で渡すっていうのがそれを助長してると思います。
ほんとに本気なら、2人きりになれたタイミングで渡せばいいのに...。
「早く会って渡したい!」って思いと、そもそもの「ムゲ」の後先考えない性格が引き起こした結果なんでしょうが...
とにかく、「ムゲ」が「ヒナタ」に愛の告白を断られたときに、
私が感じたのは
「うわっマジか....ショック(´;ω;`)」
という感情ではなく
「うん。そりゃそうだろ。」って感情なんですよね。
私と「ムゲ」の共感のリンクが切れた瞬間でした。
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⑥ムゲ、人間やめるってよ
ラブレター事件の後、同居している「カオル」さんの些細な言動で腹を立て「ムゲ」は家を飛び出してしまいます。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
ここは、告白が断られて心がいっぱいいっぱいのところに、別の問題が来て処理できなくなり、感情が爆発してしまった。と納得がいきます。
(もう「ムゲ」と私との共感のリンクがないので、納得できるか、できないかという区別で進めます。)
ちょっとここで気づいてしまうのは、「感情・表情の描写」がイマイチであるということ。
声も残念ながら迫真さに欠けると思いました。
この後重要なシーンを控えているので、ここで主人公が現実逃避に走るインパクトを十分に視聴者に与えられなかったのは、マイナスポイントだったと思います。
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そしてついに、「ムゲ」は
ムゲ「いいや...」
デブ猫「いいや...とは?」
ムゲ「美代はもういいや」(美代=ムゲ)
(本編セリフより引用)
と言ってしまい。
ついに人間の「笹木美代」のお面が外れてしまいます。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
ムゲ「それは?」
デブ猫「人間の顔さぁ」
デブ猫「本当に人間を辞めたいって思ったら外れる。もうずっと猫だ」
ムゲ「えっ...人間に戻れないの?」
デブ猫「このお面つけたら戻れるよ~。完全に猫になってしまう前ならね」
デブ猫「中身も完全に猫になるにはもう少し時間がかかるけど、その時になったらいいところに連れてってあげるよぉ~お祝いにねぇ..」
ムゲ「待って!やっぱりまだっ」
(本編セリフより引用)
個人的にこの映画の一番ネックなポイントはここだと思います。
”人間のお面が外れるのが簡単すぎる”と感じてしまうんですよね。
いくつかそう思うポイントがあって。
1つはセリフの「待って!やっぱりまだっ」というところ。
このセリフがすぐに出てくるあたりでまだ人間の姿に未練があるように感じられます。
「デブ猫に騙されたっ!」って表現のために入れているセリフのようにも感じますが、デブ猫って「ムゲ」が人間をやめる動機付けにそんなに干渉してないんですよね。
2つ目は、本当に「ムゲ」はネコになることに憧れて、人間を辞めたいと思ったのか?というところです。
描写的には「人間じゃ「ヒナタ」に好かれない、猫なら好かれる」という表現にしたかったんだと思いますす。
しかし、”猫”の姿で「ヒナタ」の隠れた部分を知って、”人間”の姿でアプローチしたい!っていう「ムゲ」の想いや行動はぶれてなかったと思うんですよね。
あとは、家庭の問題ですが、前述したようにそこまでインパクトが無く、本当に人間を辞めたいと思うほどの動機付けになったのか疑問です。
個人的な解釈としては、
・デブ猫の人間のお面をはぎ取る手腕が凄い。
・人間のお面が外れる条件は緩い(一瞬でも人間やめたいと思えばいい)。
・中学2年生にとってこの出来事は”本気で”人間やめたいと思うのに十分な出来事だった。
という解釈です。
まぁでも、④スカイダイビング!!で書いた、「ムゲ」と「ヒナタ」の関係を表した「人間とペットの猫みたいな関係性」という観点で見れば、猫の姿の「ムゲ」と「ヒナタ」は収まりがいい感じがしますね。
もしそうなら、このあと「ムゲ」は人間に戻るために「ヒナタ」に釣り合うくらいの成長が必要になりますね。
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⑦ムゲ行方不明
「ムゲ」が猫の姿になってしまったため。(以下:「猫ムゲ」)
実質行方不明状態になってしまいました。
そのため、親友の「深瀬」や
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
「ヒナタ」が
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
「ムゲ」を捜索に向かいます。
ちなみに「猫ムゲ」は「ヒナタ」にくっついていきます。
「猫ムゲ」はその姿を見て周りの人にとって自分が思った以上に大切な存在であることに気が付き、人間に戻りたいと思うようになります。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
そして「ヒナタ」は
ヒナタ「俺、あいつのこと何も知らないんだ。いつもどこで遊んでるとか、何が好きとか...悩みとか...どんな苦労してきたかとか」
「あいつ、俺の前ではいつも頑張って笑ってたんだ」
(本編よりセリフ引用)
と考え込みます。
考え込みます....
ん?
んんん???
いや、だって付きまとわれてるだけの興味のない女子のこと知らないの当たり前じゃない??
むしろ、それだけ知らない・今まで知ろうと思わなかったってことはやっぱ「ムゲ」に興味ないじゃん。
感動系の音楽と、しんみりボイスで「あいつのこと全然知らなかった」と言われても、こちとらそもそも「ヒナタ」が「ムゲ」のこと好きだとは思ってないよ!?
この時点で「ヒナタ」が「ムゲ」に好意を抱いていることが確定してるっぽいんですよね...ちょっと「ヒナタ」の心情変化についていけません。
実はこの話の少し前、「ムゲ」の人間のお面が取れる前に、「ヒナタ」が「ムゲ」のことが好きかもしれない。と気づきがあるシーンはあるのですが、どちらにせよ何故「ヒナタ」が「ムゲ」を好きになったのか?理解できません。
接する回数が多い人に好意を抱く”単純接触効果”で好きになったとか、容姿が可愛いからっていう理由なら設定としては弱いので、なにかターニングポイントがあったとは思うのですが、ちょっと掴めませんでした。
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⑧「ムゲ」の人間のお面を被った「偽ムゲ」
シーンは変わり中学校の登校の場面になります。
するとそこには....
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
なんと!「ムゲ」の姿がっ!
初視聴時は一瞬焦りましたが、
なるほど...外れた「ムゲ」のお面を被った、「何者か」が登場したわけです。
しかし、外見は「ムゲ」でも中身は別です。
周りも行方不明前と目の前にいる「ムゲ」の雰囲気の違いに違和感を覚えます。
(本編の切り抜きを引用© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
実は「偽ムゲ」の正体は同居していた「カオル」さんの飼い猫の”きなこ”だったのです。
なにぃぃ!きなこが「ムゲ」の立場を乗っとたぁぁぁ!!?
と驚くと同時に、周りの人たちは行方不明前の「ムゲ」と”少し変わったね”程度にしか思わないって...
どんだけ、普段の「ムゲ」の行動って人間離れしてたんでしょうか?
こうゆうところからも、学校では「ムゲ」が尋常ではない女の子だったということがうかがえます。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
自分のお面を被り「ムゲ」の姿で学校に行っているきなこに「猫ムゲ」も気がつき直接話を聞きます。
きなこの目的は人間の姿になって、自分を幸せにしてくれた「カオル」さんに恩返しをすること。
なるほど、それで身近にいて、なおかつ「カオル」さんの今の悩みの種である「ムゲ」になり替わったのですね。名案です。きなこは「ムゲ」より賢いのでは?
そして、お面屋のデブ猫と「ムゲ」の寿命を折半して貰うという契約の話も聞かされます。
お面屋さんのお面交換による見返りが「寿命」であったことが初めて明かされるわけです。
話とは関係ないけど、中身がきなこの「ムゲ」の方が可愛い。
このままエンディング迎えてもでもいいんじゃないか...と視聴中に思っちゃったり...。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
そんな中「猫ムゲ」はお面屋を追って猫島(猫の世界)へ足を踏み入れます。
もうここまで来たら、
『まずは、きなこを説得して、とりあえず「ムゲ」のお面返して貰うのが先決じゃない?』ってツッコミは野暮です。
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⑨きなこの告白。そして「ヒノデ」も猫の世界へ
「ムゲ」の姿になったきなこは、家で「カオル」さんが愛猫のきなこが居なくなって悲しんでいる姿を目撃します。
「カオル」さんにとって”きなこ”はかけがえのない存在であって、何ものにも代えられない大切なパートナーだったのです。
そして「ムゲ」も同様にこの家にとって必要な存在であると理解します。
それに気が付いたきなこは、「ムゲ」のお面を本人に返そうと決心します。
「ムゲ」を取り返すために「ヒノデ」に会いに行きます。
ここで「ヒノデ」が必要な理由がよく分からないですが、「ムゲ」の行動より幾分か論理的なので、スッと受け入れられます。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
偽ムゲ「やっぱりヒノデは気づいてたんだね」
ヒノデ「何にだよ」
偽ムゲ「私が本物じゃないってことにだよ」
(本編のセリフより引用)
きなこさん。猫の姿の時にはヒノデには会ってないはずなのに、
「ムゲ」の入れ替わりに感づいている「ヒノデ」を見抜くとは...
慧眼恐れ入りました。
「ムゲ」より女子中学生やってるんで、そのまま「ムゲ」やってもらっていいでしょうか?「ムゲ」には”きなこ”になるように私から言っときますので
....ってマジで言いたくなるよ!
言葉選びも行動も「きなこinムゲ」の方がよっぽど知的で可愛いよ。
猫や人にお面を使って変身できると「ヒノデ」に告白したきなこは、「ムゲ」を助けるために協力を仰ぎます。
偽ムゲ「誰かから愛される自分がイメージできないんだよ。あの子は。親からも」
「だから今、助けられるのはあんただけだと思うよ。頼むよ。」
(本編からセリフ引用)
「ヒノデ」を説得するきなこの姿は「ムゲ」の一回りも二回りも”人間"として出来ているなと感じました。
そして2人はお面屋を追っていった「ムゲ」を探し出すために猫島へ向かいます。
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⑩猫島到着。「ヒナタ」との再会
お面屋のデブ猫を追って猫島に入った「猫ムゲ」。
そこには屋台の立ち並ぶ猫達だけが暮らす世界が広がっていました。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
「猫ムゲ」は「お面屋さん知りませんか?」と尋ねて回りますが、一向に手掛かりは見つかりません。
とある角に差し掛かった時、太った黒猫に「お前半分人間だな」と呼び止められます。
そして、その黒猫についていくと、そこには元人間たちの集まる居酒屋がありました。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
そこにいたのは人間の世界で嫌なことがあり、猫の世界に逃げてきた猫達のようです。
そして、そこで「人間に戻りたい気持ちがあるなら早いうちに戻った方がいい」と忠告を受けます。
一方、「ヒナタ」ときなこも猫島に到着し、「猫ムゲ」を探します。
「ヒナタ」は人間なので、途中でお面屋のお店から猫のお面を奪取します。
「ヒナタ」が適当な猫のお面を被ると、なぜか手だけ猫化してしまいました。
猫になりたいと思ってないと効果が一部にしか現れないのでしょうか?
そうしていると、どこからともなくデブ猫が現れお面屋のお店に閉じ込められてしまいました。
2人を閉じ込めたデブ猫は次に「猫ムゲ」のいる居酒屋に姿を表します。
そして、「猫ムゲ」に2人を閉じ込めた話をし、猫化を完成させる最後の儀式を行おうとします。
ここまで来て思うのは、デブ猫が会うたびに、自分に不利なネタでも懇切丁寧に説明をしてくれてとても親切な猫だなぁということです。
自分なら計画の邪魔になりそうな事はわざわざ相手に伝えないですが、このデブ猫は人間世界でいう保険屋さんで、重要事項をしっかり説明するタイプなんでしょう。
2人が閉じ込められていると知った「ムゲ」は居酒屋の猫たちの力を借りて、「ヒナタ」と再会を果たします。
そして、「偽ムゲ」のきなこからは、「ムゲ」の人間のお面を返して貰います。
これで、やっと「ムゲ」は人間に戻ることができた...
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
と思ったら。
なぜか人間の姿に戻れません。
ここがこの映画最大の謎です。
すでに「ムゲ」は人間に戻りたいという意志は十分にあると思いますし、何故変身できなかったのでしょうか?
皆さんの考察お待ちしてます。
個人的な考察としては、”猫を被る”方が”人として素直に振る舞う”より気楽という比喩なのかなぁと考えています。
この時点の「ムゲ」では、少なくともまだお父さんやお母さん、「カオル」さんには上辺だけの(猫をかぶった)対応をしてたかもしれないですね。
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⑪クライマックス
人間に戻れなかった「猫ムゲ」をデブ猫がすかさずさらっていきます。
目指すは、「猫ムゲ」を完全に猫化させ、寿命を吸い取る儀式をする場所。
途中、「ヒナタ」が「猫ムゲ」を捕まえ逃げようとしましたが結局デブ猫に捕らえられ、儀式の場所まで連れていかれます。
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
ここで、【②学校生活。「ムゲ」と「ヒナタ」の関係】ででてきたイチャイチャシーンの回想が入ります。
最初の「ムゲ」の回想と違うのは「ヒナタ」目線で回想が行われていたという点。
この回想を通じてお互いの気持ちが合わさり、2人は改めて人間に戻りたいと強く思います。
しかし、そう思う2人の想いとは反対に儀式は進行し「ムゲ」はデブ猫に寿命を取られてしまいます。
それを見た「ヒノデ」は最後の力を振り絞りデブ猫に戦いを挑みます。
その戦いの最中、「ムゲ」は「みんなの想いにちゃんと答えたい!!」「やっぱり元の世界に戻りたい!」と強く願います。
(「ヒノデ」の戦ってる姿を見て??トリガーはわからない...)
戦いは「ヒノデ」&「ムゲ」が一時ピンチに陥りますが
(映画本編より切り抜き© 2020 「泣きたい私は猫をかぶる」)
猫島の居酒屋で会った元人間の猫達の力を借りて、無事デブ猫を撃退!
奪われた寿命を「ムゲ」に戻します。
その後、猫に戻ったきなこと「ヒノデ」と「ムゲ」で猫島を脱出します。
無事元の人間の世界に戻ってきた世界はお互いに、猫のお面を外し人間の姿に戻ります。
そしてお互いに「好きだ!」と伝えてエンディングです。
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総評
本作は慣用句の「猫をかぶる」を「猫のお面をつけて猫に変身する」という動作に置き換えて表現した作品になっている。
ただ、「猫をかぶる」というのは人間関係が不自由な人が最初からやるのではなく、ある程度人間関係の成熟した人がする行為だと自分は思う。
本作の主人公はまだ中学2年生。しかもコミュニケーションに難ありの性格。
そのため作品が訴えたい「猫をかぶる」ということが伝わったか?
というと微妙で、
どちらかというと、思春期特有の気持ちのアップダウンによる友人関係や家族関係構築の難しさや、
アイデンティティが確立できていないことによる不安定感という表現の方が当てはまると個人的には感じてしまった。
作中でも、中学2年生の初心な心理状態を使いたいという印象を受けた部分があった一方で、それが、猫をかぶせたいのか、思春期ということの不安定感を演出したいのか、やや混同してしまっている印象を受けた。
【評価】
(悪い)1<(普通)5<(最高)10
[絵]6/10 アップの絵はきれいだと感じた、ルーズ(引き)の絵の描写がイマイチ。
[音・声]6/10 声優に違和感を覚えるところがややあった。
[ストーリー]5/10 きれいに展開しきれいに回収している。登場人物に共感できないため、動画を見ているという感覚になった。
[総合]5/10 中高生に見てもらいたい作品。大衆受けは難しいと思う。
(編集後記)
ご覧いただきありがとうござます。
まさか、1万字超えるとは思ってなかった(;'∀')
実はまだ、「なぜデブ猫は中学生の主人公を狙ったのか?」とか書きたいことがあったのですが、広げすぎて収集つかなくなりそうなので省きました。
辛口評価になってしまいましたが、やっぱり長編アニメーションっていいですね!決められた短い時間で表現するのでどのシーンをとっても製作者が伝えたいポイントがちりばめられています。
正直この作品は2回(+飛ばし飛ばし1回)しか見てないので、作者の意図を全部拾えてはいないと思います。
金曜ロードショーとかで放送があった際に、皆さんの考察の参考の1つになれたら嬉しく思います。
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