見出し画像

英語を話すということ

テスト勉強したくなくてぼーっとしてたら、たくさん書いていました。

英語が話せないと、頭が悪いのか

留学先の感じ

今はフランスの公立大学の英語プログラムに交換留学をしているが、このプログラムは世界各国から留学生が集まってくるプログラムで、フランス人はいない。学生の出身国で人数が多いのは、アメリカ・スウェーデン・韓国・台湾あたりで、ヨーロッパ諸国から数人ずつとラテンアメリカやカナダからも数人ずつ来ているという感じ。

人数比で言えば英語が母国語でない人の方が圧倒的に多いのだが、なぜかスウェーデン人は英語がネイティブ並みにペラペラで、ドイツ人もなぜかペラペラで、アメリカ人は世界に英語しかないと思っているので、英語ができないとかなり辛い。

授業も全部英語で、先生たちも英語ネイティブが多く、ネイティブ基準でリーディング課題を出してくる。自分は一応帰国子女なのでギリギリついて行けていない(え?)(本当はギリついて行けてるかも、)くらいだけど、やっぱりアジア系は基本ちょっと授業から置いてかれてるような印象を受ける。

日本の大学で

日本の大学も同じような感じだった。授業は基本英語の学部で、ネイティブやら帰国子女やらインター上がりやら英語自慢の人で溢れているような場所だった。英語ができない人のことを「あの子英語全然話せなくてほんと困る」みたいなことを平気で言うような人間が集まっている。正直私もそう思う(あれ?)。

というか、英語話せないなりに頑張っている人のことはあまり悪く言いたくないんだけど、大学生にもなると処世術が上回ってしまって英語力を伸ばして足りない部分を補うっていうのが難しいのかなと思っていて、よくある協力プレイみたいなので乗り切ろうとするアホに結構最初の頃は話しかけられたりした。基本私はちょっと話したことがある子とかにはノートとか自分から見せたりするし協力プレイしたい派ではあるんだけど、なんか英語ができなくてバカにされているような人たちって、「私英語できないから・・」とか言って英語できる人に色々任せたりしてるんだよね。ちょっと偏見かもしれないけど。

ネイティブから向けられる目線

こんな大きなことを言っておいてあれなんだけど、私の英語はネイティブレベルでは全くないので、クラスのほとんどがネイティブで大量にリーディングしてディスカッションするみたいな授業だとめちゃくちゃ置いていかれる。

社会系の文章とかを読むのはだいぶ上手くなったと思うんだけど、春学期にとった文学の授業はもうとにかく地獄だった。まず読み終わらないし(なぜなら日本近代文学の授業で隔週で1冊読まなければならなかった!あとバイト)、文学作品を英語で読むって結構難しい。この授業の課題図書は2冊とも登場人物がとにかく多くて誰が誰だか分からないし、さすが大学の授業なのでsymbolismとかなんか色々拾っていかないとディスカッションに参加できない。

一度こういう状況に陥ってしまうともうなかなか全体に追いつくことはできなくて、単位を取るためだけに苦しい思いをしながら授業を受け、SparkNoteを駆使してゴミプレゼンをして、毎回先生とクラスメートからの冷ややかな視線を感じながら席に戻るみたいな感じになってしまう。誰も聞かないし、誰も質問をしない、みたいな。(ちなみに成績はA+だった。ちょっとよく分からないけどプレゼンは一度も逃げずにやったし、最終レポートも提出したし、一回しか欠席してないからかも。)

この授業を取っていたネイティブスピーカーのクラスメートたちは大体みんな半期留学で日本に来ていて、日本語もほとんど話せなかったしあまり学ぶ姿勢もなかったように思う(そんな中でどうやって午後の紅茶ミルクティーを買っていたのかはまじでわからない。それも確か普通のとちょっと違うミルクティーだった)。

留学先でも、私は第二言語を使って話してるのになんで母国語話してるお前らは自分達と同じレベルの英語力を求めてるんだよ、と思うことが多々ある。母国語じゃないんだから考えながら話しちゃうこともあるし、言葉がうまく出てこなくてつっかえながら話すこともあるのに、もたもた話してると結構な確率で遮られてしまう。私たちが理解できていないと思い込んでいるみたい。そういう時は苦笑いをしながら、アメリカという田舎の大したことない大学から来ている世間知らずなモノリンガルが何か言ってるよ、と思うことにしてる。これはマックバイトでうざいおじさん客がゴニョゴニョ言ってるときにもよく使っていた。自尊心を保てるのでその一瞬には効果的だと思う。

英語力と賢さ

世界のみんなが英語に合わせているおかげで、(アメリカ人は特に)文法ミスを話している最中に指摘されたりはしない。意味が通じればそれでいいというスタンスだと思う。だけどそれは自分の言いたいことをスムーズに言葉にして伝えたときに限られる。言葉に詰まったり、なんて言ったらいいかな・・えっと・・とか考えていると、意見を持っていない・その場で必死に意見を考えているみたいに思われている(ような気がする)。

どれだけアクセントが強くても、文法が若干違っていても、正しく伝えるために何回言い直したとしても、「この人は言いたいことをはっきりと持ってるんだ」と相手に思わせられたら、話を遮ったり英語をバカにしてくるようなことはないんだと思う。

逆に、世界のみんなが英語に合わせているせいで、英語ネイティブたちは意思疎通にめちゃくちゃ困る経験をしたことも、する可能性もほとんどなく、「非ネイティブたちはちょっとワードチョイスが変だけど大体なんでも英語で説明できる」と思っている気がする。日本語ネイティブからしたら英語の言い回しはどれも大雑把で日本語の繊細なニュアンス(フランス語で草)を表せないんだよと思う。

でもやっぱり英語は話せないといけない

外国での英語

でもやっぱり、英語は話せないといけないと思う。というか、英語を話せることのメリットがデカすぎる。

日本人の私たちが行きたい!と思うような国は大体英語が通じる。先進国では当然英語で話しかけて問題なく生活ができるし(ただ嫌な顔をされたり返事をしてくれなかったり目を合わせてくれなかったり・・まあ許容範囲)、大体どんな情報も英語で調べればヒットする。

正直日本だって最初こそ困るかもしれないけど別に英語で生活できるよなと思う。渋谷のマックにヘルプに行ったとき、3分の1くらいのお客さんが外国人だったけどほぼ全員英語で注文してきた。舐めてんのか?と思いながら英語で注文取ったけど、まあ英語できたらそうだよねーと思う。

自分だって日本にいるとき英語で話しかけられたらだるっと思うけど、非英語圏の国に遊びに行ったときは挨拶も覚えずに英語でゴリ押ししてたしな。結構本当に英語ってゴリ押ししたら英語だけで生きていけちゃうんだと思う。アフリカのフランス語圏は全然英語通じないとか聞いたような気もするけど。

ちなみに英語でゴリ押しするコツは、最初の挨拶でBonjour等その国の言葉を使わないこと。最初からHelloと言って話しかければ高確率で英語ゴリ押しできる。Bonjourと言ってフランス人に隙を見せてはいけない。

留学してみて思うこと

最初の方でアジア系は置いていかれてる!と書いたけれど、やっぱり英語はある程度できないとまじで置いていかれてしまうと思う。台湾人がたくさんいるんだけどみんなアクセント強すぎて何言ってるのかよくわからないし簡単な文章でしか話さないから少し会話しにくいなーと感じることがある。

留学に来ているような人たちなのに、英語この程度しかできないのか・・と少し見下すような気持ちも抱く。てか英語できないなら英語圏行けよ!とか思うし、逆にアメリカ人は何しにここ来てるの?と思う。

やっぱり英語は世界で一番話されてるからこそ、非英語圏出身の人たちは英語をどれだけ話せるかで教養を見せつけられるような気がする(気がするだけ)。英語が話せるかどうか自体はその人の教養を測る一つの指標にはなり得るだけでその二つはイコールにはならないんだけど(こういう場合ってイコールって使うのは正しいんだっけ?違うと思う)、「きみ英語うまいね!」で自分は質の高い教育を受けてきましたアピールをできるんじゃないかなって思う。

第二外国語として

これは完全に学生のイキリみたいなものだと思うんだけど、国際系の学校とかって話せる言語が多ければ多いほどすごい!みたいな風潮がある。大体多くても4ヶ国語とかだけど。

大学で初めて見たんだけど、リセフランコジャポネ出身の日本人は日本語・英語・フランス語がかなりペラペラだった。これは流石にすげーー!と思ったけど、フランス語できたら英語簡単かも?って考えるとそこまですごくないのかも。

まあマルチリンガルは置いといて、日本語と英語の2か国語しか話せないバイリンガル(もどき)みたいなのが高校にも大学にもたくさんいた。当然高校でも大学でも、英語がうまければうまいほどすごいみたいな価値観があった。これは春学期に日本近代文学の授業で気づいたことなんだけど、普段は英語ばっかりゴリゴリ話してる人たちが(日本語もペラペラなのに英語の発音も話し方もうまくて)すごいって言われてる割に日本語を書かせると結構下手くそ。笑 助詞はめちゃくちゃだし要点が見えてこないしぼんやりした文章で、もう日本人やめてしまえ!とか正直思ったくらい笑

私も変な日本語を書いたりするけど、それでもそこで会ったバイリンガルの子よりは日本語上手だと思う。「もし幼稚園の頃からインターに通ってたらもっと英語うまかったかな」とか夢見ることもあるけど、多分ずっとインターに通ってたら今の日本語力には到達できてないし、2言語を混ぜないと言いたいことを伝えられないとかなってたかもしれない。高いレベルの母国語を持つことの方が、たくさんの外国語を話せたりすることよりもよっぽど重要だと思う。

高いレベルの母国語を習得したら、学術論文を読んだり書いたりできるくらいの外国語能力は身につけたほうがいいなあってなる。まあ母国語のレベルが高ければそれだけ言葉以外の科目の教育も高い水準のものを受けてる可能性が高いし、てことは英語(とか他メジャー言語)の論文を読む機会も多くあるってことだし。

英語もまあまあできるけど、大学では英語じゃなくて別の言語をガチります!っていう人勇気あるな〜と思ってしまう。英語をもっと伸ばしてからやったほうが早いんじゃね?って。いや、アラビア語とかロシア語とかだったらまじで頑張れって思うんだけど、フランス語とかスペイン語やるのに英語未完成のまま挑むのむしろ効率悪くないか?と思う。単語が似てるとかいうだけじゃなくて、英語のちょっと複雑な文法とかを考えずにスラスラスラ〜って出てくるくらい英語を伸ばしたほうが次の言語も頭に入ってきやすいと思うけどな(感覚の話ですけど)。

でももしかしたら今こういう考えを持っているのは自分がかなり恵まれた教育を受けてきたからなのかもと思う。いまだに親に日本語の文法直されるし、兄には頭悪いと思われてるし、高校大学の同級生ですげー頭いいなって思うやつとかいて、言語能力が高くて頭が切れるやつがすごい!ってずっと思ってきたけど、この価値観は教育強者の間だけのものかもしれない。(教育強者っていうのは勝手に言ってる言葉)今までかなり狭いコミュニティで育ってきたから、教育格差みたいなものがあるのに気づいたのは結構最近だし、当然まだ全然理解もできていない。

日本語の能力を大きくなってから伸ばすのが難しいとしたら(てか多分難しい)、大学生とか社会人とかになってから英語を学ぶっていうのは自分の能力を増やすっていう意味で正しい行動なのかもしれないな、と思う。母国語を最大限伸ばしてから外国語を学べば、日本語10+英語10→合計20みたいに得られる能力値が最大になるけど、日本語5の人が5から伸びないなら英語5を足して合計10にしたほうが英語を学ばずに合計5のままでいるより良いな、みたいな。

最後に

英語ってべらべらに話せないとだめ、とかそういうのではないと思うし、英語が話せないと中身を見てもらえないみたいな風潮ってほんとアホらしいと思う。でも実際は英語で考えてることを説明できないと相手にはいつまで経っても伝わらないし、バカにされたくなかったらどんなにそれが癪に触っても英語を学ばないといけないのかなーと思った。マイナー言語が母国語なら尚更。

英語ネイティブじゃん!ってもてはやされたりすること結構あったんだけどそれ言われるたびにアホか?って思ってる。語学ってほんと終わらない学問だよな〜

多分この記事に書ききれなかったこととかたくさんあると思うんだけど、なんかトイレ行きたくなってきたからここでやめる!

追記
トイレ行って思い出した
フランス語の授業でいつもペア組んでくれるルイジアナ出身のマリちゃんへ
patriotismと言ってすぐに愛国主義のことだと理解したあの瞬間の裏には、Portugueseがトチギ〜に聞こえて困った14歳の私とか、みんなの話が全くわからなくてずっと困り顔でランチの時間座っていた半年間とか、5年以上の結構な努力があるんですよ

とか書いてみたけどもしかして受験英語がちってた人は一瞬で分かったりするのかな?わら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?