芸能人を応援するということ

推しは推せる時に推せ
という言葉があまり好きじゃない
いつ引退するか、いついなくなるかわからないし
その通りだってわかってるけど
なんだか好きじゃなくて

俳優やアイドルなどの芸能人を推しと称して応援している
そんな人世の中に五万といて、気にしなくても良いのかもしれないけれど
私は彼らを消費しているのではないかと
凄く怖くなる時がある

彼らが幸せに生きて笑っていてくれたらそれが1番嬉しいはずなのに
いつか飽きてしまうのではないか、という不安と共にいつも応援している

たかが何万人、何百万人のうちの1人で彼らにとっては気づくはずのない存在なんだから気にしなくて良いのだと思うけれど
それでも上がっていた声が上がらなくなることは恐怖だと思う

小袋成彬さんのアルバム「分離波の夏」が好きでよく聞く
その中にある「101117@El Camino de Santiago」というトラック(旅の記録なので曲ではない)の中で友達が仕事を辞めた時の話をしている
その内容は
会社の社員証で日々会社のゲートをくぐっていて
その社員証で自販機でコーヒーを買った時に
物を消費する主体であるはずの自分が
実は消費されていっているんじゃないかと
社会という構造の中に自分がとりこまれてどんどん消し尽くされていってしまうような気がした
という話をしている

芸能人を消費してしまっているのではないかという恐怖を感じるたびにこのアルバムのこの話を思い出す
そこで彼はマズイなと気づけているから凄く冷静で自分自身との距離感がうまいなとも思う
ただそれをみんながみんな出来るわけではない

気づかないうちに、もう消費するものすら無くなってしまう人だっているだろう
そうしてしまわないか、彼らを消費する権利が自分にあるのかいつも考えながら
ただただ幸せであって欲しいと思いながら応援している

沢山のお金や富や名声の代償なのかもしれない
ただ私はなるべく彼らを消費しないようにしたい
そしてそれは芸能人だけではなく
世の中に生きる人たち全て
他人や社会や労働や国によって消費されて欲しくない

私たち人間を消費できるのは時間だけであって欲しい
そんなことは無理だってわかってるけど

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